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むすめが保育園を卒業し、私は「子育てしながらの仕事」を振り返る

むすめが、6年間通った保育園を、この春卒園した。(そして小学校に入学し、入学式以来、一度も学校へは行っていない。泣きたい。)

入園式のむすめは、まだ本当に小さくて、歩くこともできなくて、私に抱っこされて玄関で写真に写っていた。だけど卒園式の写真では、もちろん自分の足で立ち、ボンポワンの白いワンピースでおめかしをし、お友達と先生に囲まれてにこにこ笑って写真に写っていた。(そして、式では「少しだけ泣いちゃった」という情緒の成長まで見せてくれた。)

この園に通った6年間で、ほんとうに、ほんとうに大きくなった。

たいした病気もせず、めったに風邪すらひかず、慣らし保育の数回以降は、本当に一度も泣くこともなく、毎日元気に通ってくれた。年少からの三年くらいは、わたしは園の持ち物すら知らなかった。毎日毎日、自分で準備し、最近では朝ごはんも自分で作り、ママ!いくよ!と、起こしてくれるようになった。だめ母さんのこどもはしっかりする、典型的なタイプだ。


まだ2歳児クラスだった春、3歳のお誕生日の日、むすめは年長だった息子と仲良く揃って発熱した。インフルだったかなぁ、なんだったか忘れたけど、むすめが熱を出すのはほんとにめずらしかったので、インフルとか溶連菌だったと思う。

私はまだサラリーマンで、その日どうしても仕事が休めなくて、家から少し離れたところにある病児保育に二人を預けた。

いつもと違う環境なのに、しかも誕生日なのに、周りの子どもたちが泣いてる中、小さなむすめはとまどいながらも、ままいってらっしゃい!と手を振ってくれた。

その日休めなかった理由がなんだったかも覚えていない。なんの仕事をしたのかも記憶にない。ただ覚えているのは、発熱した子供を預けて行った会社で、回覧で回ってきた『VERY』に、キラキラしたママたちが優しい笑顔でこどもと写っていたことだ。

「な、なんだこの世界は…ま、まぶしいぞ…私は今日発熱した子供を病児保育に置いてきたぞ…」と言う私に、後輩がそのVERYをさっと取り上げ、「はいムッシー先輩が読むのはこっち、小島慶子さんと武田砂鉄さんのコラム。」と、私が愛読していたコラムのページを開いてくれた。(よくできた後輩なのだ)

夕方、走って病児保育室へ迎えに行ったわたしを、むすめは「おかえり!」と、笑顔で迎えてくれた。「みんなではっぴーばーすでーうたってもらったの!Kくん(息子)もいっしょに!すっごいたのしかった!と、にこにこ話してくれた。

外に出ると、桜の花がひらひら舞っていた。息子とむすめと三人で手をつないで、タクシーを待ったその景色を、なんだか今も覚えている。

私が雨の日も風の日も台風の日もむすめが発熱した日さえ、私が仕事をする中、保育園に通いつづけたむすめが、その中でもむすめの世界を、人生を、自分で楽しんでくれていることが、私にとって何よりうれしいことだった。

そのおかげでわたしは、好きな仕事を続けてこられた。仕事が楽しい、と、思えるようになった。

そうなのだ、仕事が楽しい、と心から思えるようになったのは、たぶん二人を生んでからなのだ。

こどもたちがいて、そして保育園という場所がある、その中で仕事をすることは、わたしの世界を広げてくれた。

時間はいつも「有限」で、それはもちろん不自由な部分だってあったけど、でもだからこそ、その中でできる仕事のやり方があったし、それがたぶんわたしには合っていた。その中で気づけたことがたくさんあった。

だからたぶん、今のこの世界の環境もいつかまた、働き方だったり、生き方だったり、あるいは学び方だったりの、新しい形を生み出すことになっていくのだと思う。

時代のあらゆる出来事は避けられない、起こるべくして起こるのだ、というのは宮部みゆきの『蒲生邸事件』に書かれる世界だけれど、それはある意味真実なのだよな、と思う。それならばそこから学ぶべきことを学び、これまでに誤っていたところを転換をするしかない。

無理をしないように、負の言葉たちに惑わされないように。

と、色々考えながら、しんみりしながら、おうちに帰り、荷物を置いた瞬間、いやまって、これ、わたしの9年間に及ぶ送り迎えこれで終わりじゃない。。。!?と気づき、とんでもない開放感が急に沸き、息子に「待ってもう送り迎え終わりやん!!!ママ卒業やん!!!ありがとう!!」と叫ぶと、「お、おめでとう」と言われた。

そして翌日、学童初日のむすめをお迎えに行ったら、「ママ!学童すっごいたのしかった!ほいくえんもたのしかったけど。。こっちの方が好きになっちゃうかもしれない!」などと言っており、切り替え早ええな、と、さすがわたしのむすめ、と、思った次第です。

変化していくことや、ある種の「制約」は、もちろん戸惑いと「恐れ」を生む。誰だって未知の世界は怖いものだ。だけど、「制約」はいつだって、新しい何かを生み出していくと思う。子育てをしながら仕事をすることで、私が少しずつ、成長してこられたように。

これからの世界がそう向かっていくことを、何となく私は祈っている。時間が進む限り、前に進んでいくしかないのだと。

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