卓越性と多様性 ー石川涼子「芸術文化政策をめぐる政府の中立性の考察」

 フォーラムとしてのミュージアムとテンプルとしてのミュージアム。

 伊藤寿朗もダンカン・キャメロンも、第二世代の博物館、あるいはテンプルとしてのミュージアムを批判はするが、それが不要だということはできない。

 博物館の存在そのものが「宝物(モノ)」を作り出してきたわけで、この「宝物(モノ)」に価値がないということは、自己矛盾になるからである。だから、批判はできても完全に否定することはできない。

 「宝物(モノ)」を作り出すということは、博物館の資料(モノ)が何等かの価値基準で選ばれていて、他のものにはない「卓越性」があるのだと、学芸員は主張するであろう。

 ある学問分野の価値基準を信じて、ありがたく拝むテンプルとしてのミュージアム。

 一方で唱えられているフォーラムとしてのミュージアムは、価値は未だにはっきりしない、参加や体験によって価値を創造していくことになる。こちらは、これまでの既存の価値観に囚われない「多様性」が重要になっていく。

 マイノリティや市民などさまざまな価値観を持った人の価値観を戦わせるフォーラムとしてのミュージアム。

 私は、この「卓越性」と「多様性」という二つの概念は、背中合わせの関係にあるのではないかとにらんでいる。(どちらかの比率が増せば、どちらかの比率が減るというような)

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_26-3/RitsIILCS_26.3pp79-90ISHIKAWA.pdf

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