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【マイストーリー】涌嶋美和さん
涌嶋美和さんとemmyとの出会いは、友人から誘われて2023年の写真展に行った時だった。
初日の舞台上であいさつする姿に、驚いた。
朱色のワンピースドレスを纏う姿は華奢でかわいらしい雰囲気だった。
しかし、話す声はとても冷静で、静かさの中にすごく熱いものを持っているのだと引き付けられた。
実際、展示を見てみるととにかく圧巻だった。
撮られてパネルになっている女性たちすべてが綺麗で、なぜか訳も分からず涙が出た。
私もここに飾られたい!
こんな写真を撮ってもらいたい!
![](https://assets.st-note.com/img/1708434994942-yiWjDPBjRK.jpg?width=1200)
もともと、個人でファッションスタイリストの仕事をしている。
投稿にも商材写真として、自分の写真は必要だった。
でも、三脚とリモコンがあれば自撮りだってできる。
撮ってもらわなくてもある程度のものができるならば、わざわざ撮ってもらう必要はないんじゃないか。
プロのフォトグラファーによる撮影は、気になっていたものの自分の中での重要度は低かった。
ただ、ちょうどこの頃、自分の中での変化があった。
気になる服のテイストが変わってきたのだ。
肌を見せるファッション。
身体のラインが綺麗に出る、女っぽさを感じるものが気になる。
おそらくずっと気になっていたのだけれど、人生のなかで避けてきたことに気付いたタイミングだった。
スレンダー体形で胸が小さいのが昔からコンプレックスだった。
グラマラスな体形の女性だからこそ、そういう服は似合うんじゃないか。
だから私には女っぽい恰好は似合わないのでは。
そんな無意識があったのかもしれない。
ちょっとずつでもいいから、女っぽさを出していこう。
そう思っていたタイミングだったのもあり、募集開始とともに勇んで申し込んだ。
撮影に向けて買った服は、背中や胸元、肩を出す服にした。
買った時は気負ってって買ったのだが、鏡の向こうの自分は違和感なく着こなしていた。
好きな服を着ていいし、着ればいい。
ふわりと、薄いヴェールをめくるように、自分の視界が開けていく。
友人たちにも褒められた。
いわく、「やらしくない。でも女性らしい。むしろ颯爽としていてかっこいい感じがする。」
胸が小さいから恥ずかしいって思っていたけれど、女性っぽさを出してもやらしくならないんだと気づいた。
「女っぽさ」の中に、どこかセクシャルなイメージが「いやらしさ」として否定的に含まれていたこと、そしてそれは勘違いだったということに意識が書き換わった。
どんなアイテムも、着ている人はおしゃれを楽しんでいただけで、いやらしい目で見ていたのは一部の人だけだったんだ。
やっぱり、好きな服を着たらいいんだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1708435016054-wlLs4eBEDF.jpg?width=1200)
ただ、撮られる段階になると、いろんな想いが湧いてきた。
ちゃんと映らないといけない。
いったい自分はどう映っているんだろう?
あとから写真を見てみても、初回の撮影開始30分はとにかく緊張して、外に向けて何か警戒しているのが伝わってきた。
意識の上ではそこまで緊張していなかったはずなのに、こんなに心の内側が外に出るんだ。
ところが、撮られ続けているうちにだんだんと意識が変わってきた。
Emmyと話すことで、撮影に慣れてきたのかもしれない。
外側のことがだんだん気にならなくなっていった。
撮られたくて撮ってもらっているんだから、それでいいじゃん。
そう思えてからは、気持ちがどんどん自分だけに集中できた。
後日、その時の写真をSNSに投稿すると、今までの中で一番「いいね」とコメントの数が多かった。
「この美和ちゃんすごくいいね!」
そう言ってもらえるのももちろん嬉しかったが、投稿文の想いに共感や応援の言葉をたくさんもらえたのも驚いた。
言葉だけで伝えるよりも、自分らしい自分が写っている写真を合わせると、より遠く、より深く伝わっていく。
写真ってすごい。
自分が綺麗になっていくってすごい。
![](https://assets.st-note.com/img/1708435033138-xDglXkUxu4.jpg?width=1200)
昔から、ファッションと服が好きだった。
岐阜県北西部、山と自然に囲まれた田舎に生まれた。
憧れのアパレルショップが名古屋には電車で約1時間半。
高校生までは大してお金も持っていないからブランドの服はあくまでも憧れだったが、名古屋の短大に進学して一人暮らしを始めると、アルバイト代をすべて服につぎ込むほどになった。
就職は介護の仕事を選んだ。
行き帰りには好きな服が着れると、張り切って毎日おしゃれをして過ごした。
夫になった人も着道楽。
3人の子どもに恵まれ、産休・育休を挟みながら13年勤めあげた。
3人目を産むタイミングで職場を離れ、2年ほど専業主婦をした。
その当時、ちょうどSNSで「ママ起業家」という言葉が流行りだした頃だった。
子どもたちとの時間や、家庭を大事にしながら、SNSを使って働く方法。
それはとても魅力的に感じられた。
どんな起業方法があるだろうかとさがしていると、「ママの生き方もファッションも変えていく」というコンセプトのファッションスタイリストが開催していた養成講座を見つけた。
自分がもともと好きだったファッションの世界というのにももちろん惹かれたが、何よりママでも綺麗になっていいという力強い言葉に惹かれた。
当時の自分は、「ママだからユニクロしか買えない」と勝手に決めていた。
自分に余裕がないときは特に、夫がおしゃれを楽しんでブランドの服を着ているのが許せなかった。
「育児しているのにそんな服着たら汚れちゃうじゃない」
といつもイライラしていた。
(夫は「汚れたら拭けばいいし洗えばいい」そう言ってササっと自分で染み抜きをする人だった)
それにいわゆる「乳幼児のお母さんはかくあるべし」という理想的なお母さん像を実践したかった。
「そんなの関係ない!私は私!」と、そう言えたらよかったのだけれど、当時はまだもやっとした違和感の中で、長いものに巻かれている方がらくちんだった。
だから、勝手に我慢して、勝手におしゃれを封印して、勝手にイライラしていた。
だからこそ、この講座に行けば「ママだからできない」「ママだから仕事以外は全部子どもと一緒にいなきゃ」という思い込みの輪の中から、一歩外に出られるような気がしたのだ。
実際、学び始めているとたくさんの気づきがあった。
自分が見ていられない時に子どもを預かってくれるサービスもある。
離れている時間があるからこそ、余裕をもって子どもに優しくできたりする。
ご飯が用意できない時は、留守番の夫や子どもたちにお願いできるようになった。
ママでも子どもを大切に育てながら、自分の好きなタイミングで動きやすくなれることを知った。
その後、さらに別のファッションスタイリストの師匠とも出会い、自分の信念も少しずつ固まっていく。
自分の好きな服だけがクローゼットに入っていれば、いつも迷わない。
まわりの意見に流されなくてもいい。
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SNSに投稿する商材写真は自撮りでもいい。
そう思っていたけれど、写真を撮ってもらったことで気づいたことがある。
自分で撮った写真はいわゆる決め顔ばかりになるのだ。
自分が「この顔ならOK」と思った写真しかデータとして残らない。
でも、emmyに撮ってもらう写真はそうではない。
自分だったらすぐに消してしまうような写真まで、プロの技術で綺麗に仕上がってまとまったデータとして渡される。
「こんな表情のあなたもとっても素敵だよ」と言外にそっと手渡されている。
だから、自分にはこんな表情もあればこんな顔もすると、認めざるを得ない。
最初は「この表情は嫌だな」と思ってダメ出ししたくなるものも多かった。
しかし、撮影を重ねていくうちにそんな表情もあっていいと思えるようになっていった。
昔の自分は、「私はこれぐらいだからしょうがない」という気持ちを感じやすかった。
どこか自分自身を諦めている。
自分が低いところにいるような気がするから、もっと頑張らなきゃと無理に完璧をめざしてがんばってしまう自分がいた。
だからこそ、完璧な状態しかダメだと、無意識に「外の人に見せてもよい私」を選んでいた。
実際には、「ゲームが好きな私」もいるし、「今日はご飯作るのがめんどくさい私」もいる。
ぐうたらしていても、格好つけて写真は撮られたい。
だから、良い状態で撮られたいからそこに向けて頑張る「私」もいる。
いろんな「私」がいるし、いてもいい。
だって、私には私にしかない魅力がある。
だから、取り繕わなくてもいい。
そして、もっときれいになりたいと思うなら、どんどんなっていけばいい。
いつの間にか、自分自身の背中を押せる「私」になっていた。
以前は、SNSの発信も考え過ぎてブレーキを踏んでいた。
自分がただ綺麗になるための裏側を見せるなんて、誰の得になるだろう。
そんな発信、自己満足なんじゃないの?
しかし、肌を見せて写真を撮った自分も、東京でヘアメイクを頼んでランチ会に行った自分も、SNSで書いてみたら思った以上の反響だった。
私もプロに撮られたいと思ってくれたり、そんな世界があるんだと気づいてくれた人がたくさんいた。
完璧じゃない「私」に共感して、勇気づけられて、そして一緒に進みたいと手を上げてくれる人がいた。
誰かの得になるかどうかは分からない。
でも、やったら自信を持って出かけられる。
プロにメイクを頼んだらすごく綺麗にしてくれる。
ちょっと勇気は要るかもしれないけれど、着たい服を着たら絶対に気持ちが上がる。
素敵だな!やりたいな!
そんなふうに心がワクワクしたなら、やっていいし、やった方が楽しい。
その想いが伝播して、誰かもワクワクにチャレンジできたりする。
そして、振り返ってみると自分も周りも幸せになって、みんなの得になっている。
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肌を見せる服を着たいという願いの奥には、「ギャル」への憧れがある気がする。ギャルは人に合わせるのではなく、自分が着たい服を着ている。
「我が道」を行く。
その生き方に憧れたのだと思う。
みんな、我が道を行ってほしい。
他の人のことをついつい気にしてしまうけれど、自分を隠して我慢していると、自分と違う誰かの良いところを認めることができなくなってしまう。
我慢をやめる。
それに気付けたのは、前職の介護施設での利用者たちとの交流がある。
人生の最後の一場面を見せてもらっている介護の現場では、それぞれがどういう人生を生きてきたのか、それが如実に見えてくる。
見た目に全くこだわらない人もいれば、毎日のパンツにまですべてアイロンを当てている人もいる。生活環境も、人柄も、すべてが生活の中ににじみ出ている。
人生を掛けて自分のやりたかったことをやってきた人は、職員と話していても明るいし嫌味なことも言わない。いつも笑って、そして「ありがとう」と感謝の意識を大切にしている。
13年間の職場経験の中で、自分が年を取ったらこうなりたいと思える人生の先達たちに出逢うことができた。そんな職場だったからこそ、自分を押し殺さず、我慢して感情に嘘をつかない大切さに気付けたのだ。
それに気づいてから、子どもたちに対する接し方も変わった。
ファッションと心はつながっている。
だから、自分が好きなものがわかると、迷わなくなるし、どんどん自分というものが決まっていく。
だから、子どもたちにも毎日の洋服選びをそれぞれに任せている。
3人それぞれ、別の感性があって、それぞれ好きなスタイルがちゃんとある。
最初は母親である自分の「こんな服を着せたい」という好みで子ども服を買っていたが、どんなに小さくとも気に入らないときは泣いて嫌がり、だんだん着なくなっていく。
逆に、好きな服を着ていると本人たちも機嫌がいい。
だから、服は自分で選んでもらうようにした。
母親である自分の好きなテイストの服はあるけれど、それは子どもが好きな服とは限らない。自分の好きと相手の好きは違う。つい、子どもたちを同化して考えてしまいがちだが、相手の好みを尊重すると、お互いを認め合うことが出来る。
ファッションは子どもの自立まで背中を押してくれるのだ。
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3回目の写真を撮る前に、一つ大きなチャレンジをした。
emmyから出されたワークの中に「魅力を受け取るノート」というものがあった。
自分の魅力を教えてもらいノートに書くというものだ。
それを誰かに尋ねることが出来なかった。
わざわざ相手の時間を使ってまで、自分の魅力を尋ねるなんて。
そうやって避けてきたのだが、返事が来なくてもいい。聞くだけ聞いてみようと、勇気を振り絞って、友人2人と母親にLINEを送った。
返事はすぐに返ってきて、たくさんの魅力を長文で綴ってくれた。
人を信じていなかったのは自分だった。
むしろみんなは私のことを信じてくれている。
愛されている事実。
それに気づかされて、胸にこみあげる想いに泣きそうになった。
3回目の撮影は東京だった。
予定を夫に伝えると、「何時の電車?」と聞かれた。
朝8時に出ればいいからバスで行くと伝えると、「車で送らなくていいんだね」と返された。
妻が個人的な楽しみのために東京に行くのに、わざわざ駅まで送ってくれる用意があったんだ。家族に温かく応援されている。愛情深く自分のことを見守ってくれていると、改めて夫と家族からの愛に、そしてそれを自分自身が受け取っていなかったことに気付かされた。
そんな、愛をたくさん感じながら、人のやさしさに触れながら、3回目の撮影は終了した。
撮影後、新幹線の時間まで時間があったので、たまたま近くにあったあるアパレルブランドのお店に行ってみた。ショップ店員さんが声を掛けてくれてしばらく話して「お仕事は何をしてるんですか?」と聞かれたのでファッションスタイリストをしていることを告げると、「素敵ですね!今度お客さんを連れてぜひ遊びに来てください」と笑顔で言われた。
ショップには店員というプロがいるのに、個人スタイリストが行くなんて邪魔になるんじゃないかと、勝手に罪悪感のようなものを感じていたのだと、その時気が付いた。
自分のクライアントさんに似合うお店を紹介すれば、次は一人で楽しくお買い物ができる。
お店はお店で、今まで自社のブランドを知らなかった人がお客さんになってくれる。
お店と人をつなぐ橋渡しが、スタイリストにはできるんだ。
人を信じる、信頼する。
そうすると、すべてがつながっていく。
信頼してもいい。
そう思えたからこそ、いろんなことにこれからチャレンジしたいと思えるようになった。
みんなそれぞれ、自分の欲望がある。
それを人から引いた眼で見られるのではと、遠慮してきたけれど、人を信頼できるようになったからこそ、自分の欲にもっと忠実に生きてもいいと気づけた。
私はおしゃれしたいんだもん。だったらすればいいよね!
あなたもそうなら私も応援するよ!
そうやって、誰かの背中を押すことが今ならできる。
最近は「成金四柱推命」というものに興味が出て学び始めた。
四柱推命を使うと、その人がどんなファッションでどんな振る舞いをすると注目が集まったり、憧れられたり、人に好かれる要素があるのかを抽出できる。
ファッションや髪型は、中身が伴っていなかったとしてもすぐに変えられる部分だ。
だからこそ、「こうなりたい!」という願いがあるならば、「そうなっている私」の外見を
先取りすることができる。
遠慮したり周りの目を気にし過ぎていると、かつての自分のように勝手に我慢して勝手に不機嫌になってしまう。
だからこそ、「やってみようよ」と誰かに手を伸ばせる自分でいたい。
![](https://assets.st-note.com/img/1708435099861-cleiczxBsv.jpg?width=1200)
3回目の写真が送られてきたとき、
わ!と声が出た。
まるで日本ではない、外国のような景色の中に私がいる。
ニューヨークかな、フランスかもしれない。
今までは考えたこともなかったけれど、カメラマンさんを連れて、海外に仕事に行く。
そこで服の買い付けをしたり、写真を撮ってもらったり?
こんな風に、大きな夢が言えるようになったのも、この半年の大変化だ。
でも、勝手にイメージが浮かんじゃったのだから、それでいいじゃん!って思えるようになった。
そして、きっと近い未来にそれを叶えに行くのだと思う。
「emmyにこっそりついてきてねってお願いしなくっちゃ!」
魅力的な笑顔をはじけさせながら、彼女はそう言って笑った。
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