期待ばっかりだけど、こんな最悪な日はそれでも許してほしい。
昨日は良い気持ちで終わったのに、日付が変わってすぐ嫌なことがあった。自分の問題だけど、反論も出来ない状況だったから謝ると、あっさり終わってしまって悲しかった。
苛立ちや緊張感はすぐに言葉にしておいた。
そうすると俯瞰して考えられて少しだけ楽になった。折角良い日だったから、その気持ちのまま眠りたかったのに、目の前の食事も食べられなくなるほどに気分が落ちた。
嫌なことは重なるし、積み重なると悲しくなって、虚しくなる。
朝になってもいまいち力が入らなかった。数人から連絡が来ていて、何と返事をすれば良いのか分からない内容だったり、自分が原因で断りの返事をしなければならない内容だったりした。
そうやって、いろいろな人を遠ざけて、距離を置いて、関係を切りたくなってしまう。
でも、この嫌な気持ちを貯めるだけで嬉しいことと引き換えてくれるなら、それも楽だ。この嫌な気持ちをラジオ体操のカードやポイントカードみたいに貯めて、集まったら生活が進んでいくシステムがあれば良いのに。
今日は予定より早めに起きてやりたいことを済ませた。大切な人にはたくさん時間をかけたいし、たくさん感情を分けたい。そうやって大切だと示すしかないからそうやって大切を知るんだ。
起きてから、寝る前の重たい気持ちを引きずって体が重くて仕方なかった。それでも今日も楽しみな日だから支度をする。ご飯を食べながらドラマを見ていた。なんとなく笑ってしまって、嫌なことなんてなんとなくどうでも良いような気がしてきた。
事実があって、それに対して自分がどう思うか、だけだから、変わらない事実に何を思ったって仕方ないと思えた。
夜は良い時間だった。少し残念なこともあったけど、良いことの中にいればなんだって良い。
彼は、死んだ人には歌は届かない、と言っていた。綺麗事を言わないところが格好良かった。
死んだ後ならいつでも近くで濁りのない音を楽しめると思い込んでいたけれど、言葉にされて気付いた。それは戯言だ。昨日死ななくて良かったな。一瞬を超えなくて良かったな。
死んだ人の思い出は美化される。生前の良いことを思い起こすより、何で死んだんだって思うほうが優しい、と昔彼は言っていた。その時動いた心は嘘じゃなかった。死ぬことより生きることの方が大変だから。
嫌なことがある枠なんてとても小さくて、もっと広い世界を見れば何も怖くなかった。何も出来ないのに、何でも出来るかもしれないと思わせれくれるからずるい。
自分はどう足掻いても彼にはなれないけど、近付くことは出来るかもしれない。もっと現実をちゃんと過ごせば、鮮明なこれからが見えてくるかもしれない。
期待ばっかりなんだけど、こんな最高な日はそれでも許してほしい。
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