みゅぜぶらん八女の蔵書①

みゅぜぶらん八女 館長 久塚純一

第1回目

蔵書No.1
(著者)Janet R.Horne
(書名)A social Laboratory for Modern France---The Musée Sociale & The Rise of The Welfare State---
(総ページ数)352頁
(書籍の大きさ)23.5cm(縦)×16cm(横)
(発行所)Duke University Press(Durham and London)
(発行年)2002年

(解説)
『この本』を最初に紹介するのは、“みゅぜぶらん八女”という名称の由来と関係している。『この本』のサブタイトルに見られる“Musée Sociale (ミュゼソシアル)”が、 実は、“みゅぜぶらん八女”という名称の由来なのである。フランスが福祉国家化する過程で重要な役割を果たしたSocial Laboratoryである“Musée Sociale ”であるが、共済組合や社会的扶助などに関する古い史料を保管し、閲覧可能にしており、今日では「史料図書館」としての貴重な役割を果たしている。オルセー美術館のすぐ近くに位置していたこともあり、私がパリに居たときには時々通っていた。その“Musée Sociale ”について英語で書かれた書籍が『この本』である。“みゅぜぶらん八女”には、退職時に廃棄しきれなかった約3000冊の福祉関係の書籍や資料があるが、“Musée Sociale ”のような役割を果たしてもらえたらと思っている。


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蔵書No.2
(著者)J.Briand ,Ernest Chaudé , J.Bouis
(書名) Manuel Complet de Médecine Légale(第9版)
(総ページ数)1102頁
(書籍の大きさ)25cm(縦)×17cm(横)
(発行所)Librairie J.-B. Bailliére et Fils(Paris)
(発行年)1874年

(解説)
Manuel Complet de Médecine Légaleというタイトルの『この本』は、『法医学大全』とでも訳せそうな大著である。ただ、私自身は法医学の専門家ではない。では、何故、『この本』がココにあるのであろうか?私が、関心を持っていたのは、フランスにおける「医師への謝礼」がどのような過程を経て「社会保障化」したのであろうか、というコトについてであった。細かいことはさておき、「鑑定医」が鑑定のために出かけて行った際に受け取ることになる諸費用についての、刑事訴訟法についての記述が、私に、まさにヒントをくれたのである。


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蔵書No.3
(著者)G.Andral
(書名)Clinique Médicale, ou Choix D’observation Recueillies à L’hopital de la Charité Tome Ⅰ Maladies de L’abdomen (第一巻 腹部の疾病) 
(総ページ数)680頁
(書籍の大きさ)21.5cm(縦)×14cm(横)
(発行所)Crochard et Cie ,Libraires- Éditeurs(Paris)
(発行年)1839年

(解説)
私は医師ではない。なのに、なぜ「このような本」が・・・。タイトルにある<Clinique Médicale>を見て気が付いた方もおられるだろうが、一時期、Michel Foucaultの“Naissance de la Clinique” (邦訳は神谷美恵子『臨床医学の誕生』みすず書房)の方法にはまっていた私がいたのである。1839年の『この本』は、あまり価値のある本ではないのかもしれないが、とにかくほしかった。“みゅぜぶらん八女”の蔵書としては第五巻まではあるものの、残念なコトには欠落している「巻」がある。

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蔵書No.4
(著者)P.Cibrie
(書名)L’ordre des Médecins(Collection Midy)
(総ページ数)116頁
(書籍の大きさ)22.5cm(縦)×17cm(横)
(発行所)Laboratoires Midy(Paris)
(発行年)1935年

(解説)
今日のフランスでは、医師の組織化は、主に、①医師の職業倫理を基盤として内部統制する「医師会」(L’ordre des Médecins )と、②診療報酬等の医師の利害に係る「医師組合」(Les Syndicats médicaux)によってなされている。前者は義務的なものであり、後者は任意であるが、EUの創設以降、「医師会」(L’ordre des Médecins )についても事情は複雑化している。この「医師会」の歴史的系譜は少しだけ複雑で、単純化すれば、鍵を握っているのは、対独協力したヴィシー政府による職業集団に対する統制化と、その後のリベラシオンである。『この本』は、それより少し前の段階でのL’ordre des Médecinsについての概説書である。学術的価値はあまりなさそうであるが、なにはともあれ、最初に留学した時に、パリのクリニアンクールの怪しい古本屋(ただし、今はなくなっている)で、とても安く買えたという「想い出の一冊」である。

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蔵書No.5
(著者)内務省衞生局
(書名)コレラ流行誌集・第三巻
(総ページ数)65頁(図表を除く)
(書籍の大きさ)26cm(縦)×18.7cm(横)
(発行所)三秀舎
(発行年)1927(昭和2)年

(解説)
『コレラ流行誌集』という『この本』は、明治の十九年の「虎列刺(コレラ)」の流行について、「流行紀事」として、内務省の豫防事務と地方豫防事務についてまとめられたものである。東京市と大阪市の患者数、各地の患者及び死者の日計の表も付されている。図表の一つに「患者發生ノ順序」があるが、二千人以上は赤色で塗られており、今の熊本県・長崎県が赤色である。この地図を見ていると、今日なされている「新型コロナ」についての認識と表示方法が当時のままであることがよくわかる。言ってしまえば、いわゆる公衆衛生に関する行政的対応は、明治期に確立された「型」が色濃く残存しているということになろう。残念なことに、“みゅぜぶらん八女”の蔵書としては、全三巻のうちの第三巻しかない。

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蔵書No.6
(著者)厚生省人口局
(書名)衛生年報(昭和十四年版)
(総ページ数)257頁
(書籍の大きさ)26cm(縦)×18.2cm(横)
(発行所)厚生省人口局
(発行年)1942(昭和17)年

(解説)
厚生省は、昭和13年に、内務省から衛生局と社会局が分離される形で設置された。国民の体力向上、伝染病防止、さらに、傷痍軍人への対応や戦死した軍人の家族に対応する行政機関であった。『この本』が発行された1942(昭和17)年といえば、「國民醫療法(昭和17年・法律70號)」の制定された年である。法案提出理由には「・・・大東亞戰争ノ目的完遂ノ爲ニハ、心身共ニ剛健ニシテ、大東亞共榮圏内ノ如何ナル地域ニモ雄飛シ得ル不撓不屈ナル多數ノ國民ヲ保持スルコトガ、絶對ニ必要デアルト存ズルノデアリマス(以下略)・・・」とある。このような時代であったことから、『この本』の表紙左上には㊙との表示が記されている。さらに、表紙の裏側には「本書所載ノ統計表中昭和十四年ニ係ルモノハ其取扱ニ特ニ注意セラレタシ」と記されている。

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蔵書No.7
(著者)Jacques Léonard
(書名)La Vie Quotidienne du Médecin de Province au ⅩⅨe Siècle Siècle
(総ページ数)283頁(巻末にある目次の2頁部分を除く)
(書籍の大きさ)20cm(縦)×13cm(横)
(発行所)Hachette(Paris)
(発行年)1977年

(解説)
『この本』は、三冊が一つのセットになっているLa Vie Quotidienne des Métiers dans la France du ⅩⅨe Siècle Siècle(写真参照)のうちの一冊である。『この本』の表紙の絵は、Martinet Gel.の<田舎医者>,1836年である。大きなヒントをくれたのは、とりわけ、102頁以下の「医師の収入」の部分である。『この本』を買った頃の私は、例えば、①ル・ロワ・ラデュリ著(樺山紘一ほか訳)の『新しい歴史』(新評論、1980年)、②二宮宏之・樺山紘一・福井憲彦責任編集の『医と病い』(新評論、1984年)等のアナール派の方法にはまり込んでいた。ル・ロワ・ラデュリ著(樺山紘一ほか訳)の『新しい歴史』(新評論、1980年)には、「近代技術と農村風俗・・・バルザック『田舎医者』を巡って」が、215頁以下に掲載されているが、ココで私は、バルザックに出会ってしまい、パリに出かけたときには、20区のCimetière du Père Lachaise(ペーラシェーズ墓地)にあるバルザックのお墓にお礼を言いに通っていた。

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蔵書No.8
(著者)Jacques Léonard
(書名)La France Médicale au ⅩⅨe Siècle
(総ページ数)287頁(既刊本情報についての巻末3頁部分を除く)
(書籍の大きさ)18cm(縦)×10.8cm(横)
(発行所)Éditions Gallimard/Julliard(Paris)
(発行年)1978年

(解説)
蔵書No.7に続いて、『この本』もJacques Léonard氏の著書である。新書版程度の小さな書籍であるが、『この本』にも大変お世話になった。とりわけ、113頁以降の「医療扶助法(1893年)」についての記述、そして、213頁以降の医師の受け取る謝礼(診療報酬) についての記述は、ソレ自体というより、モヤモヤしていた私の気持ちを「やっぱり」という具合に支えてくれた。その頃は、モリエールやバルザック等など結びつけつつ、妄想しながら、私なりの「ソモソモ」と「深掘り」が始まったときでもある。

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蔵書No.9
(著者)Jacques Léonard
(書名)La Médecine entre les Pouvoires et les Savoirs
(総ページ数)384頁(巻末目次2頁部分を除く)
(書籍の大きさ)21.5cm(縦)×13.5cm(横)
(発行所)Aubier Montaigne(Paris)
(発行年)1981年

(解説)
蔵書No.7、蔵書No.8に続いて、『この本』もJacques Léonard氏の著書である。30年以上も前のことであるが、ヒントをいただきたいというより、刺激を受けたくて、Rennes 第Ⅱ大学のJacques Léonard氏宛てに手紙を書いたことがある。私自身の中で、「なぜ」、「何」を、「如何に」したいかが、まだ、まだ、十分に固まっておらず、さらには、フランス語で上手く表現できないにもかかわらず、無茶なことに、手紙を書いてしまったのである。「面白い方法があるものだ」とワクワクしながら、蔵書No.7、蔵書No.8、蔵書No.9等などを眺めていた当時の私にとっては、とにかくお会いしたかった方である。パラパラめくると、本文中には「アンダーライン」や「印」が付けられていないのであるが、巻末の参考文献(原典)の部分には「赤○のしるし」が付けられている。それらの「赤○のしるし」が付されたモノは、多分、当時の私が、「コピー」を手に入れたいと思っていたものなのであろう。Jacques Léonard氏は、1988年1月8日に他界されたそうでお会いできなかった。

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蔵書No.10
(著者)Paul Paillat
(書名)Vieillissement et vieillesse(QUE SAIS-JE ?No.1046)
(総ページ数)127頁(巻末目次1頁部分を除く)
(書籍の大きさ)17.6cm(縦)×11.3cm(横)
(発行所)Presses Universitaires de France(Paris)
(発行年)1982年

(解説)
同著者の<Sociologie de la vieillesse >も「QUE SAIS-JE ?No.1046」であるので、多分、旧版が<Sociologie de la vieillesse >(QUE SAIS-JE ?No.1046)で、『この本』は、新版という位置づけなのであろう。「写真」に見られるのは藤井良治訳『老年の社会学』(白水社、1974年)で、この邦訳本は、旧版にあたる<Sociologie de la vieillesse >(QUE SAIS-JE ?No.1046)を翻訳したものである。今日でも入手が可能な本であろうが、ここで紹介させてもらうのは、『この本』の著者であるPaul Paillat氏からの「喜んでお会いいたします」という、1991年2月8日付の手紙(写真参照)を頂き、パリの16区にあるFondation Nationale de Gérontologieに会いに行ったからである。もちろん、頂いたお手紙は大切に保管(?)している。そして、その時の何とも言えない緊張感は、今でもよく覚えている。

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