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「完璧な打線などというものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね」【6/28巨人戦●】

写真はとてもやるきのないねこ。

『カラマーゾフの兄弟』のすごいところの一つは、その「完成度」の高さだ、と思う。ストーリーはとにかく緻密で、宗教観の対立、その脆さをあぶり出すところは見事に描かれていて、性別、階級、差別、愛、恋、家族、どのテーマをとってもしっかり書き込まれている。だから本当に、ページごとに全部はっと驚かされて、すべての、本当にすべてのページがくまなく面白い。

あれはもう、ほぼ、「完璧」と言える。

さらにすごいのは、それでいてその完璧さに息がつまることもないところだ。私は基本的に、完璧なものよりも不完全なものに愛着を持つし、人生にも日々にも「あそび」の部分は必要だと思ってるし、どんなものでも「抜け」みたいなものが好きだ。(もちろんそれは私があまりにも不完全な人間だからだと思う。)それでも、『カラマーゾフの兄弟』の完璧さには疲れさせられることはない。めくるめくストーリー展開をそのまま楽しめる。そういう部分を込めて、本当に「完璧」だと思う。

で、そんなものを書ける人がこの世にいるかと言うと、それはもう正直、ほとんどいない。こういっちゃなんだがドストエフスキーでないと無理だ。そう言ってしまっては元も子もないけれど、それはもう、努力してどうこうなるもんではなくて、ドストエフスキーというのはまあもう、とんでもなく天才だったのだろう。書かれてからもう100年以上が経つわけだけれど、さっぱり色褪せないというのは、それはもう何年かに一度現れる天才が書いた物語だというところも多分にある。

野球界もプロの世界だからもちろん、そういった天才は存在する。でもそれは本当に、一握りなのだ。プロとはいえ、その中でも例えばドストエフスキーレベルの天才なんて、もう数年に一人でしか現れてこないだろうと思う。

プロの世界にいる多くの人は、コツコツ努力を積み重ねることのできる、「努力の天才」だ。

だから、「完璧な試合」というのはおそらく、どこにも存在しない。生かせないチャンスも、許しちゃダメな失点も、そこには必ず生じてくる。

そしてそれが積み重なると、時に12失点という結果になる。

・・・・・・・12失点?

ちょっとすぐには理解ができない。12失点?

いやでも考えてみてほしい。12失点、それは確かにやりすぎかもしれない。たぶんやりすぎだ。そもそも12失点だったか10失点だったか9失点だったかも忘れた。ちょっと少なくしていってみたけど。

まあとにかく12失点したとしよう。でもそれは相手が、稀に見る「完璧」なチームだったのかもしれない。戦う相手の打線がドストエフスキーだったのかもしれない。坂本+丸+岡本=ドストエフスキー。成り立たなくもない気もしなくもない。

それならば、できることはなにか。

20点とることである。

パンがなければケーキを食べればいいじゃない。12点取られるなら20点取ればいいじゃない。マリーアントワネット打法。そういうことだ。

完璧な打線などというものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。村上春樹打法。そういうことだ。

片方のチームは必ず負ける。ドストエフスキーは100年に一度しか生まれない。ヤクルトは今日も負ける。4勝5敗。(…悪くない)

でもまあとにかく、明日はやってくる。「そういう日もある」で終わらせてはいけない試合のような気はしているけれどもそこは「究極に悔しい」と言葉にした高津さんに任せて、私は今日も静かに、20点取る日を心待ちにしていようと思う。

天才でない私は、どんな時でも(たとえ12失点しようとも)コツコツと日々を積み重ねていくしかないのである。(悟り)


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