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【マイストーリー】波多野あずささん

「終わっちゃうんですねぇ…っていう感じです」
3回の撮影を終えて、晴れやかな様子で彼女は語りだした。


波多野あずささん。
静岡県在住、二児の母で、育休から仕事に復帰したばかり。
撮影での変化を端的に表すならば、「垢ぬけた」という一言だという。
それまでは、「お母さん」のいでたちが抜けない、まだ役割が服を着ている自分だった。

それを、この半年で「一人の女性」にしてもらった感覚がある。
大きなハードルをまたいで息せき切ってゴールに向かっていたわけでは決してない。
むしろ、少しずつ小さな一歩を大切にしながらアプローチをしてもらった。
だからこそ振り返ってみると、歩いてきた道のりの長さを遠く感じるほど、半年前の自分には想像できなかった「今、ここ」にいる。


最初の撮影は、撮影もありながら話を聞いてもらう対話の時間だった。

撮影中、涙を流した。
自分の中で「ガン化」していたのは、「父親への想い」だったのだと気づかされた。

父は、おもしろい人である。
自分という世界を楽しみ、強烈な性質を、仕事で、地域で存分に生かしている。自分らしさという的があるなら、そのど真ん中を射続けている人だった。

父に認められたい。愛されたい。
今となってみれば、当時想像もつかなかった深さで、彼なりに大事にしてきてくれたことがわかる。だが、世間のお父さんが娘を可愛がるように、「女の子」として我が子をかわいがる人ではなかった。

そんな父を理解するには、長い年月が必要だった。
強烈な父親っ子だった自覚もある。その分勝手に傷ついたり、ムキになったりしてきたことも多かった。

尊敬もしているし、誇らしくも思っている。
その想いは、幼少期からずっと変わらない。

大手人材企業であらゆる人間を見続けてきた。人間のポテンシャルや本質を見抜くエキスパート。だからこそ、その視線は娘にも容赦なく降り注がれた。

あらゆることにダメとは言わない。むしろやらせてくれた。
しかし、勉強でもなんでも、手を抜けばバレる。やらない選択を責めるのではなく、その結果困る人生ならばそこまで背負えばいいというタイプだったが、がんばらなければこの家には居づらいと、暗に感じていた。


父に認められたい。
どこかにその想いを抱えて、勉強も何もかもがんばった。


一方、自分を貫いた父だけでは、家庭は回らなかった。
日常で身近にいるのは、いつも母だった。
彼女はそんな父とは真逆で、自分のことを脇に置いてまで周りを優先しているように見えた。だからこそ、家庭が回っている。

「自分を生きる」
それはとても素敵なことだと思う。
そう生きたらいいよという人も周りに増えてきた。
しかし、最後の一歩を踏み出す勇気がなかった。


「自分を生きると、周りは自分を充分に生きられないのではないか」

自分の育ってきた環境から抱いた、小さな棘のような意識からだった。



「それを変えるきっかけになるね」

撮影中、涙を流しながら話す自分に、emmyはそう言ってくれた。
その時に撮られた写真は、自分でも「初めて女性性を見れた」と感じたものだった。

元々、顔だちがはっきりしている。
だから強い人だと思われていた。
強い色・発色の良い色が似合う。
柔らかい色は似合わない。だって人格が柔らかくないんだから。

そんな風に斜に構えて、わざとかわいくない自分にしていた。
カジュアルに、少年的に、息子のように。
女同士の人間関係に巻き込まれないように、争わないように。

父と肩を並べられるように。

自分を封印せざるを得ないぐらいに、隠したいのが「かわいくてやわらかい女性である自分」だったのだと、気づかされた。


彼女には、父親という大きな存在の他に、今ある環境で最大限がんばれば、未来が開ける、という信念があった。

学校でも企業でも、序列の上にいくほど、選択肢は広がるはず。そうした序列に違和感や反骨心もあったが、まずはできるかぎりがんばって、個として力をつけようと思っていた。

就職活動で興味を持ったのは、結果的に、両親のいた人材業界のトップ企業だった。

大企業でありながら、ベンチャービジネスの起業家のように熱い社員が集っている。両親への反骨心とリスペクトもないまぜになっていたが、最終的には会社のイズムに惹かれ、そして内定を得て就職した。


しかし、実際はうまく行ったとはいえなかった。
営業部から企画部に異動したとき、自分個人としての想いと社会の一員としての在り方のズレの大きさに気付かされた。

顧客や社員を大事にと言いつつ、実際は株主に配慮して数字や売上に意識を向けなくてはいけない現状。ビジネスゲーム──そう割り切って働いている人もいた。そのことに、気持ちがついていけなくなってしまった。

世の中とは、資本主義というのはこういう仕組みだから仕方ない。そう言われてしまえばそうなのかもしれない。でもそのど真ん中に身を投じることは、自分には向いていない。

この荒波を、両親は潜り抜けてきたから、自分がいる。だからこそ、自分もそこで成果をあげたいと思っていた。しかし、適応できない自分がいる。

考えすぎなのかもしれない。
しかし、動けなくなってしまった。

ほうほうの体で会社に行き、何とか最低限の職務をこなして家に帰る日々。
いつの間にか夜が明けてまた会社に向かうものの、周りからも心配されるようになった。

「あずさはここじゃないと思う」

結局、休職という形で職場を離れた。
約1年間、家から出られなかった。
出かけるのは心療内科の通院時と、それに付随する社会復帰ワークの参加日。そして時々、見かねた友人が外に連れ出してくれる。


最初は何も考えられなかったが、少しずつ快復するにつれ自分の心が望んでいる方向が見えてきた。

例えば、中学生のとき父の蔵書で知った武術研究家の講座に参加した。
身体の使い方、自分の身体を練って自在に動かしていく方法にももちろん惹かれたが、「これだ!」と心の中で叫んだのは彼自身の考え方に触れたときだった。

なぜ、世の中の枠組み、常識とよばれるものに疑問を持たないのか。
ルールに合わせすぎて立ち行かなくなっていることばかりではないか。

彼はそう言った。

彼自身がそういう人だった。
ルールに迎合できず、でもそのどうしようもない自分を受け入れながら、思うものを突き詰めて、かくして今、人の役に立っている。

その姿に救われた。
語ることは宇宙的で、何を言っているのか理解できない。
しかし、惹かれる。だから、何度も参加し続けた。

そうして少しずつ動けるようになってくると、自分の窮状を知った学生の頃の知人が、地方創生メディアの事務局や書き物の仕事をしないかと声を掛けてくれた。
また、学生時代インターンとして働いた人材ベンチャーからも、働かないかと誘われた。

その後、結婚。
夫の静岡転勤について新天地に引っ越してきた。
今も、このときの縁がつながって、リモートワークで仕事を続けている。



emmyに出逢ったのはそんな中だった。
SNS上では知っていたが、会ったことはなかった。
2023年の写真展、乳飲み子を連れて新幹線に乗るのはひと仕事だが、それでも行きたい気持ちが勝った。

この数年、2度の妊娠・出産。そして、母の死を体験した。
生と死がないまぜになっている。
そんな中で、今自分は何をしているんだろう。
そんな想いに駆られているタイミングだった。

だからこそ、彼女の端々から感じる、生きている切迫感。
人生を掛けてこの仕事をしているんだという、その姿勢に惹かれた。

実際会って話してみると、見た目は穏やかでかわいらしい人だった。
しかし見つめられた瞬間にドキリとした。

「あなたはいったい誰なのか」
「なぜここにいるのだろう。どうしてここにいるのだろう」

その視線が怖いとすら感じた。

自分は、いったい誰で、何者で、何がしたいのだろう。
その答えが欲しい。そしてその答えを見つけたい。

きっと、自分自身がそう思っていたからこそ、自分の心に強烈なインパクトとして入ってきたのだ。

「どうにかしよう」
自分の中に、一つスイッチが入った瞬間だった。




2回目の撮影は、恵那の川フォトだった。

ひとことで言うならば、念願叶った。
心の底からその言葉が響いてくるような、そんな撮影だった。

真っ白なワンピースドレス。
まっさらで神聖な雰囲気。
自分自身が、自然と、大いなる大事なものと、繋がっている。
その姿を、カメラを通してこの目で見たい。

そのわくわくが大きかった。

冷たい川に足を浸し、いらないものをさらってもらう。
自身がクリアになっていく感覚と共に、木漏れ日に包まれる。
まるで祝福されているように、必要な場所に光が降り注ぐ。

精神的なものとのつながりを、大切にしていきたい。
自分の内なる声が形になって、それでいいんだよと返ってきたような、至福の時間だった。

この時の写真は、これから先も自分の核になっていく。

この場所で撮ってよかった。
この場所で撮りたいと思っていた理由はたしかにあった。
それを受け止めるような撮影になった。



そして、3回目。
テーマは「振り切る」。
それだけ決まっていて、具体的なイメージがわかなかった。
はじめて、どんな服を着たらいいのかemmyに相談した。

同じタイミングで、自分の女性性をブロックしていることに気付かされる出来事があった。自分にとって女性であるということ、セクシーであること、それが重要であるということを認められていない。

命のエネルギーにつながる部分だから大切だとは理解していても、あえて外に出すべきではないと蓋をしている。だから、生きるエネルギーがなかなかわかないのではないか。

そんな対話を友人とすることになったのだ。
なんというタイミング。


emmyからの返信に書かれていたイメージは
「黒・タイトスカート・レース」
だった。


それだ!


3回目の撮影にして、はじめてのチャレンジ感だった。
服も新調した。
しかし、それを着ている自分をイメージするだけでもそわそわする。
撮られた後も、写真を投稿するのもドキドキした。

本当に出して大丈夫?
この写真を外に出す意味はあるんだろうか?

それこそが、コンフォートゾーンを出るサインなんだよと、emmyに伝えられて思った。

「そうか、ついに膜の中から外界へ飛び出すところまでたどり着いたのか」

撮られた場所は、東京、丸の内。
かつて自分が新卒から3年間、毎日通っていたあの場所だった。




3回の撮影を終えて。
撮影は、毎回スペシャルな体験だった。
だんだん慣れていくにつれて、きれいになっていくことや、自分を見つめることが日常化していくことに気付いた。当たり前に毎日きれいに向かって進んでいけばいい感覚になっている。

だからこそ、これからも撮られるという体験を続けていきたい。
撮られる中で、まだまだ出し切れていない感情がたくさんあることに気付いた。

過去の人生の中では、「サバサバしてるわたし」を中心に使ってきた。しかし、それ以外にもたくさんの人格が自分の中に眠っていて、外に出たがっている。だからこそ、そんな内側にいるたくさんの「あずさ」たちを認めて、外に出してあげたい。誰かの意図を表現するのではなく、自分の内側を爆発的に表現する。そういうことがしてみたい。

学生の時、そして社会人になってから感じてきた、たくさんの違和感や、不可解なルール。

「なぜ世の中はこうなっているんだろう」と涙した、その伏線を回収しにいく日々が待っているように、今は感じている。

資本主義の先にある優しい未来、精神性と身体性がつながった未来、今まで社会が見えない状態にしていたものを、ゆっくりと開いて目に見える形に変えていくプロセス。

今まで人がつないできてくれたたくさんの縁がある。
だからこそ、その縁で培った知恵や世界観が、世間に許容される足掛かりのひとつになりたい。

いろんな自分を表現しながら、こんな新しい世界があるんだ。もっとこんな風に生きてもいいんだ。周りからそう思ってもらえるような存在に。

膜を破り羽を得て大きく未来にはばたいていく。

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