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4日目 - 『のど自慢』人気の秘密

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 朝八時半。「運動」の時間。これは、一日に一度だけ、外気に触れられる時間である。

 「運動場」は、ほんの八畳くらい、二階吹き抜けの高さのコンクリートに囲まれたスペースである。天井は抜けているのだが、網がはまっている。ここにだいたい三房ずつ、つごう10人くらいが同時に出されるので、実際に体を動かす訳にはいかず、壁ぎわに並んで煙草を喫ったり、雑談をして30分程度過ごす。煙草を喫えるのも一日のうちこの時だけで、本数も二本限定なので、皆、指が焦げそうになる程短くなるまで喫う。
 ここでの雑談が、お互いの罪状を知ったり、ちょっとした情報交換の場となり、結構、重要である。特に僕のような初心者にとっては何かと役立つ情報もあり、それなりに大切な時間である。これまでに述べて来た情報の多くも、ここで得たものが多い。

 この日は、先日僕を「取り調べ」たムードメイカー前川氏のオン・ステージであった。
 彼はこの留置場でも一番の古株で、拘置所に移監されることも無く、判決を迎えることとなった。執行猶予がつくかどうか、微妙な状況にあるらしく、かなり気にして、いろいろと予想を立てる。何でも、三年以上の求刑があった場合、執行猶予はつかない由。かなり、実刑がつくことを恐れていた。

 前川氏曰く、
「判決を聞く時起立して聞くのだが、この時、どうしても足がガクガクと震える。これを押さえるには、両足をやや開いて立ち、手を少し前に出して構えると、震えがこない。今度、試してみ」
 自分の番がきたら、試してみましょう。

 12時、昼食。12時20分から13時まではラジオが流れる。たいていは『NHK昼の歌謡曲』か、地元FM局の番組である。両者とも個人的には苦手な傾向の曲ばかりかかる。前者は演歌が主だし、後者は現在ヒット中の曲がほとんどである。残念なことに、この当時はヒップホップ全盛で、ラップ等が苦手な僕にとっては、いずれにしてもなんだか居心地の悪い40分間であった。

 この日の昼の放送は、『NHKのど自慢』であった。土日には、この番組がかかるのである。
 たちまち起こる歓声。やんやの喝采である。これまで昼の放送時には「消してくださーい」だの「音を絞ってくださーい」といった声が飛んだのだが、この日に限っては、あちこちの房から「ボリュームあげてくださーい!」の大合唱。しかも、番組の進行とともに、一緒に歌う者、鐘の数に一喜一憂する者、大変な盛況である。『NHKのど自慢』が、これほど人気番組だったとは……。

 さて、土日は「運動」の時間が午前と午後の2回あるのだが、午後の運動時にこの人気の秘密が判明する。この番組、賭けの対象になっていたのである。負けた者はシッペをされる、というだけの、実に可愛らしい賭けなのだが、大のオトナ、しかもシャバでは強面の人たちが、子供の様にキャッキャとこの賭けに興じていたのであった。

 部屋に戻り、ふと、壁の汚れに気づく。近寄って見てみると、鉛筆で小さく「耐える!」の文字。
 ここでの生活は、ひたすらにヒマとの戦い。少しでも日常の中から楽しみを見つけるほかはない。『NHKのど自慢』も、思わぬ功徳を施していたのであった。

 午後、「運動場」から女性の声が響いてくる。僕たち男子のあと、女子房の運動の時間である。僕たち男子房の「運動」は、それこそ「シッペ」のとき以外は、ボソボソしゃべっている程度の、静かなものである。話題も、判決を間近に迎えた同胞の判決予想であったり、その場にいない者の噂話であったりと、地味である。
 ところが、女性陣は常に嬌声かまびすしい。とても、楽しそうである。
 何となく、「女子は強し」の感がする。

 土日は基本的に、取り調べ等はない。
 この「取り調べ」には、通常の取り調べ以外に、「面倒見」と呼ばれるものがある。「取り調べ」という名目で担当刑事が留置人を房から出し、雑談の相手をしてくれるのである。煙草は自由に喫えるし、希望をしておけば、ジュース等も用意してくれる。
 これは主に、ずっと狭い部屋に押し込められてイライラしている留置人のガス抜きが目的とされてはいたが、どちらかというと、「雑談」の中からの情報収集が本来の目的だったのであろう。僕たち一般(?)の留置人に行われることはほとんど無いのだが、地元の暴力団関係者には、ほとんど毎日のようにこの「面倒見」があった。
 同房の刺青氏も、ほぼ毎日、この恩恵にあずかっていたのだが、この日は土曜日なので「面倒見」が無く、終日イライラとしている。立ち上がってシャドーボクシングなどしている。僕には「面倒見」はおろか、本来の取り調べすらまだ一回もないので、ちと贅沢というものであろう。

(つづく)


※この手記は2003年に執筆されました。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。