音楽家の経済戦略

オーケストラ奏者が稼げない理由を考察してみます。

オーケストラといえばクラシック音楽ですね。皆さんの頭の中にはドレスや燕尾服(後ろが長いスーツみたいなもの)を着飾って、華々しく楽器を奏でる姿を想像するのではないでしょうか。

中には、そのオーケストラに所属している団員もいれば、人手が足りない分をエキストラという形で単発契約をしていたり、オケと個人の年間契約だったり、固定のオーケストラはなく全員が単発の寄せ集めだったりします。

そのオーケストラ奏者たちは、幼少の頃から楽器を手にとって、毎日何時間も練習してようやくプロとして活動しています。普通の高卒や大卒で仕事に就く人に比べ、ずっと長く一つの「演奏」というスキルに磨きをかけてきて、さらに熾烈な実力主義社会をくぐり抜けてきた努力と才能の結晶とも言えるでしょう。

しかし、それだけ長い時間をかけて専門的な技能を習得してきたにも関わらず、多くのクラシック音楽家はそれに見合う対価を得られていないのではないかと感じています。


◆オーケストラ運営の実情◆

「オーケストラ 給料」と調べると、いくつかの記事がnote記事が出てきました。

オケ団員の給料が低いのは、なぜ?

破綻するオーケストラ業界と報われない音楽家たち 「オーケストラ業界の現状編」

破綻するオーケストラ業界と報われない音楽家たち ビジネスモデル編

日本のプロオーケストラいろいろランキングして分析してみる


優秀な方々がきちんとデータを元に書いてくださっています。実際にオーケストラの事務局で運営をされている方も記事を書いていて、とても興味深く拝読させていただきました。


◆オケマンの憂鬱◆

では実際、正規雇用のオケマン(オーケストラ奏者のこと)は、音楽家として「成功」と言えるのでしょうか?

成功の定義にもよりますが、「音楽家として生活すること」では成功したと言えるでしょう。しかし「音楽家として”継続的に”生活すること」を獲得したと断言できる人は少ないのではないでしょうか。

特に、2020年のコロナの影響は計り知れず、多くの演奏家が不安を覚えたのではないでしょうか。

その理由は、現状の演奏家というポジションに構造的な欠陥があるからだと推測します。


◆資本主義の構造◆

資本主義の構造は、大きく2つに分かれるという話があります。

一つ目は、「自分が働いてお金を稼ぐ」という労働。

二つ目は、「他人やお金を働かせてお金を稼ぐ」という経営または投資。


トマ・ピケティという経済学者が『21世紀の資本』という本を書いてベストセラーになりましたが、そこに書かれているのは「r > g」という不等式。

よく分からない謎の式が出てきました(レイザーラモンか⁉︎と思った自分はちょっと古い?)内容は「18世紀まで遡ってデータを分析した結果、経済成長率(g)にくらべて資本収益率(r)が高い」という結果を導き出したそうです。

つまり、労働で得られる富よりも、資本から得られる富の方が2.5~5倍も成長率が高いというデータだそうです。

このままではこの不等式が、経済格差をどんどん広げていくという結果が継続される状態だということです。


しかし、オケマンの「演奏」という仕事は?労働ですよね。自分が演奏することによって報酬を受け取るという構造がほとんどです。

演奏だけで生活ができるというのは夢のようですが、実際にはそれだけでは貧富の「貧」の方に向かっていっているのです。(下りエスカレーターに乗っている状態みたいなものです。)


◆例外の演奏家◆

少し前に、面白い話を聞きました。

知り合いの知り合い(=いわゆる他人)が「2次使用料」の版権収入で毎年○千万円は収入を得ているという話です。

その方はクラシックのオーケストラでは絶対にお見かけすることはなく、レコーディングの仕事が多いそうです。これまで携わってきた曲は何千曲何万曲もあるとか・・・

それがストックとなって、何かでその音源が使われる度に「2次使用料」が発生し、毎年ある時期にボーナスが舞い込んでくる感じだそうです。(録音した日から50年有効だそうです。ウラヤマシイ!)


ここにあるのは、1回の労働が資本にもなっているという構造です。それ以降は自分が働かなくても、どんどんお金を生み出してくれるわけですね。

資本主義社会においては、表舞台に立つよりもこういうストック型の仕事ができる方が優位ということが言えるのかもしれません。

(私の彼女はミスチルが好きなのですが、ライブの収益もストックからの収益も申し分なさそうです!)


◆演奏家の誤算◆

幼少の頃からひたむきに努力をしてきただけあって、多くの音楽家は「上手ければ客が喜ぶ = 売れる」と考える方も多い気がします。

しかし、それは自分の努力を正当化するためであったり、同じ業界の人の価値観にしか触れていないからかもしれません。

実際にお金になるのは、クオリティよりも”文脈”なのではないでしょうか?


村上隆著の『芸術企業論』には、芸術は”文脈”で売るというようなことが書かれていますが、演奏家には専門性を極めて熾烈な争いを勝ち残らなければいけない社会で育った人が多く、そのこだわりから「売る」という視点が抜け落ちていることが多いように感じています。

売る=大衆に迎合する、といったネガティブな印象を受けます。(私もそういう面はありました。)

しかし国民的アイドルのSMAP(解散してしまいましたが)のリーダーは、技術ではなく文脈で巨額の富を得ていることがお分かりでしょう。

もちろん実力があって、きちんと文脈が作れたら演奏している方も受け取る方も満足するはずです。(プライドにかけて、ここを目指したい!)


◆ネオ・クラシックミュージシャンへ◆

つまりこれからの時代は、演奏家であっても技術だけを売るのは合理的ではないと思うのです。文脈を意識しないと、その職業自体のマーケットが縮小していく恐れがあります。

クラシック音楽のコンサートの競合になるのは、あらゆるエンターテイメントです。遊園地や映画や、スマホゲームさえが手軽で安価に手に入る「快楽」です。

それを上回る、または他では得られない体験価値を、技術だけじゃなくて文脈から作っていく。楽器演奏に多大な時間を費やしてきたからこそ、その視点を持たないともったいないなと感じます。


なんだか面白そうだな、チャレンジングだな、と思えるクラシック音楽家が増えたら、もっとマーケットが広がっていくんじゃないかなと強い希望を抱いています!

興味がある方とは、是非飲みに行きたいです(笑)

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