見出し画像

エイオキとココちゃんが並んでいた、その外野を思いながら

村上春樹はエッセイ集『村上さんのところ』のコンプリート版で、こんなことを書いている。

(青木とバレンティンの)「この二人が神宮で並んで打っているところを、一度でいいから見てみたいものです。」

村上春樹『村上さんのところ コンプリート版』

ヤクルトを好きになってから改めてKindleでこの本を読み返して、この部分がとてもとても、印象に残った。

それから私は、神宮の外野でエイオキとココちゃんが並んでいるのを見るたび、そして、エイオキ、てっぱち、ココちゃんの打順を見るたび、この言葉を思い出していた。

「この景色は今だけだ」と、私は何度も繰り返した。この贅沢な景色を見られるのは今だけなのだ、と。

だけどそれがなくなるのが、ココちゃんがこのチームを去るからだとは、思ってもみなかったかもしれない。それはもちろん可能性のあることで、考えてみれば、いつか来る未来だったかもしれないのに。

ココちゃんは、自ら打つそのホームランのように、本人も大胆で、豪快で、そして自由だ。私がヤクルトを好きになるうんと前から、ココちゃんはそこで、大胆に、豪快に、自由に生きていた。

それは、「品行方正」とは違ったかもしれない。「真面目」じゃなかったかもしれない。

だけどそれはとても夢のある、ビッグな生き方と、姿勢だった。

みんながみんな、いつだってまじめにコツコツ生きていなきゃいけないわけじゃない。プロ野球選手になれるほどの大きな才能がある選手が、豪快に生きていくこともまた、大きな夢だ。

プロ野球選手にくらい、そんな生き方を夢見てもいいじゃないか、と私は思う。

一方でココちゃんは、時々とても、繊細な側面を見せた。

言葉が通じない国で、4番を打ち続けるそのプレッシャーは、きっと大きかった。

ある日、神宮で球場に向かうココちゃんとすれ違ったことがある。「あ!バレンティンだ!」と言う息子に、ココちゃんはニコッと笑ってくれて、頭をポン、と叩いてくれた。

生まれた国と遠く離れたこの国の、知らない男の子に、ココちゃんは、笑いかけてくれたのだ。

それは神宮ならではの選手との近さであり、そして、ココちゃんとファンの、心の近さのような気がした。

ココちゃんは、遠い遠いこの国で、ファンに心を開いてくれていた。そんな気がする。そう思いたいな、と、思う。

もうヤクルトのユニフォームを着たココちゃんのあの豪快なホームランを、その直後に美しく投げられるバットの軌道を、そしてときたまイライラしてバットを放り投げる姿を、ボールが当たった審判を心配する様子を、そしてファンの「バレンティン!」という声援に応えてくれる陽気な姿を、見ることはできない。

ヤクルトのユニフォームを着たココちゃんが、息子の頭をぽん、っとたたいてくれることはもう、ない。

寂しいという気持ちは、いつだってつきまとう。感情というのはそんな理屈で、コントトールできるものではないから。

でも私は、ココちゃんの決断に、新しい道に、慣れ親しんだ環境をまた変えるその挑戦に、やっぱり、少し強がりでも、エールを送っていたい。いつだって自分で決断できる人を、その決断を、私は応援していたいのだ。

それと同時にやっぱり思う。今年だって、きっと今年しかないその景色を、そのチームを、めいっぱい応援していこう、と。時間は無限じゃない。すべてのものは移り変わってゆく。

そして、変わりゆくのは、目の前のチームだけじゃない。きっとこちらで応援している私だって、変わってゆく。こどもたちはきっとあっという間におっきくなって、私と一緒に野球観戦なんてしなくなる。神宮球場は場所を変え、この景色は変わっていってしまう。なんだってこの時間は、今しかないのだ。

それでもここで誰かと一緒にいた時間があることを、ココちゃんを応援し続けたことを、エイオキと並んだ外野を見つめていたことを、その記憶を、そっと宝物にしていこう、と思う。

開幕まであと51日。また新しいヤクルトに会えるのを、楽しみに待ちたいと思います。そしてココちゃんの新しい毎日が、素晴らしいものでありますように。

ありがとうございます…! いただいたサポートは、ヤクルトスワローズへのお布施になります! いつも読んでいただき、ありがとうございます!