見出し画像

高源寺の地蔵ケヤキと桔梗塚...信仰と伝承を通して見る昔の人々の暮らし

今回は巨樹の投稿を。茨城県取手市の高源寺境内にある通称「地蔵ケヤキ」。

最寄り駅は関東鉄道常総線のゆめみ野駅。なかなかロマンティックな名前の駅ですが、ひらがななのがちょっとねぇ...駅から徒歩で20分くらいでしょうか。


お寺の境内全体がこの巨樹を中心にレイアウトされているといっても過言ではないほどの堂々たる姿。しかも内部が空洞になっていてお地蔵さまが安置されているという実に「絵になる」巨樹です。

↑の説明板にあるようにお寺が火災に遭った際に木にも類焼してしまいこの大きな空間(洞)ができたのだとか。しかもこのような状況になってもなお生命力旺盛らしい。動物で言えば内臓の部分を失ったような外見ですが、植物の生命には大きな影響は及ばないのでしょうか。樹木のもつ旺盛な生命力をうかがわせます。

樹齢1600年と言うのは「本当かな?」気もちょっとしますが、そんな疑問を力づくで黙らせる威風と神秘性を感じさせます。

そして洞の正面から見て向かって左手には小さな穴が空いています。↓の画像

このケヤキの木には説明板にある通りこの洞をくぐり抜けると安産になる、という信仰があったのですが、この穴をくぐり抜ける形だったらしい。ちょうど「くぐり抜ける」のにピッタリなサイズですね。

寺社巡りや山歩きがお好きな方なら「胎内くぐり」というものをご覧になったことがあるかもしれません。おもに山岳信仰に関わる山や寺院にあるものですが、修験の世界では自然にできた洞窟や岩穴をくぐり(通り)抜けることで生まれてきた世界(あの世?)へと戻ることができると見なされる(女性の(母親)の胎内を通るという形で)。

これが擬似的な死を意味し、そのうえでくぐり抜けた先の空間で修行なり祈りを行い再び胎内くぐりをくぐって出てくることで新たに生まれ変わったと見なされる。

こうした死と再生の儀式は世界中に見られると思われますが、その日本版といった感じでしょうか。有名なところでは神奈川県の江ノ島の岩屋などはそのための規模の大きな装置だったと言われています。

この地蔵ケヤキを巡る信仰もおそらく土台は同じ発想によって生まれたものだと思います。例えば和歌山県の熊野の熊野古道には安産祈願のご利益がある胎内くぐりの大岩がありますし、熊野那智大社にはこの地蔵ケヤキと同じように洞を通り抜けることができる胎内くぐりの樹木もあります。身ごもった母親がこうした穴・空間をくぐる抜けることでいったん生まれた世界へと戻って心身をリセットしたうえで子どもと一緒にフレッシュな状態で戻ってくることができる...みたいな考えがあったのでしょうか。

もともと民間の人々の間でこうした考えがあったのが修験道に導入されたのか、逆に修験道のコンセプトが民間の人々の間に広まったのか...おそらく前者のパターンで民間信仰が修験道によって体系化されたのでは、とわたしは推測したい。

そしてこの地蔵ケヤキの場合には木には魂(木霊)が宿っており、その生命力をあやかるという面もあったのでしょう。さらに地蔵菩薩といえば子供の守り神、そして死後の世界で苦しんでいる人たちを救う役割を担っている仏さま。

ということはこの地蔵ケヤキの洞の内部は「死と再生」に関する信仰、あらゆるものに霊と神性が宿るというアニミズムの要素、そして仏教思想という日本の伝統的な神秘感や信仰が凝縮されて存在している空間、ということになります。

そう考えるとちょっと足を踏み入れてみたくなりませんか?

それにしても巨樹というのはどこから見ても絵になるものですねぇ

それからこの地蔵ケヤキから徒歩約20分ほど、ゆめみ野駅の隣接駅である稲戸井駅のすぐ近くには「桔梗塚」と呼ばれる平将門伝説にまつわる史跡もあります。この地域も含めた茨城県南部には平将門関連の史跡・伝説絡みのスポットがあちこちに見られますが、その中でもけっこう有名なものです。


この説明板にもあるように平将門の愛妾と伝えられる桔梗の前という伝説上の女性にまつわるスポット。彼女を巡る伝説は各地に伝えられており、その素性に関しても将門の敵役の藤原秀郷のスパイ、または姉妹や娘など諸説あります。

丸投げになってしまいますが詳細は↓のWikiをご参照ください。諸説があって混乱してしまうので(笑) 

将門をテーマにした文学作品では将門の娘で父の敵討ちのために謀反を起こす妖術使い「滝夜叉姫」の母親、なんて設定になっていたりもします。

説明板に書かれているようにこの取手市の桔梗塚を巡っては「彼女の怨念によってこの地では桔梗の花は咲かない」という伝承が伝えられていますが、この伝承に関してとても面白い説を読んだことがあるので紹介したいと思います。じつはこの伝承は桔梗の根っこを原材料に作られる漢方薬を扱っていた商人たちが作って広めたものだ、というものです。

桔梗から漢方薬を作るためには原材料として使う根っこに栄養が十分に行き渡っている必要がある。そのため栽培する際には花を咲かせるために栄養を「無駄遣い」させないためにつぼみの段階で摘み取ってしまっていたらしい。だから漢方薬用の桔梗を栽培している地域では花は決して咲かないのだ、と。

どうでしょうか?実際にところはどうなのかわかりませんが、受け継がれてきた伝承とかつて行われていた習慣が一致する面白い例に思えます。

語り継がれる伝説・伝承は基本的には作り話なわけですが、そこにはしばしば昔の人たちの伝統や習慣が土台になっている。そうした伝統・習慣は時の流れとともに失われてしまうが伝説・伝承が語り継がれることによって後世の人間がかつての人々の生活の一端を覗き見ることができる。

伝説・伝承と親しむ醍醐味のひとつがここにあるように思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?