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2日目(1) - この日僕は呼び出しを受けた。

(前回の記事)

 朝七時起床。七時になると部屋の明りが点き、担当が「おはよう」と各房に声をかける。自分の寝ていた布団をたたんで押し入れにしまう。押し入れは房を出た廊下に面してあるのだが、各房順番に鍵を開けてもらい、決して一度に多人数が房から出ることは無い。これは、「運動」や「健康診断」といった、全員共通のイベント時に於ける、共通措置である。理由は言わずもがなであろう。

 幸運なことに、この押し入れはちょうど僕のいる一房の正面にあるので、布団を運ぶのを最短距離で済ませられる。この件に関しては、十房の連中からしばしばうらやましがられた。

 次いで、掃除。各房ごとに、分担制である。掃き掃除、拭き掃除、トイレ掃除の、主に三分担である。ここで、ちょっとした矛盾を感じる。そもそも基本は二人部屋なのに、どうして掃除は三分担なのだろうか? それは僕にもわからない。何となれば、この矛盾には、今これを書いていて初めて気づいたからである。
 分担はたいていの場合、部屋の古い順に決められる。一番の古株が掃き掃除、ついで拭き掃除、新人がトイレ掃除となる。僕はトイレ係となった。

 少しく、トイレについて述べる。前にも書いたように、トイレは部屋のいちばん奥にあり、半畳くらいの広さである。和式で、便器はステンレス製。これは、割れたり割ったりを防ぐためである由。ちゃあんと、水洗式である。天井の電灯がついているが、これにも紐を通せないように網がついている。だいたいにおいて留置所で最も気を遣われているのが脱走防止であるのは当然だが、次いで、自殺に対しても厳重に留意されているのである。

 トイレ掃除は実に簡単。洗剤の入ったバケツ、柄付きブラシ、雑巾がワンセットとなっている。まずはブラシに洗剤を含ませ、便器の中を洗う。
 もとより「便所はきれいに使用する」というマナーは徹底している。ほかの決まり事はともかく、これに関しては、留置場、拘置所を通じて、最も遵守されていると言っても過言ではない。意外なことに、「塀の中」では、衛生面が実に重要視されているのである。房内で、トイレの使用法や掃除法についての論議が巻き起こることもあるほどであった。

 ブラシを使ったあとは、トイレを流しながらブラシも洗う。あとは、周辺を雑巾で拭うだけ。雑巾も、使用したあとは、トイレを流しながらすすぐ。無論、便器に手を突っ込んで雑巾をすすぐのである。掃除したあと流す水なので、当然、きれい、な、はずである。正直、ここだけは若干の抵抗があったが、えらいもので、三日もたてば何の抵抗感も無くなる。

 僕は、全期間を通してトイレ掃除が好きであった。この時間だけ、一人の時間が持てるのである……。

 終わったあとの掃除道具は、次の房へ「どうぞ」と渡す。掃除道具はワンセットしか無いので、僕らの一房がさっさと終わらせないと、ほかの房に迷惑をかけることとなるのである。

 一房の良い点は、いの一番に掃除を始めなければならないが、自分の房の掃除が終わったあとは、ほかの房の掃除が終わるまでまったりと過ごせることである。これは、慌ただしい朝のイベントの中で、ゆったりできる貴重な時間でもある。ほかの房はまだバタバタと掃除をしているので、多少ゆっくりと洗顔をする。

 朝食。朝食は、和食とパン食がほぼ一日おきに出る。
 パン食は、1㎝弱の厚さに切った食パン四枚(無論、トーストなどはしてない)に、給食に出たようなマーガリンの包み一個とジャム一袋(ジャムは一回ごとにピーナツクリームになる)、小さな牛乳パック(これも一回おきにコーヒー牛乳になる)の、実に哀しい代物である。

 和食の場合は、ワカメ二、三枚の即席ミソ汁に、味付ノリかフリカケ、軽いオカズ二、三品である。おかずと言っても、たいていは前日夕食のオカズにちょこっと手の加わった程度の物だが、パンよりはいくぶんましである。

 この時、「給湯」もある。担当がでっかいヤカンを二つ持って回ってくる。一つには熱いお茶、今ひとつには冷たい水(多分、ただの水道水)が入っている。おのおの希望を伝えると、担当がプラスチックの茶碗に注いでくれる。この茶がむやみと熱い。そこで、僕のようなネコ舌は「割り」と伝えると、お茶と水半々の、「ぬるま茶」にしてくれる。

 食事はいずれも自分の房内でとる。出入り口の脇に小さな受け取り口がついており、ここから差し入れられるのである。房内に机の類いは一切ないので、みな床座りである。パン食の場合のみクズ受けとして新聞紙半枚も渡されるので、食後のゴミ、牛乳のパックやマーガリンの包みは丁寧に折って新聞に包み、捨ててもらうのである。

 さてここまで終わって、大体八時頃となる。えらいもので、シャバの生活で「起床~掃除~洗顔~朝食」をたったの1時間で済ますのは至難の技であるが、ここだと可能なのである。ちゃんとトイレも掃除して、尚かつ各イベント間に待ち時間まである。

 さて、この日僕は、「勾留請求」があるということで、食後すぐに呼び出しを受けた。

 「勾留請求」とは、逮捕されて48時間以内に取られる手続きである。ここで裁判所から「妥当」と判断されると、十日間の勾留となる。たいていの場合、この十日間が終わると、ほとんど自動的にさらに十日が追加される。起訴までの期限は勾留開始から二十日以内なので、期間いっぱい勾留されるのである。

 さらに僕のような麻薬事犯の場合、同時に「接見禁止」もつく。これは、「証拠隠滅の恐れあり」と判断された場合に、弁護士以外の外部との接触を禁ずる措置である。この期間中は、ほかの罪状では可能な「保釈」もない。中島らもや、赤坂君も同様だが、彼らが必ず「逮捕から22日目の保釈」となるのは、逮捕から勾留請求までの48時間と、二十日間の接見禁止付き勾留の後に保釈が認められるからである。 

 房を出され、手錠と腰縄をつける。「痛くないか? 締まりすぎてないか?」と、気を遣われるのは、逮捕時と同様である。
 留置場を出ると、署内の階段を下りる。たった24時間しか経っていないのだが、なんだかワクワクする。署のドアを出て、明るい日のもとに出ただけで、ずいぶん新鮮な気分となる。

(つづく)


※この手記は2003年に執筆されました。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。