他者を理解するための「弱い自己」 ー小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』

先述した近代社会におけるリベラルな思想のもとで長いこと評価されてきたのは「緩衝材に覆われた自己」(buffered self)で、啓蒙期以降の多孔質でない「自立した個」の比喩としても用いられている。他方、「多孔的な自己」は、より緩やかな輪郭をもつ、近代では希薄になりつつある存在で、他者の内面に入り込むほどの想像力を有する自己像である。

小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』講談社  pp21-22

 自己が一貫したものではなく、そのことによって「強さ(自律)」と「弱さ(依存)」をもち得るからこそ他者への共感が可能になる。

 「強さ(自立)」だけしかもち得ないとするならば、そこには「同情」という序列をもった感情を生じるが、同じ「弱さ(依存)」をももち得るからこそ「共感」が可能となる。そうした意味で複数性のある自己が、環境によってそのいずれかが立ち現れるだけというのも理解できる。

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