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1日目(2) - そこはまさに「塀の中」

(前回の記事)

 さて、それからは簡単な取り調べ。現在の生活ぶりや、ザッとした経歴等を確認、ワープロで書類にし、指印を押す。その際「職業」ですったもんだする。僕の職業の正式名称は『プロダクション・マネージャー』日本語だと『制作進行』というのだが、どうも一般には耳慣れないのか、どうにも納得してもらえない。仕事の内容を説明してもキョトンとするばかりである。東京のド真中の署ならTV関係も含め、この手の職業に就いている者をしばしば扱う事もあろうが、宇都宮ではいた仕方も無かろう。結局、その場は「広告制作業」という名称に落ち着いた。

 続いて写真撮影。正面、ナナメ、横、さらに僕の場合は眼鏡の有無の両方を撮るので、延べ10枚。

 指紋採取。実は以前にも一度「自転車泥棒」で取り調べを受けた事があるのだが、その時は中年の刑事が「今時の若い者は指紋採取も下手でなァ……」等と言いながら、ガラス板の上に薄~く墨を延ばし、指を1本ずつ押し付けて採取した。が、今時の指紋採取はスキャナーで行うのである。さすが1人に1台のパソコン時代。スキャナーに指を置き、指を1本ずつ、手の平、側面等をクリック1つで取り込み、最後に一覧を確認した上で「OK」をクリックすると、採取完了。これで今後は、僕が何をしでかしても、コンピューターで一発検索されちゃうわけなのである。又この時に、顔の目立つホクロや体の傷もチェック。これで今後、僕が指名手配されると、顔写真の下に「左マユに傷アト」なんて書かれちゃう訳なのである。

 この日の取り調べはここまで、いよいよ留置場へ。厳重なロックの付いた2つの鉄製ドアを抜けると、そこはまさに「塀の中」なのであった。

 留置場へのドアをくぐると、まずは所持品検査。二畳くらいの小部屋に入り、机の上に持ってきた物を全て出す。ここで服もパンツを残して全て脱ぐ。後刻、この部屋は通常、健康診断や医務に使用している部屋だと知る。
 この時、身長・体重も測る。身長169.5㎝。最後に測った時(確か大学生の時)よりも1㎝伸びている。体重は68㎏(最後に量った時より……ま、いいか)。

 所持品を一つ一つ用紙に記入する。衣類と洗面用具以外は預ける事となる。ベルトやパーカーのフード紐と言った、ロープの類いはすべて預ける。もちろん、自殺防止のためである。

 そのほか僕の場合、携帯電話やキャッシュカードの類は既に証拠品として押収されているので(これらは取調べ終了後、返却される。事のついでに、マリファナパイプや未使用のキノコ等は「廃棄処分」となり、これは後の取調べ時に「同意書」にサイン・押印する)、サイフと現金(何しろ飲んだ翌朝だったので、4千円くらいしか無く、実家の妹と連絡の取れるまでは「購入」にも困ったのである)、家のカギ等を預け、ここでも手術痕等をチェック、ようやく服を着る。荷物をバッグに詰め、いよいよ本当に「牢屋」のあるエリアへ。

 留置場は、真直ぐな廊下が一本通り、その片側、横一列に九部屋が並んだ造りとなっていた。なぜ九部屋という半端な数かというと、各部屋には「一房」から「十房」までナンバーが振ってあるのだが(牢の各部屋は「房」と呼ばれ、一般にいわゆる「一号室」を塀の中では「一房」と言うのである)、縁起をかついでいるのだろう、「四房」が無いので実際の部屋数は九部屋なのである。なぜか「九房」はある。「死」は避けるが、「苦」くらいはガマンせぇ、とでもいった所か。

 「牢屋」エリア(今後は正式に、「留置場」と呼ぶことにします)に窓は無く、天井付近に小さな明り採りの窓はあるものの、蛍光灯のみが妙に明るい。各房の格子には細かい網も入っているので、廊下から見ると部屋の中は少し逆光気味になって見えづらい。物見高い先客が数人、「どんなのが来たんだろう?」と立ち上がってこちらを見ているのだが、シルエット気味で表情がよく見えず、いささかならず不気味である。

 ロッカーを一つ割り当てられ、荷物を入れる。そして、留置場担当の先導で、自分の入る房まで連れて行かれる。僕は「一房」に入れられる事になったので、一番奥の部屋である。何人かが黙ったまま見ている中を進んでいくのだが、さすがにこの頃には多少酔いも醒めているので、内心ドッキドキである。
 毛布を一枚もらう。歴代の臭いが染み付いているのだろう、名状しがたい臭気を放っている。ふとこの臭いが、留置場全体に漂っていることに気づく。
「一応、先輩にあいさつしてネ」と担当に言われ、遂に僕もオリの中へ。

 まずはテレビで見た時代劇を思い出し、畳に手をついて挨拶する。
 中には二人、丸ボウズの中年に、Tシャツのソデから色鮮やかな刺青の覗く、一目で「その道のヒト」とわかる大柄な青年である。 

 時代劇のように「牢名主」が積み上げられた座布団に鎮座ましましているようなことはなく、ふたりとも普通に畳にじかに座っており、おのおの名乗ってくれる。さらに親切に“刺青”の方が入浴日や購入日について教えてくれた上に、「ま、何もやる事ねっから、楽にして」等と言ってくれる。案外、ふたりとも穏やかそうなのでホッとする。

 今時の留置場ではいわゆる“牢名主”のごとき者は存在せず、基本的には房の者同士、平等、和やかである。

 一応、先に入った者から多少の優先権はあり、洗顔、風呂、部屋の中での場所取りは古い人順である。ただこれも厳密なものではなく、何となく古い人優先、となっている程度で、まァ、お互い気を遣いながら過ごしている、と言ったところか。いずれも「シャバ」ではそれなりに強面だったりもする人たちが大人しくしているのは、ひとえに檻の中での悶着は、後々の公判に少なからず不利な要素となるからに他ならない。例外として、「大物」が入ってきたりすると、“房内自主的優遇措置”が取られたりもするのだが、これに関しては後に述べる、かもしれないし、忘れるかもしれない。……

 さて僕は、ふたりが廊下側とトイレ側に陣取っているのでその間のスペースを与えられ、臭い毛布にくるまって大人しく我身をそこに安置した。

 すこし落ち着いてきたので、これからしばしの間「我が家」となる留置場内を見回してみる。部屋は四畳半位の広さのワンルームである。縦に細長い造りとなっており、入り口付近と奥は板張り、その間に三枚の畳が敷いてある。いちばん奥にトイレがあり、一応ボックス状になっているが、50㎝四方くらいの窓が開いており、小便など立っていると外からも分かる様になっている。これもやはり自殺防止のためで、中でぶら下がったりすると一目で分かるようになっているのだそうな。

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 聞くと、本来は二人部屋なのだそうだが、たいていは三人が入っている。八月は裁判所の休みもあって、なかなか人が出て行かず、多いときには四人が詰め込まれることもある由。これは後刻、自らが経験することとなる。

 そのうち、昨夜ほとんど寝ていなかったせいか、いつしか横になって眠ってしまった。

(つづく)


※この手記は2003年に執筆されました。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。