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わたしたちの美しく素晴らしい愛と調和の平安な世界、ハートから無限に広がる宇宙を線や色や…

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わたしたちの美しく素晴らしい愛と調和の平安な世界、ハートから無限に広がる宇宙を線や色や音で表現しています。

最近の記事

わたしの世界

外側をみたから 内側をみて 自らの愛で 自らを 優しく包む わたしの世界に 愛が溢れて いきますように わたしの世界に 光が満ちて いきますように わたしの世界 こころの中にいる全ての人が 幸せでありますように わたしの世界 こころの中にいる全ての人が 今日も笑顔でありますように

    • September

      ギャラリー鬼無里での展示も、残すところ2日となりました。山を越え展示に足を運んで下さり、ありがとうございます。 昨年11月に、それまでの仕事をやめて、春から夏にかけては、行き先も決めることができず、たえず揺れ動いていました。8月に入り行先の答えが出た後はしばらく体調を崩し、回復後程なくしてギャラリー鬼無里での展示が始まりました。 わたしにとって9月は、少し特別な月です。 ギャラリー鬼無里での展示をお誘いいただいた時には、5月〜10月の間で月ごとの選択肢がありました。9月

      • ギャラリー鬼無里・展示徒然

        ギャラリー鬼無里で開催中の展示も折り返しです。 長野市鬼無里というところは、長野市街、戸隠、白馬からは、それぞれ車で30〜40分。自身が住んでいる安曇野からは1時間20分ほどかかります。 小川村からのルートでは、途中 戸隠連峰に出会える場所があります。山々を眺めていると、連続するカーブで集中していた意識が、開放されていきます。 ギャラリーの母体であるいろは堂は、長野のソウルフードおやきの名店ですが、鬼無里が本店です。本店で当日焼いたおやきは、やっぱり美味しいとの噂ですが

        • ギャラリー鬼無里・展示の様子

          昨年秋から今年にかけて、内側の崩壊、アイデンティティを手放さずにはいられない流れがやってきていました。 そんな中で、仕上がった点描曼荼羅が一点ありました。金色のペン一本、金色の点だけで描かれたその曼荼羅は、一昨年制作した金色の紙の切り絵を所有して下さっている方のオーダーで制作させていただいたものです。 作品が届いた際にすぐに下さったメールの一文字一文字に胸が震え、安堵した記憶があります。 わたしはいつもどこか、できない感覚を持ち合わせていて、オーダーも気軽に受けられない

        わたしの世界

          作品展のご案内

          長野市鬼無里 老舗のおやき屋さんの本店に併設された ギャラリー鬼無里のサブ会場にて 作品展を開催します。 今回は、タイトルがつけれずに 準備が進んでいきました。 より緩やかに、偏ることなく ニュートラルな意識で 自然と創られていく世界を楽しめたら そう思っていました。 8月上旬に 少し長めに身体と向き合うこととなり そこから派生して (いつかできたらいいな) そう思っていたことへのアクションを 取ることになりました。 なぜそれが今になったのかは きっといつかわかるので

          作品展のご案内

          こころの扉

          それでも 完璧 って言えるの? それでも 祝福されてる って言えるの? 過去の ありとあらゆる場面 今の ありとあらゆる状況を 静かに眺めながら 心の中の湖が波立つたびに そう問いかけてた 答えはいつも ふとした時にやってくる 例えば 車の運転中…とか 人生のドラマの中で 一瞬にして 全てが後悔となり押し寄せる そんな場面にでくわして わたしが再び 安心の息を吹き返すまで 圧倒な愛だけが ハートにひびき続けたことがある ありとあらゆる後悔 その問いかけへの全ての答え

          こころの扉

          あたらしいじかん

          安曇野には素敵な作家さんがたくさんいて、みなさんそれぞれにそれぞれの世界を創っている。 色んな方と交流があるけれど、時計作家のサンガキヌヨさんとは、なんだかんだ日頃から行き来をしているかもしれない。 今から6年ほど前の春、わたしは転機の真っ只中にいた。主人と共に北海道に移り住む予定で、仕事もやめることになっている。全てが北海道行きに向かう中で、わたしだけ行くのをやめようかという選択肢が出てきたのだった。 各方面で、盛大に送り出してもらいながら、やっぱりやめました、ちゃん

          あたらしいじかん

          意識の変換期

          時間は決して連続しているわけではないようなので、過去も未来も実は存在しないのかもしれませんが、一般的に認識している時間軸を基準にして言葉にするなら、毎年立春に新しい風に切り替わり、そこへ向かう変化が秋分から冬至にかけて色濃く起きていくというようなサイクルがあり、魂の進化成長をしているような感覚があります。 魂の進化成長は、人としての進化成長とは全く異なるもので、人間の意識ではむしろ、進化しようと思うほどエゴが増強され、本質からは遠のくイメージがあります。けれどもそれも計画の

          意識の変換期

          作品展「生ききる」御礼

          井上百貨店 本店6階 ギャラリー井上(西ホール)にて、9月7日(水)から13日(火)まで開催されました、小林史作品展「生ききる」が閉会致しました。 6日間の会期中に多くの方にお越しいただき、心より感謝を申し上げます。会場まで来れない方々からからもお祝いや応援の想いを送っていただきありがとうございました。 2012年の初個展から10年、その時にできることをやりたいようにカタチにするスタイルで制作と発表を続けてきました。百貨店の画廊の舞台は、少し背伸びするような感もありました

          作品展「生ききる」御礼

          小林史個展〜生ききる〜2022.9.7-13井上百貨店本店ギャラリー

          一歩を前に踏み出したら すぐにその一歩目がなくなり 次の一歩を前に出す 春から夏にかけて 砂地の稜線上を歩いているような日々でした 出来事は次々と起き 足元のアンバランスさを感じつつ 自身のバランスを取りながら過ごすことは 容易なことではありませんでした 心が閉ざしていく感覚 笑顔がなくなっていく感覚 対立が浮き出てくる感覚 それらを感じるたびに 「バランス」「透明」「順調」 そんな言葉を自身にかけながら 日々を過ごしていました   どちらが上で、どちらが下か どち

          小林史個展〜生ききる〜2022.9.7-13井上百貨店本店ギャラリー

          Venus

          外側の争いは、なかなかなくならない けど、内側の争いは、必ず、終わる かたちのない領域では 光の粒子だけが存在し そして、光という認識さえない 領域もある 領域、なんて言葉も、きっとないのだろう ともあれここは3次元地球だから 誰かも居るし、何かも起きている 対人関係における微かな摩擦 そこに 「虐げる」という質のエネルギーを感じる 気のせい、なのかもしれない いじめられている、とも思わないし 嫌なことをされている、とも思わない 擦り寄る必要もなければ 避ける

          作品展のご案内

          作品展のDMができました! ここ4年ほど、職場である絵本美術館のアートディレクターTさんが、作品展のDMを手掛けて下さっています。今回、とてつもなく忙しい日々のごく僅かのひと息に滑り込むようにお願いをして、DMを手掛けていただきました。 ところが、お願いをした時点(10日程まえ)には、まだ作品展のタイトルもメインビジュアルも全く決まっていませんでした。 Tさんから、「パキッとした感じで」と提案があり、黒の紙を切ることにしました。そこに、イエロー、ピンク、オレンジ、グレー

          作品展のご案内

          すくうてのひらにふれて

          社会の役に立ちたい 誰かの役に立ちたい 役に立っていないと 存在している価値がないような気がしてた だからいつも 形になっていくことや 表現することにこだわってきた 誰かを救いたいという想いが いつも根底にあったけれど 肝心なところで 大切な人ひとり救えなかった それがある意味 そうでしかなかったとわかってからは 誰かを救うことはできない そう嘆く自らの想いのみ掬い上げてきた すくってもすくっても 手のひらから砂のように溢れおちていき ふるいにかけられたそれを また手

          すくうてのひらにふれて

          一歩づつ

          今を大切にしたい。 過去でも未来でもない今。 人にはそれぞれの物語がある。 色んな登場人物。 登場人物ひとりひとりの気持ち。 信じられない 信じたくない出来事が起きた時 心の中の宇宙に たくさんたくさん問いかけた。 何を問いかけても 答えは 『愛しているから』 だった。 それからしばらくして また何かあった時 ふと浮かんだ言葉があった。 『誰も何も悪くない』 誰も 何も 誰も 何も そうして 感情をみつめて 光に還してきた それ

          一歩づつ

          砂地

          近ごろの感覚を言葉にしてみる。 砂漠を歩いたことはないけど、高い砂山のてっぺんに一歩足を踏み出して、一歩が消える前にまた一歩を踏み出して、決して立ち止まることができない時を過ごしている。 見えている世界の「今」が、どんどんと狭まってきて、触れている世界が今にも消滅していまいそうで、これ以上、切り取ることができなくなってしまっている。 作家と名乗り始めてから、その時にしたいことを、時には研磨しながら、時にはゆるやかに、時にはただ楽しく制作をしてきて、不思議と色んなタイプの

          渓谷緑地公園

          感覚の話しが続きます。 裸足で散歩をしてみませんか?と 友人が誘ってくれて 近所の渓谷緑地公園に初めて行ってみた。 友人はよほど好きらしく その公園をよく訪れるらしい。 駐車場に車を停めて 裸足で歩き出す。 砂利の上 アスファルトの上 踏み固められた土の道に松葉が落ちた上 日陰のアスファルトに広がる苔の上 木製の橋の上 砂地の上 クローバーの上 一歩づつ足を踏み出すごとに冒険だった。 そのうちに遊歩道を少しそれると 水に足をつけられるところがあって 飛び石を渡って

          渓谷緑地公園