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【4/12横浜戦●】てっぱちが、抱えるものを。

「打たれる日」と、いうのはもちろんやってくる。そりゃそうです。知っていたけれどもいざやってくると「ううう…」と、やっぱり、うなだれてしまう。どんなときだって、負ける時というのは、悲しいものだ。「そういうものだ」と、つぶやくしかしかないのだけれど、悲しいものは、悲しい。ううう。と、思う。

うまくいかないときってこんな感じだったなあ。と、つくづく思う。むねちゃんの先制点までは「あれ、今日もいけちゃうのでは!」と、思う。だけど3回の牧の逆転2ランで、あれれ?と、思う。おかしいな。味方の牧はあんなにあんなにかわいかったのに。ぜんぜんかわいくないじゃないか。

これまではなんとか凌いでこられた場面で打たれたり、ピンチを乗り切れなかったり、不運なヒットがあったり、こちらのよい当たりは阻まれたり、そうまさに、「負ける日はこういう日」という、試合の流れだった。運とかそういうのはあまり当てにならないと私は思っているけれど、「流れ」というのはやっぱりある。こういうときというのは、「なんかもうなにしてもうまくいかない!」みたいな気分になりがちである。

「ううううんなんか今日はだめだねええ」と、私は何度も口にする。そして「うまくいかない」試合の中で、てっぱちがベンチに下がる。「ええ…ええええ…」と、私はまた、うなる。

思うに、何よりつらい試合というのは、負ける試合でない。いや、負ける試合ももちろんつらいのだけれど、さらにつらいのは、けが人が出る試合だ。私はそれをこの数年間で何度も何度も痛感した。青木が頭部死球を受けた日、復活した慎吾がまた死球で調子を落とした日、移籍したばかりの嶋さんが怪我で交代し日、そしてぐっちが死球で登録抹消になった日。いつもそこには、言いようのない痛みがあった。もちろん、誰より痛みを抱えるのは怪我で離脱をする本人なのだけれど。

てっぱちが打つたび「やっぱり、てっぱちの1本は特別だねえ」と、何度も何度も子どもたちと話してきた。打てないときは走るてっぱちを、それができないときは華麗に守るてっぱちを、いつも見てきた。大きすぎるものを抱えながら、それをここ最近は少しだけむねちゃんと分け合いながら、ポーカーフェイスだったてっぱちが、表情を和らげるになってきたのを、ずっと見てきた。

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