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悔しさを乗り越えていくことは、自分自身にしかできない 【6/23阪神戦●】

「このまま二試合連続で1点も取れず終わるつもりでしょうか」と、思っていたら(いや思うだけでなくぶつぶつ言っていたら)、エイオキキャップはあわやホームランかと思うフェンス直撃の2ベースを放った。

「さっっっっっっっっっすがキャップ。」と、私たちは深くうなずく。9回裏、2アウトランナーなしの場面である。そうでしたそうでした、ヤクルトたちはこういうことをするのだった。

続く4番の村上くんは、開幕戦の10回裏満塁の場面での悔しさを晴らすように、しっかりタイムリーを打った。

「さっっっっっっっっっっっっっっっっっすが村上くん。」と、私たちは深くうなずく。エイオキキャップの執念ヒットを村上くんが返すなんて、なかなか見応えがあるシーンである。たとえそれが4点ビハインドで迎えた9回裏2アウトの場面でも、まあ何もないよりはそういう見所がある方がずっといい。


負け試合では、たくさんの悔しい表情を見る。

例えばてっぱちのめちゃくちゃ良い当たりが、近本の好守備に阻まれたとき。一死3塁のチャンスで、エスコバーがピッチャーゴロに倒れたとき。まだ試合が始まってすぐの1回表にイノーアが2ランを打たれたとき。みんなとてもとても、悔しそうな顔をした。当たり前なのだけれど、そうだよなあ、悔しいよな、と思う。私だって悔しいけれど、そこで打てなかった、打たれた選手たちは、もっともっと悔しいのだ。

そういうのはしっかり、次の打席と、次の登板に生きるといいなと思う。

こないだ見たドキュメント映画『侍の名のもとに~野球日本代表 侍ジャパンの800日』で、鈴木誠也がタイムリーを打ったとき(だったと思う)、「それより一打席目のチャンスで打てなかった自分に腹が立っていたんで」と、言っていた。鈴木誠也は敵としてほんとうに嫌なバッターなのだけれど、でも鈴木誠也があれだけ打てるのは、そういう「自分に腹が立っていたんで」という、そういう自分への闘争心みたいなものを持っているからなのだろうなあ、と思う。

自らを奮い立たせるものは、もちろん人それぞれに違う。このバッターを討ち取りたい、このピッチャーから打ちたい、そういうものだってもちろんあるだろう。プロスポーツだから、「相手チームに勝つ」ことが何より求められている。戦う相手のは、今目の前にいる敵チームだ。

だけど、そんな中でも、一番大きな闘争心の核になるものは、自分自身に対するものなんじゃないか、と、私は思う。あの時打てなかった自分に、あの時打たれた自分に、打ち勝とうとするその気持ちが、誰かを一番成長させるんじゃないか、と。

エスコバーはいつも、ベンチで黙々とノートをとる。その姿は、インスタで見せるひたすら陽気にカラオケをする姿とはまた違って見える。でも私はそういう、ひたすら陽気で、ひたすらまじめな人というのが、すごくすごく好きだ。「闘争心」は別に、メラメラと外から見えなくていい。それは手元のノートに、しっかり記されるものでもいい。それがまたいつか、大きな一本につながっていきますように、と思う。

悔しさを乗り越えていくことは、自分自身にしかできないのだから。



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