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佐渡島にチョコレート工場を作る〜チョコレートとの出会い〜

こちらの記事の続きです。

1.尾道での暮らし

仕事を辞め、住所不定無職になり尾道にやってきた俺。
ひとまずはヤドカーリというゲストハウスにお世話になることに。
ここのヒロさんも凄まじく懐の深い人で。
「俺、家も住所もないんですけど尾道に行きたいんです。」
「そうなん。じゃあとりあえずウチ来れば?」
と、ほぼ面識のない俺のことをあっさり受け入れてくれた。

ヤドカーリに滞在しながら、先述のミクくんと一緒にフリアコをしながら遊ぶ日々。ゆっくりと朝起きて、海辺のハンモックでパンを食べる。金はないはずなのに、どういうわけか優雅だった。ミクくん曰く、俺たちは時間セレブだった。

尾道には空き家がたくさんあり、それを利用してカフェや、ゲストハウスや、美容室や、靴屋などなどを営む人が多かった。皆、のんびりと過ごしている良い街だ。

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幸いにも、ちょうどすぐ入居できる空き家が見つかり、俺はそこに住み始める。
仕事はせず、友人を増やしたり、イベントに参加したり、車の免許を取ったりと、
悠々自適に尾道での生活を楽しんでいた。
そんな折、一つのニュースが飛び込んできた。

「尾道の山奥にチョコレート工場を作ろうとしている3人組がいるらしい。」

俺は耳を疑った。チョコレート工場?面白い人たちがいるもんだ。

2.USHIO CHOCOLATLとの出会い

チョコレート工場がオープンしたのは2014年11月のことだった。
しんや、やっさん、A2Cの3人組が、尾道の向島の山奥に立ち上げた工場は、
その名をUSHIO CHOCOLATLと言った。
俺は程なくして彼らと知り合う。

彼らは凄まじくバカだった。
元々バンドマンや役者であったが、うだつの上がらなかった彼らは、社会不適合者の集まりであり、30歳を超えても小学校すら卒業できていない、尾道の悪ガキという印象だった。頭のネジが1本どころじゃない、5本も6本も足りていなかった。
だが同時に、とてつもない才能を秘めたタレント集団だったのだ。

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USHIOの勢いは凄まじく、瞬く間に行列のできる人気店となり、
一気にスターダムにのし上がった。
忙しくなったてきたある日、A2Cに声をかけられた。
「忙しくなってきたからさ、パッケージだけでいいから、手伝ってくれへん?」

まあ暇だしいっか。でも俺はあんな社会不適合者とは違うのだ。真っ当な人生を歩むのだ。せいぜい手伝うのはパッケージだけだ。俺の時間があるうちだけだ。

気がつくと俺はカカオ豆の焙煎を始めていた。

世代も嗜好も近かった彼らとは、あっさり意気投合してしまった。
残念ながら俺も立派な社会不適合者だった。

USHIOでの仕事はそれはそれは面白かった。
ここで言い表せないどころではない。俺の語彙では総括する一言さえ出てこない。
たまに仕事で尾道を離れているときにふと思い起こすと、あれは全部夢の中の出来事だったんじゃないか、とさえ思うような摩訶不思議な経験の連続だった。
様々なエピソードはまたいずれ。

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一番の魅力は、素人集団が、地方から、こんなに力強い発信をしているということだった。チョコレートはそのためのツールに過ぎない。
だからなんでも良かった。ネジでも。ワラジでも。クイックルワイパーでも。
だけどチョコで良かった。ポップで、キャッチーで、食に携わることだから。

あっという間に仲間たちは増え、2年経って会社になり、その2年後には姉妹店の
foo CHOCOLATERSもオープンした。
その過程で俺たちはチョコを持って日本中に出店に出向き、様々なイベントに顔を出し、たくさんのクリエーターやブランドとつながり、コラボ商品を作った。
カカオ豆の仕入れのために、南米トリニダード・トバゴにも行った。

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3.USHIOのチョコレート

チョコレートについても触れたいと思う。
いわゆるUSHIOのチョコレートBean to Barと呼ばれるものだ。だが、Bean to Barというのはカカオ豆からチョコレートまで一貫して作ることを指す。
だから明治さんや森永さんも立派なBean to Bar。どころか大先輩だ。
だが日本ではカカオ豆と砂糖だけで作るチョコレートのことのみを指す風潮があり、歪曲した言葉の氾濫を嫌う俺たちは「チョコレート工場」の呼称を貫いた。

大々的に謳ってはいないが、USHIOのチョコレートのテーマは大きく分けて3つ。
ヴィーガン、シングルオリジン、ダイレクトトレード。

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▲ヴィーガン
USHIOのボス、シンヤはヴィーガンだった。ヴィーガンとは菜食主義者の中でも比較的厳格な、動物性のものを摂取しない人たちのことを指す。ヴィーガンの立場をとる理由は宗教、体質、思考様々だが、シンヤは「自分で殺せないものは食べない。」というシンプルな思考の持ち主だった。

多くのチョコレートにはミルクが含まれているため、シンヤは食べられないが、ある時、カカオと砂糖だけで作るチョコレートと出会った。これがUSHIOを作るきっかけとなった。

▲シングルオリジン
カカオ豆はいろいろな国で採れる。日本のカカオ豆市場はガーナ産の物が大半を占めているが、中南米、アフリカ、東南アジアなどに広く分布している。
そしてコーヒーやワインがそうであるように、当然の如く国によって味が違う。
ブドウ、オレンジ、ベリーなどのフルーツを思わせるバラエティに富んだ味だ。
食べ比べてみるとびっくり。それもカカオ本来の魅力だ。

▲ダイレクトトレード
そして一番大事なのがこのダイレクトトレード。現地まで直接足を運ぶ。
理由はたった一つ。

「良いカカオ豆が欲しいから」

良いカカオ豆ってなんだろう。
それは賞を獲るような美味しいカカオの事じゃない。
例えばオーガニックである事、それからフェアトレードである事、チャイルドレイバーフリーである事。

チャイルドレイバーとは児童労働のことだ。カカオの原産国は貧しいところが多く、小さな子を労働力として借り出してしまうという問題がある。

俺たちはそうじゃないカカオ豆を仕入れたい。
もっと言うと、オーガニックだの、フェアトレードだのは、当たり前のこととしたい。それをさも付加価値のようにしていると、いつまで経っても当たり前にはならない。
「僕たちのチョコレートはオーガニックでフェアトレードです!」
「あっそう。そんなの当たり前じゃん。その上でお前はどんなチョコ作るの?」
これに答えられなければならないと思う。

だから現地に行き、直接生産者と話し、一緒に飯食って、音楽でも聴いて、その人たちの生活を知る。
カカオ豆を買う。金を払う。その金でこの人たちが飯を食う。うんこをする。

「この人たちのうんこのためなら、俺たちは金を払いたい。」

そう思える人たちと仕事をしたい。というのはUSHIOイチ熱しA2Cの便。
間違えた。弁。

とにかく、そういう熱い思いのこもったチョコレートなのである。

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そんなこんなでチョコレート作りにすっかりのめり込んでいるうちに、俺はいつしかUSHIOの中心メンバーとなっていた。


そんなある日、シンヤが突然こう言った。

「俺たち全員、独立しよう」

えっ?

〜こちらの記事へつづく〜





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