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最高の「ふるさと」沖縄で子どものように笑ってほしい│フォトグラファー知念ゆかり



「わあ、さやかさんだぁ。よろしくお願いします」と少しだけ舌ったらずに語尾が伸びる。独特のイントネーションとリズムがどことなく遠方だな、と思わせる。

小木曽絵美子主催写真展《prism of μ’s-μ’sの軌跡―》に沖縄から参加する知念ゆかりさんだ。

 

すべては「撮ってくれない?」の一言から始まった

写真を撮り始めたきっかけは意外なものだった。

2018年のある日、起業家のアシスタントや事務サービスをしていた彼女に、クライアントである起業家が「押すだけにしてあるから」と突然一眼レフカメラを差し出した。

SNSで使用するためのスナップの写真の撮影だった。
何度か頼まれ、そのたびにクライアントのカメラを使って撮影した。

それだけならば普通の話だったかもしれない。
ところが、今度は彼女が撮った写真を見た別の起業家から声がかかった。

「写真撮れるなら、今度の講演会の撮影してくれない?」

突然100人規模の講演会の「当日スタッフカメラ係」を任された。
まだ自分のカメラも持っていなかった。

カメラは貸してもらった。
がむしゃらに撮りまくった。

思わず、「なんで私だったんですか?」と聞いたことがある。
「わたしの直感」と微笑まれた。

さすがに、こうも撮影が入るならばいつまでもカメラを借り続けているのも申し訳ない。そう思って、初心者向けの一眼レフカメラを買った。

講演会の撮影は楽しかった。

今までしてきた仕事のなかで、夢中になるという体験は初めてだった。

講演者の自信をもって会場に語りかける姿。
真剣に聞き入る参加者。
楽しそうに会場を後にする姿。
スタッフの笑顔とあわただしいバックグラウンド。

この日、この瞬間しかないイベントの、この場が伝わるものはすべて撮って残しておきたい。

そう思いながら撮影した。
流れる空気、その場に立ちのぼるエネルギーまで、全部届けたかった。


 「あなた、人は撮らないの?」

その後、1年ほど経って、「あなた人は撮らないの?」とまた声をかけられた。

起業コンサルタントから、女性起業家向けのコラボ企画の誘いだった。

以前も人から頼まれてカメラを始めた。
これも何かの縁かもしれない。

「やってみます!」

そこから、正式にフォトグラファーと名乗って活動を始めた。

最初は、企画の延長として女性起業家の撮影が多かった。依頼が来るままに男性や、家族写真、成人式の前撮り撮影など、とにかくなんでも受け付けた。

家族写真は、団欒を取るのが楽しかった。
家族の間にある空気感を撮りたいと思った。

男性の個人撮影は他の撮影よりも苦手だった。
距離感が取りづらい。ビジネスライクになる。

そういうものかもしれない。

でもなんとなく、やりたいことと違う気がする。
だんだんと、女性を撮る方にシフトしてきた。

撮影時間は、たわいもない話をしながら、お互いリラックスしながら撮るのが好きだ。

だから、女性のお客様とは世間話をしながら撮ることが多い。
仕事でもプライベートでも、お客様が話したいことを、うんうんとうなずいて聴いていく。

「今日の夜なに作ろうか?」なんて、夜ご飯の献立を相談するのもしょっちゅうだ。

なかでも、好きな話を聞くのが好きだった。
彼女たちが好きなことを話している時は、やはり表情が違う。

和らいで、いい笑顔になる。
お客様が笑顔になると、こちらまで嬉しくなる。

「ゆかりさんには話しやすい」
お客様だけではなく、友人にもよく言われる。

「なんでだろ?人当たりがいいのかな」

少し恥ずかしそうに笑う彼女は、沖縄独特のイントネーションも相まってどこかほっとさせる雰囲気がある。

もともとは会社員として、営業アシスタントや、電話で人と話す仕事など、人と直接かかわる仕事ばかりしてきた。

根本的に、人が好きなんだと思う。

だからだろうか。
みんなゆるんで帰っていく。

撮影のお客様にも
「撮ってもらったこの笑顔が好き!」
と笑顔の写真を気に入ってもらうことが多い。

なぜか、いつもの「笑顔」とは違うらしい。

「沖縄の海みたいに透明でキラキラしてる」

先日お越しいただいたお客様に、うれしい言葉をもらった。

「ゆかりさんの写真はみんな自然に笑ってる感じがする。だから私も自然に笑えるのかなって」

私と会って、笑顔で帰ってほしい。
そう思う。




人は好き。だけど人間関係は苦手

そんな彼女だが、 人と過ごす時間が好きだったかというとそうでもない。

「緊張するし、一歩引いちゃう。引っ込み思案なところがある」

適度に一人の時間がないとだめになる。
かといって、いつまでもひとりでいるのはさみしい。

人と関係性を作るのは、子どもの頃から苦手だった。

世間体を気にする両親に育てられた。
もちろん、それが両親からの愛だったのは今となればなんとなくわかる。

「ちゃんとした子」でいたら、世の中をうまくわたっていけるはず。

そういう教育方針だった。

父には、教員か弁護士か警察官になれと言われた。

まったく勉強していないのに公務員試験を受けに行ったこともある。


母には優等生を求められた。

習い事もエレクトーン、琉球舞踊、陸上競技とさまざまなものを習ったが、続かない。

そんな自分を、「一つのものを続けられないなんて、大人になってやっていけない」と嘆かれた。

親の顔色をうかがって少女時代を過ごした。
大人の顔が曇るのが嫌だった。

だんだん自分に「バツ」がつくのが怖くなった。

他人の顔色をうかがう毎日は、苦しい。
期待されているのにできない。
期待に応えられないかもしれないのにプレッシャーがかかる。

でも、「すごいね」といわれたい。

賞賛を目的に、過度に頑張りすぎて消耗する。
しかし、それも嬉しいのはいっときだけで、次の賞賛をを求めまた走り続けないといけない。

当時はそんなこともわからないまま、なんとなく億劫な日々を続けていた。



結局公務員や弁護士にはならなかった。

沖縄で事務職として就職した。
そのグループ会社の東京支店で欠員が出た。

東京は憧れの街だった。
洗練されてスタイリッシュで、大好きなお洋服がいっぱい売っている。
流行の最先端がひしめく大都市。


人員補充の募集に手を挙げた。
若手、独身。
一番動きやすい身分だったおかげか、東京行きに抜擢された。

期待に胸を膨らませ、東京へ転勤した。


ところが、夢は夢だった。
現実に東京に行ってみると、確かに憧れた場所だった。

洗練された街中。
おしゃれをして闊歩する若者。
見る物全てが沖縄と違った。

しかし住むとなると話は別だった。

すべてが時間に管理される日々。
何かに追い立てられるように過ぎていく時間。
電車から吐き出されるように出てくる人の多さ。
どこかぎすぎすした殺伐とした通勤電車の空気。

毎日が会社と家の往復だけで過ぎていく。
家賃も高い。物価も高い。

もしかしてブランドものが買えるかもしれないなんて、甘いことは言ってられなかった。

会社は2年ほどで退職したが、沖縄に帰りたくなかった。
だから派遣会社に登録し、東京での生活を続けた。

ところが7年目のある日、突然電車で気分が悪くなった。

動けない。
その日はなんとか家に帰った。
ただ、翌日からは起き上がれなくなった。
家を一歩も出ることが出来ない。

務めている会社に心配され、紆余曲折あって両親が迎えに来た。
結局そのまま沖縄に戻ることになった。


帰ってからもメンタルはボロボロだった。
そんなどん底のタイミングで、一人の男性と出逢う。
歳は彼の方が8歳上だった。

「こうあるべき」が強かった自分とは真逆の男だった。

「この人は何を言ってるのか、意味が分からない」
そう思うこともたくさんあった。

それでも、どん底の自分を支えてくれた。
この人なら、そう思った。

2012年、プロポーズは自分からだった。



彼のおかげもあり、心理的なメンターにも出会い、自分の心と向き合いだんだんとメンタルも浮上して、社会にも復帰した。

あのとき、自分がいかに建て前を大切にしていたかを知った。
本音を言わず、八方美人になって、必死に周りに取り繕っていた。

ある日、そんな心の内側との向き合いを経て、気づいたことがある。

これは、自分だけではない。
沖縄の女性は、みんな独特なありのままの自分を隠している!




沖縄の女性は我慢強い。
南国ゆえの風土かもしれない。
家族のつながりが強い。
行事も多い。

そうしなければ生きてこれなかった自然の強さがある。
だからつい、自分という個人よりも家族や友人のことを先にしてしまう。

でもそればかり続けるのはやはり苦しいのだ。
沖縄の女性が、ありのままの自分で輝けるようになったらいい。

あの苦しみを感じる人が1人でも減ったらいい。

沖縄の女性を元気にしたい。
そのための撮影がしたい!


大人になって初めてはしゃいだ撮影の時間

そう心を決めたもう一つのターニングポイントは、自分自身の撮影体験だった。

自分がフォトグラファーとして活動するからには、まずは自分も撮られてみないと。

そう思っていたある日、ずっと気になっていた関西の女性フォトグラファーが、たまたま沖縄にくるという。

「1枠だけ、撮影をしようと思うのだけど」

という言葉に、この人の撮影が沖縄で受けられると、飛びついた。

撮影が決まってからいろんなことを考えた。

服はどうしよう。髪型は?メイクは?
どこで撮ってもらいたいだろう。

この時ばかりは、人の目よりも自分に夢中だった。

待ちにまった撮影当日。
大人になってから、初めて芝生に寝転がった。

初めて海ではしゃいだ。
やってはいけないと無意識に思っていることだった。

やってみると開放感しかなかった。
むしろ、なぜ禁止していたのか。

なにをしてもいい。
自分を丸っと受け入れてもらえている。
ありのままでいい。
とても不思議な体験だった。

なんて開放的な時間なんだろう。
撮られているうちに、表情も心もゆるんでいくのが自分で分かった。

「これでいいんだ。私のままでよかったんだ」
まるで自分で自分をハグしているような気分だった。

撮影の終わりに、カメラをしまう彼女に言われた。

「納品する写真には、あなたが好きな顔も嫌いな顔もある。でもそれもあなたの顔だから、受け入れるために見てみてね」

その時は何のことが分からなかった。
とりあえずうなずいて、その場はお開きになった。


数週間後。
言われた言葉の意味を理解した。

納品された写真の中には、素敵な写真もいっぱいあった。
ゆるんでいて、幸せな顔をして笑っている。

でもその中に、眉間にしわを寄せた不機嫌そうな女の顔があった。
姉に似ていた。

姉とは14歳年が離れていた。
家庭の事情で一緒に住んだ経験はない。

ただ、折りに触れて会うたびに「自分が正しい」という独自の正義感を振りかざされた。
自分が否定されているように感じた。

家族の中で誰よりも嫌いな人だった。

そんな姉と同じ顔をしている私がいるなんて。
受け入れられなかった。

それをフォトグラファーに伝えると、「降参してね」と言われた。
それも「今の自分」の現実だと。


そんなショックもあったが、楽しかったあの撮影の時間は忘れられなかった。

次はもっとこんな場所で撮りたい。
次はこういう服を着たい。
こんなメイクの方がいいかもしれない。

心が満たされた。
未来への希望と、願いが出てくる。
もっとこんな自分になりたい。

そして、他人の評価と称賛ばかりもとめて、自分で自分の心を満たすということを今までしてこなかったんだと気が付いた。

会社には着て行かない服を買った。
美容院行った。
おしゃれをした。
やりたいと思ったウォーキングレッスンを受け始めた。
自分で自分の心を満たしては、カメラマンに撮ってもらった。

いつの間にか、カメラマンから送られて来る写真に姉と同じ顔の自分はいなくなっていた。



沖縄は、最高のふるさと

あの時帰りたくなかった沖縄が自分を癒し、
あの時苦手だった人とのつながりがカメラマンという仕事に導いてくれた。

不思議な縁がたくさんあった。
やはり、沖縄は不思議な島だ。

ゆるやかに流れる島時間。
四方に広がる青く透明なサンゴ礁の海。
温く湿り気を帯びた風。
南国らしいゆるさ。

どれも沖縄ならではだった。

今でも撮影のロケハンでグスク跡や、自然の残る森に行ってはこんな素晴らしいところがあったのかと驚くことも多い。

普段の生活ではなかなか行かない。
でも、行ってみると感動する。

 帰ってきてよかったと、胸を張って言える。
最高のふるさとだ。


先日、本州のカメラマン仲間が沖縄にやってきた。

向こうで会っていたときには見たことがないぐらいの笑顔だった。
はじける笑顔とはこのことかと驚いた。

やはり沖縄は人をゆるませ、解放的にする。

だからこそ、疲れている女性は、一度でいいから沖縄に撮られに来てほしい。

自分で自分をそっとハグするのが撮影ならば、沖縄はさらに沖縄の風があなたをハグするに違いない。



沖縄旅行のついでにでも、沖縄旅行をついでにしてもいい。

日常生活に戻って疲れたら、また沖縄に「帰って」きてほしい。



そして、それはほかの地域の人だけではない。
沖縄人こそ、当たり前すぎて沖縄の良さを知らずに過ごしている。

初めて自分が海で撮られてはしゃいだように。
芝生に寝転がったように。

周りのお世話ばかりついしてしまう「ウチナーンチュ」こそ、沖縄での撮影を楽しんでもらいたい。

自分のために、時間を使う。
撮られることそのものが最高のリトリートになる。
沖縄での撮影ならではの魅力だ。


沖縄の色の中で耀く女性の笑顔を撮りたい


今回、写真展用の撮影テーマを「沖縄」にしたのも、そんな理由だ。

「 沖縄には、『自分なんて』って思っている女性が多い気がする」

かつての自分がそうだったように。
ゆるむことが出来ずかたくなだった自分が、ゆるんで感動したように。

私はこれでOKだってありのままを受け入れられる女性がもっと増えたらいい。

そんな女性の背中を押したい。
撮影で、沖縄の女性の背中を押せる自分でありたい。

今回の写真展で、唯一南国から出展する。
せっかく、撮影をした人たちの写真パネルと一緒に名古屋に乗り込むのだ。


沖縄を持っていきたい。
海で、森で、芝生で。城跡で。
沖縄の風の色まで写したい。

沖縄という特別な場所で、輝く女性たちを感じてほしい。


彼女は外の空気を知るからこそ、沖縄という場所を少しだけ客観的に見つめている。

そして、最初に講演会でがむしゃらに空気感を撮った時からずっと、沖縄のかがやく空気感とともに女性の笑顔を撮っているのだ。

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