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山岡さんの「遺言」

翻訳家の故山岡洋一さんがお作りになった『翻訳訳語辞典』を公開しているサイト「辞遊人」(https://www.dictjuggler.net)の管理人をしているマーリンアームズ株式会社の武舎(むしゃ)広幸です。

ある翻訳会社で山岡さんの下で働いていたカミさんを通してお付き合いが始まり、私が(翻訳以外に)ソフトウェア開発も行っていることから、山岡さんがお持ちのデータの公開のお手伝いすることになりました。公開の詳しい経緯については『翻訳通信』(http://www.honyaku-tsushin.net/)の「2007年4月号」および「山岡洋一氏追悼号」に書きましたので、ご興味のある方はお読みください。

さて、上記『翻訳訳語辞典』ですが、クラウドファンディングで皆様にご協力をいただいて「バージョンアップ」を行いました。この記事ではその経緯をお知らせしたいと思います(なお、この記事は「翻訳Webzin」で公開中の山岡さんの追悼記事に合わせて執筆したものです。また、サイトで公開中の辞書等の一覧を末尾に記載いたしましたのでご覧ください)。

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山岡さんの訪問

亡くなる前年(2010年)の秋のことだったと思うが、山岡さんからお電話をいただいた。「話がしたいのでお宅にお邪魔してもかまわないか」とおっしゃる。

我が家では、ごく近い親戚を除いてお客様は滅多にしないのだが、大先輩から言われてお断りする理由もないので、「いったい何のお話だろう」と思いつつもお受けした。

当日は最寄りの駅まで車でお迎えに行き、我が家で「蔘鶏湯(さむげたん)モドキ」と呼んでいる韓国料理を模した鶏料理を準備してお迎えした。少し前に入院なさったとかで、お酒は飲まれなかった。

実のところ、その日は何の話もしなかった。3時間ほどはいらしたので、物理的に何も話さなかったわけではないのだが、結局、三人で翻訳や英語に関係する雑多な話をしただけだった。『翻訳訳語辞典』についても少し話は出たが、内容には私はノータッチだったので、「今後どうしたい」とかいった具体的な話はなかった。

突然のお別れ

翌年(2011年)の夏、翻訳仲間からの連絡で山岡さんが心筋梗塞のために他界なさったことを知った。その十日ぐらい前に、メールで更新データについてやり取りをしたばかりだったので、あまりに突然の出来事だった。

山岡さんの葬儀で伺ったお話では、前年の入院の原因も心臓の不調だったらしい。お元気そうに見えたのだが、ご本人には予感があったのか、「これからも、よろしく頼む」という意図の訪問だったのかもしれない。

『翻訳訳語辞典』はどうなってしまうのだろうか。多くの皆さんにご利用いただいているので、「公開終了」という事態は避けたかった。

実際、ある会社が「権利を購入したい」と声をかけてきたという話を耳にした。山岡さんの周囲にいらした翻訳者の方々が、いろいろ動いてくださったようで、辞書データの権利についてご遺族との相談がまとまり、これまでどおり公開させていただけることになった。

生前、山岡さんは数ヶ月に一度ぐらいのペースで『経済金融・証券会計訳語辞典』や『翻訳訳語辞典』の更新データを送ってくださっていた。前者については、ご自分が翻訳の最中に追加登録なさっていたようだ。山岡さんの新しい訳書が出る頃になると、更新データが送られてくることが多かった。

一方、『翻訳訳語辞典』はそれほど頻繁な更新は行われていなかった。原文と訳文を突き合わせて対応する原単語と訳語を拾い出さなくてはならないので、とても時間がかかるのだ。翻訳を勉強中の方々をアルバイトとして雇って入力していただていたようだが、「持ち出し」はかなりの額に達していたらしい。

経済金融・証券会計訳語辞典』の山岡さんによる更新はなくなってしまったが、現在も株式会社証券会計翻訳総研の方が更新を続けてくださっている(もし「古い!」「これ変では?」と思われる訳語があったら、お知らせください)。

だが、『翻訳訳語辞典』は山岡さんによる更新を期待できなくなってしまった。何をしてくれと頼まれたわけではないのだが、山岡さんの「暗黙の遺言」が気にかかる。どうしたらよいかしばらく考えて、まずは自分たちでできそうなバージョンアップを行うことにした。

* サーバのログを見て未知語を登録 ── サーバーのログ(利用履歴)を見ると、利用者に検索されたが、未登録のため訳語が表示されない単語がかなりあることがわかった。「辞書を引いても意味がわからない」というのはガッカリなので、これらについて代表的と思われる訳語を登録することにした
* 翻訳作業中に気がついたものを登録 ── 自分たちの翻訳作業中に『翻訳訳語辞典』を引くと、「こんなのもまだ登録されていないのか」というような単語や訳語に遭遇することも少なくない。ひと手間かけて、その際に未登録の語や訳語を追加するようにした

両方の作業で、約10,000語を新たに登録し、この名称を「辞遊人辞書」として『翻訳訳語辞典』の訳語と同じページに表示されるようにした。この結果、全体の語数は約30,000語になった。しかし、この辞書の最大の特徴は、翻訳者が訳書で実際に用いた訳語(「生きた訳語」)が実例とともにリストされるところだ。山岡さんはこちらも(を?)更新したかったのではないだろうか。

クラウドファンディング

私はアヤしいものが大好きである。腰痛に長い間悩まされたこともあって、鍼、灸、整体、レイキ...と、ありとあらゆる(西洋医学重視の人にとっては)アヤしい療法を試してきた。気功師のお免状をもっているほどである。

最初から西洋医学を否定していたわけではない。整形外科に何ヶ月か通ったが、メチャクチャ口の悪いお医者さんが処方した飲み薬で下痢になったきりで、まったく良くならなかった。もっともこれは●十年前のことなので、今では頼りになる西洋医の先生もいらっしゃるのかもしれないが...(アイヤ、昔も名医はいらしたはずだな。なお、気功の後に出会った「武術系ストレッチ」のおかげでここ十年以上、腰痛とは「再会」せずにすんでいる。この喜びを皆様にお伝えすべく、ストレッチ講座もやってますので、よろしかったらどうぞ(^_^))。

ブブセラの音がうるさかった2010年のサッカーワールドカップ南アフリカ大会の頃、ある会社で三ヶ月間翻訳講座の講師をした。私の担当は月・水・金の午前中だったが、週五日朝から夕方までのハードな講座だった。多くの翻訳講座がそうだと思うが、受講生の大半は女性であった。女性は概してスピリチャル系が好きである。受講生の中にも数名そのような方がいらしたが、中でも特にスピリチャルな人がいて、その方が「前世療法」をなさるYさんを紹介してくださった。

2015年10月にYさんと二度目にお目にかかった時、「辞遊人」の話をしたら、Yさんが「最近だとクラウドファンディングという手もありますよね」と言われた。「まあ、それもありか」とは思ったたが、具体的な行動は起こさなかった。

その頃私が付き合いのあるスピリチャル系(?)の人々から「アセンション」なる言葉をよく聞くようになってきた。私には実感を伴うものはまったくないのだが、まあ、無意識の私に働きかけた何かがあったのかもしれない。「そろそろクラウドファンディングやってみるか」と思った。

いつ、どのように決断したのかはっきりと覚えていないのだが、クラウドファンディングサイトREADYFORのアカウントを開いてパスワード等をメモしたのが、2019年11月13日13時38分48秒と記録されているので、「中国で新しい病気が流行り始めたらしい」というニュースが流れる少し前ということになる。

『翻訳訳語辞典』のクラウドファンディングのページのトップ画像に、"I felt ready for it, for some reason:" という例文が表示されるようにしたのだが、まあそんな感じだったのかなと思う(なお、数あるクラウドファンディング運営会社の中からREADYFORを選んだのは、『翻訳訳語辞典』のデータの中にこの例文を見つける前のことだ)。

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募集開始

準備を終えて、ページを一般公開したのが2020年2月22日のこと。果たして目標金額の50万円に到達してくれるのか。

最初の「支援者」はサクラをお願いしたカミさん。初日はこれ一件きり。合計5,000円也。

そして翌日、縁もゆかりもなさそうな方から3,000円の支援が届いた。すると、同じ日に6,000円、さらには10,000円。

さらにさらに、その翌日にはどなたかがSNSで触れてくださったようで、支援があったことを知らせるメールが1時間に何通も届くようになった。

そして、1週間も立たないうちに目標金額をクリアしてしまった。

多くの方が利用してくださっていたのはアクセスログからわかっていたことだが、皆さんの温かい気持ちが届いたように感じてメチャクチャ嬉しかった。(ご支援いただいた方々、「本当にありがとうございます」)

バージョンアップ作業

資金が集ることが確定したので、『翻訳訳語辞典』の追加データの入力作業を始めることにした。実際にはじめてみると、なかなかプランどおりにはいかない。

「辞書編集作業」を翻訳者の方々にお願いしたのだが、皆さん「辞書の編集」については素人であったのだ。私の拙い説明では、編集していただいた結果がどのようにシステムで使われて、どのように表示されるのかイメージしていただけなかったらしい。

このため、いただいたデータをすべて、ていねいに見直して所定の形式に編集し直す作業を私自身が行わなければならなかった。ゼロからやるよりはもちろん楽なのだが、これにかなりの時間を要してしまった。クラウドファンディングのサポート分は、辞書編集作業を行ってくださった方々にお支払いしてしまったので、この作業の費用は、会社としては「持ち出し(赤字)」になってしまったのだ。ヒットする項目が増えれば、ページビューも少しは増えて、広告収入も増えるかもしれないけれど…。

でも、何よりも、多くの方にサポートしていただけたそのことが嬉しい。辛い(!)翻訳作業をして得た収入の一部をお送りいただいた皆さんのためにも、もっとよいサイトにしていかなければ。

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公開中の辞書

最後に「辞遊人」内で公開している辞書や関連する辞書のページを一覧にしておきます。詳細はそれぞれの辞書等のページをご覧ください。

* 類語玉手箱 ──  上記『翻訳通信』の記事で触れた類語辞典の『類語玉手箱』は、現在別の単独サイトで公開されています
* 翻訳類語辞典 ──  上記類語辞典の代わりに『翻訳類語辞典』を作成、「辞遊人」サイト内で公開しています
経済金融・証券会計訳語辞典  ──  山岡さんがお作りになった『経済・金融訳語辞典』と株式会社証券会計翻訳総研(代表者は山岡さんの元同僚)が作成している『会計・金融・証券用語辞典』を合体した『経済金融・証券会計訳語辞典』も「辞遊人」内で公開しています
環境訳語辞典 ──  山岡さんにご紹介いただいた一般社団法人 環境問題翻訳チーム・ガイア の方々がお作りになった『環境訳語辞典』も同サイトで公開しております
翻訳訳語辞典 Quiz ──  翻訳家に挑戦! 翻訳訳語辞典の日本語訳語から、英単語を推測するクイズです。英語に自信のある方、腕試しにどうぞ。

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