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私と歌舞伎

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感じたこと、猿之助さんに影響を受けたこと。
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猿之助さんのことから1年。

5月がスタートしました。 猿之助さんの事件からもうすぐ1年になります。 少し前まで5月が来るのが不安でした。 でも今は想像と違った自分がいます。 私が猿之助さんをラストに観たのが5月12日。それから舞台を観て寂しくて泣いたことはあったけど、舞台からの想いを受けて嬉しくて泣けたのが11月でした。大衆演劇で猿之助さんとご縁がある瀬川伸太郎さん恋川純弥さんの舞踊でした。 事件のだいぶ前、猿之助さんに直に澤瀉の紋を使用することをお許しいただいたそう。澤瀉の黒紋付で伸太郎さんの

荒川十太夫

大衆演劇を観るようになり、歌舞伎と同じお芝居がかかることが新鮮で面白い。 歌舞伎とは。。大衆演劇とは。。私にはわかりません。それぞれの工夫や技法を使って役者さんが体現することが、歌舞伎そのものであり、大衆演劇そのものなのかなと思う。 同じ外題でも物語の展開が違ったり、フォーカスする部分が違ったり。この一年で双方の違いを楽しむのも面白いと思うようになりました。 来月の浅草木馬館「劇団 暁」の公演で楽しみなことがたくさんあります。私は座長の暁人さんが創作するお芝居に興味があ

猿之助さんの女團七

前回のnoteで愛之助さんの団七のことを書いていたら、猿之助さんが演じた「夏姿女團七」が心に甦ってきました。 2014年秋、「市川猿之助連続奮闘公演」の二か月目にかかりました。前年の「坂東竹三郎の会」で演じて評判になり、本公演で上演が叶いました。 相手役が竹三郎さんでないとやらない!という猿之助さんの希望どおり、義母おとら役を竹三郎さんが演じました。 夏祭浪花鑑の男女逆転Version。この時、56年ぶりに本興行でかかったとか。竹三郎さんお墨付きの猿之助さんのお梶に大興

7月歌舞伎座に澤瀉屋

昨日、速報が出ました。 7月歌舞伎座夜の部に猿翁さんが手がけた作品がかかることになりました。 「千成瓢薫風聚光 裏表太閤記」(せんなりびょうたんはためくいさおし うらおもてたいこうき) 昭和56(1981)年に明治座で初演され、昼夜かけて上演されたそう。猿三郎さんのblogによると、大阪の梅田コマでも上演があったとか。その時以来、43年ぶりに甦ることになりました。 豊臣秀吉の出世物語「太閤記」をもとに、秀吉の華々しい「表」と、明智光秀らの悲劇的な「裏」を織り交ぜた裏表

四国こんぴら歌舞伎大芝居の思い出

「四国こんぴら歌舞伎大芝居」は5日に初日を迎えました。 おめでとうございます。 幸四郎さん染五郎さん、鴈治郎さん壱太郎さん、雀右衛門さんなどなど。お練りの様子がSNSにアップされて楽しく見ていました。コロナ禍を経て5年ぶりの開催です。町の方はどんなに待っていたことでしょう。本当によかった。 香川県琴平町の金刀比羅宮の門前町にある、現存する日本最古の芝居小屋「旧金毘羅大芝居」は、別名「金丸座(かなまるざ)」と呼ばれます。国の重要文化財です。 歌舞伎界の春の風物詩「四国こん

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旅をするように

4月がスタートです。 今日は予定がキャンセルになりお休みでした。迷っていた松緑さんの「紀尾井町家話」の配信を見ました。一人語りversionです。 猿之助さんのことに触れていると知り、また、友人たちが松緑さんの話を聞いてよかったと言っていたからです。 有料配信なので友人たちから内容は聞いていません。ドキドキしながら見始めました。 松緑さんでよかった。ファンの気持ちを汲んでくれた。また泣いた。優しさが嬉しくて、時が経ったことを感じることができて。。この気持ちをシェアでき

東日本大震災から13年

13年前の3月11日、東日本大震災が起こりました。 私は東京で地震を体験しました。レストランで打ちあわせ中でした。一軒家のレストランがすごく揺れてつぶれてしまうのではないかと思うほどでした。シャンデリアが180度振れていました。 お客やスタッフが長時間そこから動けなくなり、シェフたちが炊き出しをしてくれました。余震のたびに火が使えなくなったりして苦労しながら食事を作ってくれました。 夜、地下鉄が動いたので、偶然にも近所に住んでいるスタッフの方と二人で行けるところまで地下

改めて3月のこと

昨晩、猿之助さんのことを一気に書いたら、私の中の澤瀉屋スイッチが入っていくのを体感しました。 昨日は職場復帰をしました。また少し休んでいました。「ヤマトタケルを観に行くことにしたの」と話すと、「観てなかったの?」とか「なんで」とか「よかったね」とか。歌舞伎好きが多い日だったので盛り上がりました。 仲良しさんが「またうるさくなるねー」と。そうだった。職場では澤瀉屋と言えば私だから(笑)猿之助さんが出演していない月も「出てた?」と思われるほど猿之助さんの話をしていました。皆が

澤瀉屋

大好きな めぐさんと電話で話しました。 体調不安とか悩みとか聞いて欲しかったというより、声が聞きたかった。大事なことはやっぱり声で伝えたい。 そうしたら悩みがぶっ飛んだ(笑)私は自己価値を下げ過ぎてたみたい。追いかける人生を送っている場合ではなく、追いかけてもらう人生になりなさい。そうエールを送ってもらった。私なら大丈夫と。 私が私を信じてあげるため、今の自分を生きるため、身体の感覚を感じていくことに集中しようと思う。感覚と感情は一緒だと教えてもらいました。我慢した悲し

最近のこと

先月、自分の声で伝えたいことを伝えることができて嬉しくて、これからも観た舞台の感想を全力でここで伝えていきたいなと思いました。 「リスタート」 心機一転、歌舞伎も大衆演劇も、どんなジャンルも良いものは良い、楽しいものは楽しいとお話していきたいです。 思いついたのがアイコン。前回のものは定式幕を背景にしてました。歌舞伎の枠を超えたいかなと。 Instagramでいろいろイラストレーターの方を調べていたら、とっても優しい絵を描く方に出会いました。先月末にオーダーをし、修正

リスタート。

3月が始まりました。 先月、いろいろな気づきがありました。 声が出なくなったことで、心の声を聴くことができました。 頭で考え、先を憂いたり、人の気持ちを勝手に想像したり。 私はずっとそういう人でした。 心から溢れてくるものをそのまま感じられるようになりたいと思いました。私が本当に臨んでいることを怖がらず感じられるようになりたい。自分を信頼し、大切に思う人を信頼しようと思いました。 明日はないかもしれない。 幼くして亡くなった姪が教えてくれたこと。毎日、全力で楽しいこ

2月の観劇

2月がスタートしました。 今月も好きな舞台を観に行く予定です。 今日は歌舞伎座、大阪松竹座が初日でした。 おめでとうございます。 歌舞伎座は十八世勘三郎さんの追善興行です。もう13回忌とは。。ただただ時の速さを思います。そして会いたいです。 中村屋の皆様が奮闘する昼夜の公演。私は夜の部を予定しています。時間があったら昼も行きたいと考えています。 実は松竹座の愛之助さん右近さん壱太郎さん方も観たいと思っていましたが、唯一観劇できる日が休演日でした。とても残念です。

2012年 スーパー歌舞伎ヤマトタケル 1

私は澤瀉屋の「ヤマトタケル」が大好きです。 2012年四代目猿之助襲名披露公演で初めて観ました。そして、来月4日から約12年ぶりに上演されます。主演は、中村隼人さん市川團子くんのWキャストです。 大好きですが、猿之助さんの面影を探して悲しくなりそう。まだ観る気持ちになれません。でも、とっても応援したいのです。 今回の公演で、きっと当時の私のように心ときめき虜になる方もいらっしゃるでしょう。12年前、私は猿之助さんのヤマトタケルに恋をしました。 応援の気持ちをこめて、当

繋ぐこと

今日は、猿翁さん段四郎さんを送る会が行われました。 澤瀉屋のことを考え、想っていました。 私は今もほとんどネットニュースや雑誌類、TVを見ていません。良い事も悪い事も情報はもういいかなと考えています。生活が一変しています。 それでも劇場が好きです。 生活スタイルが変わっても、劇場へ行くことだけは変わっていません。演劇は私の生きる力です。 そして、ただただ。。猿之助さんが舞台に立つ姿が観たくて待っています。私が生きる理由の一つです。

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