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分類をして安心する人たち

先日、ダラダラとTwitterを貪っていると、こんな投稿を見かけた。

割と拡散されていた投稿なので、見覚えのある方もいるかとは思う。

私は、未だに「ブルベ・イエベ」がよく分かっていない。もちろん、これらの言葉が言われ始めた頃に、「ブルーベース」「イエローベース」の略語であり、肌(髪なんかも含むのか?)の基本的な色味を分類したものだということは調べて、そう認識をしている。
しかし、いろんな人の肌を見ても、何がブルベで何がイエベかは皆目分からないのである。
日焼けとは違うのか?とか、血色の問題じゃないんかそれ?といったことを感じるし、結局どこまで行ってもスペクトラムなのではないか、と思ってしまう。
とはいえ、割と反響のある投稿だったので、きっと一般的に見分けがつく概念なのだろう。
そう考えながら何気なく関連ツイートのリプライ欄を覗いてみた。そこでのある投稿が、私を深淵へと突き落とした。

いくらちゃんはイエベではなかったのか。

あと、付属している季節はなんだ。

最早お手上げである。私にはこれらの分類ができないし、それでいいと思う。


思えば、最近は世の中の分類についていけないことが増えてきた。
肌色に似た話だと骨格である。
「ストレート」だの「ウェーブ」だの、よく分からないままに雰囲気で受け取っている。これもまた、スペクトラムであるように思えて仕方ないのだが。

また、「mbti診断?」なるものもよく目にするがこれもよく分かっていない。質問に答えるとあなたの性格が分類される、といった類のものだと認識しているが、「当たってるー」という人を見るたびに、「そりゃ質問に答えてるのだから表面上当たっている気はするだろう」と冷ややかな視線を遣っている。
この件については、専門機関がネット上での安易な診断に警鐘を鳴らしている、という状況もあり、かなり否定的な立場をとってしまう(IQ診断を思い出さずにはいられない。IQ130オーバーの外れ値が大量発生するアレだ)。

さて、理解できないものを敵視したり諦めたりするのは老いの特徴の一つであるように思うが、それでも抵抗があるものは仕方がない。不要な分類が不要な対立を生み、不要な選民思想へと繋がらないことを願うばかりである。
(対立はもう生まれているようにも見受けられる。もし分類が行われなければ発生しなかったものかもしれないと思うと遣る瀬無い)

とはいえ、物事を分類し、切り分け、それぞれに名付けをできるということは、それだけ世界の認知が豊かである、と言うこともできるかもしれない。
私が、「血色が悪い」としか捉えられない印象を、若年世代は「ブルベ春」だの「イエベ冬」だの、より詳しく切り分けるに違いない。それは、彼らが私よりルックスの印象について豊かで細やかな感性を持っているからこそ起きうることである。

最早私は鮮やかな世界を見ることは諦め、均質な灰色の世界で生きることに決めた。これからは、彼らが人間を細かく分類した、色鮮やかな世界を創り上げていくのだろう。
それが、息の詰まるものでないことを、心から願うばかりである。

2024.5.25  平凡なコーヒーを飲みながら

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