見出し画像

あたらしいじかん

安曇野には素敵な作家さんがたくさんいて、みなさんそれぞれにそれぞれの世界を創っている。

色んな方と交流があるけれど、時計作家のサンガキヌヨさんとは、なんだかんだ日頃から行き来をしているかもしれない。

今から6年ほど前の春、わたしは転機の真っ只中にいた。主人と共に北海道に移り住む予定で、仕事もやめることになっている。全てが北海道行きに向かう中で、わたしだけ行くのをやめようかという選択肢が出てきたのだった。

各方面で、盛大に送り出してもらいながら、やっぱりやめました、ちゃんちゃん。というのは、見送ってもらったみなさんに対しての裏切りのようにも思えたけれど、長らく、自分自身の本音を無視して生きてきたからこそ、その時のわたしには、わたしはわたしを幸せにするんだ、という強い想いがあって、他者に対する体裁よりも自分の正直な気持ち(感覚)に従うこととなった。

たくさんの方に、北海道に行っても頑張ってね!と声をかけてもらい、プレゼントなどもたくさんいただいた。その中のひとつが、サンガキヌヨさんがくれた、彼女が手掛ける振り子時計の土台となる木の板だった。

その木の板は、横向きの女の子が両手を差し出している形に切り取られていて、下塗りがしてあった。「フミちゃんは自分で塗れると思うから、色付けができたら組み立てますね」と、引っ越しのお祝いに下さったのだった。

作家さんの手掛ける作品というものは、その方の仕事ぶりが、何にしても伝わってくるものだけれど、無地の時計版の圧倒的な存在感に、何も描けず6年が経った。

この6年は、振り返れど思い出せない程、清算の日々だった。様々な出来事、そこに付随する感情、今にいないことで感じるありとあらゆる恐れとの対峙。もちろん、喜びも祝福も感じて。そう、全てが、ハートの中に還り、ハートの中にあるから、出来事、記憶としては、もう思い出す必要がないのかもしれなくて、ある意味、記憶喪失のような状態にある。

そう。それで、この春
振り子時計が、仕上がった。

秋から生活に変化があり、冬には、変容の色、紫色のセーターばかり身につけていた。年末年始には北海道を訪れ、その流れもあって、一面の紫、どこまでも続くラベンダー畑を見てみたいなと思ったことから、ちょっと幸せな妄想が拡がった。

描き上がった時計版を、サンガキヌヨさんが時計に仕立てて下さって、新しい時間が始まった。


一斉に咲きだす
約束の春が
春が
きたよ

2023.春分




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?