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ちょっと目を離すとぐっちは一塁にいた 【6/21中日戦●】

野球というのは、点を取らなければ勝てない。というのは、意外と忘れがちなこの世の真実である。え、誰もそんなことは忘れませんか?そうですか、私はつい、ちょっと、忘れてしまう。ちなみに、1点でも多く取った方が勝つ、という真実は、片時も忘れたことはない。

約5時間にも及んだ開幕戦がうそのように、さくさくと試合は進んでいった。本当に同じチームなのだろうか?

だけど野球の結果というのはほんとうに、毎日毎日ころころと変わる。あれだけ打った打線が翌日には凪のように「しんっ」とする。20点取らなきゃ無理だ!と思ったバッテリーは、3失点におさえてくれたりする。ただでさえ一日前のことはすぐ忘れてしまう私は、前日の試合の得点と失点が何点だったかを、いつもさっぱり覚えていない。まあだから、こうして見続けていられるのかもしれないけれど。

でも「なんでもすぐに忘れてしまう」私だけれど、昨シーズンのことはやっぱり、そんなにすぐは忘れないだろうと思う。それは、私がヤクルトを好きになってから初めて、「ぐっちがいないシーズン」だったから。

35歳というシーズンを、死球によるケガで、ほぼ二軍で過ごすというのはきっと、そりゃもう信じられないくらいの不安を戦っていたはずだ。私がここで感じるような「不安」よりもずっと大きなものを、計り知れないものを、きっとプロは抱えるのだろうと思う。

ぐっちがいない神宮に通い続けて、でもそこにぐっちが戻ってきますように、と思い続けた。

今度はこちらが神宮に通えなくなったわけだけれど、でも、ぐっちはちゃんと、神宮に戻ってきた。一つ歳を重ねて、ベテランはさらにベテランになって、それでも新しいことに挑戦する、若手のような顔をして。

高津さんは去年、「神宮にいられなかったぐっち」を、二軍で一年間ずっと見続けてきたんだよな、と思う。もちろん、ハタケと並ぶところも、びっきーと一緒にいるところも。私もその姿を、何度も目にした。

「一年間、怪我で一軍を離れた選手を1番に起用する」というのは、もしかすると若手を起用することよりも、少し勇気がいることなんじゃないか、と思う。「能力が全く同じなら、若い方を起用する」というのは、みやさまも『洞察力』の中で言っていた。そうだよな、それはもっともだ、と、思う。

だからこそ、1番を「勝ち取った」ぐっちはすごいよ、と思うし、起用した高津さんもすてきだな、と思う。ありがとう、と、思う。

そしてとにかくこの3戦で、ぐっちはその起用にしっかりと答えた。私が去年、とにかく見たかった姿を、つまり「ひたすらの出塁」を、たくさん見せてくれた。ちょっと目を離すともう、一塁にいた。

生きていれば悪いことも良いことも、ちゃんとそれぞれあるのだよな、と私は改めて思う。それは一日の中で繰り返され、一週間の中で繰り返され、一ヶ月の中で、一年の中で、そして一生の中で繰り返される。

だから選手たちには、ユニフォームを脱ぐその瞬間に、「いろいろあったけれどもいい野球人生だった」と思ってほしいし、私は最後に、「いろいろあったけれどもまあ、けっこういい人生だった」と思って死ねたらいいなと思う。

そんなに多くのことは望まないから、死ぬまでに50回くらい優勝が見たいとかは全然思わないから、そうだな5回くらい…いや3回くらい…?見られたらいいなと思うし、そしてぐっちが今年、とにかく一年間けがすることなく、たくさん出塁してくれたらいいなと思う。

もちろん、調子の良し悪しはこれからぜったいに出てくるし、打てる日も打てない日もきっとあるし、今年もいろんな試合があるだろうけれどそれでも、良い試合も必ずあると思うから。

そういうのを紡ぎながら、生きていけたらいいなと思う。「あの年のヤクルトもいろいろあったけどまあ…こういういい試合もあったよね」と言いながら。今年もそんな試合が、そしてぐっちの活躍が、できるだけたくさん見られますように。




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