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【マイストーリー】牧ゆうこさん

牧ゆうこさんが、「emmyに撮ってもらいたい」と感じた一番のきっかけは2023年の写真展にボランティアスタッフとして参加したことだった。



同じコミュニティに入っていたのがきっかけで知り合い、emmyの想いや人生のストーリーを聞いて、起業家としてだけでなく女性としてとても素敵な人だと思った。

実際、写真展に展示する写真パネル一枚一枚を見てみると、一般的なポートレートとは違うと感じた。

この人は、女性を解放する人なんだな。
表面的な美しさだけではなく、被写体の内側にあるものまで透けて見えてくるような写真たち。
だからこそ、1度撮られてみたい。
そう思わせる写真展だった。

そしてその願いはすぐに叶った。
写真展後に桜の撮影をお願いしていたのだ。

桜を背景に撮ってもらうのだからと、バランスを見て薄いブルーグリーンのワンピースを着た。
天気も良く、春の陽気を撮るのにはぴったりの日で、桜を見ながらの撮影は楽しかった。なかでもemmyの撮影スタイルが気になった。

相手に真剣に向き合っている。

じっとこちらを見つめながら、探りながら、まるで内面に入っていくかのような感じで静かにカメラを向けて、その人のベストの角度や立ち位置を指示してくれる。

私のことをすごく考えてくれている。
短時間の撮影ではなくて、しっかり時間をかけてちゃんと撮ってもらったらどう感じるのだろう。


開催から数日後、写真が送られてきた。
桜を背景に「かわいらしい私」ともいうべき自分が写っている。
しかし、どこか強烈に違和感を感じた。
写真を見せた友人はかわいいと言ってくれた。


ただ、違う。
この服に身を包んでいる自分の表情はなんとなく、猫をかぶっている。

きっとこの色が合わないに違いない。
桜に合わせようと思ったから、薄い色にしたのがいけなかったのかも。
じゃあ、私に似合う色って何色なんだろう。
猫をかぶっていない自分ってどんな風なんだろう。


そう思ったからなのか、折よく「美印象コンサル」というファッションコーディネートを受ける機会を得た。パーソナルカラー診断だけでなく心理診断などを含めて内面まで表現できるコーディネートを提案してくれるものだ。

「赤か青。黒か白。そして無地」

クローゼットの中にはない色だった。



これまでの半生、「誰かのために頑張る」というのを当たり前にしてきた。

いわゆる長女気質とでもいうべきか。
まじめで堅物。
決めたらその道を突き進む。
そして、突き進む道はいつも「誰かのため」の道だった。

今でも鮮明に覚えているのは小学生の時、担任の先生から渡されたバースディカードだった。その先生は、とても細やかな人で、色画用紙にわざわざ現像した写真を貼りつけて、クラス全員の誕生日に渡してくれていた。

自分は黄色の画用紙だった。
書かれていたメッセージを、今でも一字一句思い出せる。

「超まじめなゆうこちゃん。たまにはズッコケるとおもしろいですよ」

もらったときは意味が分からなかった。


5歳年下の弟を持つ長女として東京に生まれた。
職人気質の父はギタリストで、孤高の人だった。
家の中でも部屋に籠って四六時中ギターを弾いている。
母とは恋愛結婚だったらしい。
しかし弟が物心つく頃には家の中での会話が無くなっていた。

自分たちが成長するにつれ、家の中は子どもがわかるほどにギスギスしていく。そんな中で、自分が好き勝手に生きたら家が崩壊してしまう。
そんな想いを当時から自覚していたかどうか。

母は今でいうところのストレス耐性が弱い人で、頭痛薬や胃薬が手放せない日常だった。その母に代わって、弟の通う塾に高校受験の面談に自分が行ったことさえあった。

親の期待、祖父母の期待。
その期待通りに生きなければ。

「いい子」として生きていかなくてはならない。
無言の重圧が両肩にのしかかっていく。
しかしそれを背負うのも自分の役目だと思っていた。


そんな中で心を慰めたのは音楽だった。
父の影響からか、自然と生活の中に音楽はあった。

中でもロックが好きだった。
ブリティッシュロックから日本のロックバンドまで。
趣味が高じて大学のサークルは軽音楽部に入った。


その、インカレの交流会で出会ったのが現在の夫になる男性だった。
愛知県瀬戸市の生まれ。その地域ではそれなりに知られる旧家の長男。
愛知へ嫁に入り、専業主婦となった。

義両親も良い人たちで、とても良くしてくれる。
だが、しっかりとしきたりも残っている。
そういう家にお嫁に来たからにはいいお嫁さんでいなくては。かわいらしい奥さんでいなくてはと、背筋が伸びた。

義母は何かと良くしてくれて、百貨店に一緒に行っては服を買ってくれる。
ありがたい。
ありがたいのだが、義母が選ぶのは決まって上品でかわいらしい服だ。
「こんなお嫁さんであってほしい」
その想いが具現化して現れたような。

着てみるとなんとなく違和感はあるのだが、プレゼントしたいという気持ちが嬉しいからそのまま受け取って、義母と会うときに着る。
顔立ちとしては、かわいらしい服も似合うから、人から見たらそこまで変ではない。だが、身に着けている自分に違和感が残る。



そんな生活を続けたからか、12年前に長女を産んでからしばらくすると異変が起きた。

長女は繊細な気質で、家から出ても決して離れようとしなかった。
育児サークルや保育施設に行っても、ママ友と話す余裕もなくずっと子どもと二人きり。移動の準備や手間、さまざまなことを考えると、行く方が辛い。そう感じたから、平日は家で娘とふたりきりだった。

だんだん、ストレスが溜まっていったのだと思う。
心がすさむ。おそらく、鬱に近い状態になっていたのだと思う。

ただ、ある日ふと疑問がわいた。

私は、娘の前ですら「いい子」をしようとしているのか。
両親・弟、そして義実家の前でやってきた「まわりのためにいい子でいる」を、自分の子どもにまで向けなくてはならないなんて、何かおかしくないだろうか。

それに気づいて、少しだけ楽になった。


結局その後、2人の女児を出産。3児の母となる。
三女が幼稚園にあがったころ、夫から「そろそろ好きなことをやってみたら」と声を掛けられた。それならば、今から何か学んで、お店でもやろうか。そう考える余裕ができるようになっていた。

ところが。
夫が家業を継ぎ、さらに独立した新会社を立ち上げると宣言した。
愛知・瀬戸で取れる上質な陶芸用粘土を販売・さらに陶芸を体験する場をつくるというのだ。

「手伝ってくれないか」

自分のやろうと思っていたものとは全く違う。
だが、そう言われたらやるしかない。


起業したての夫を支えるのに、今の自分は何も知らなさすぎる。
そう思い、経営についての知識を得るためのコミュニティーに入った。
さらに、これまでの経験からメンタルがやられると立ち上がれなくなる可能性があるのをひしひしと感じていた。なにかしら対策を打たなければならない。
そう思って、youtubeでヒントを探していたタイミングで鴨頭嘉人を知り、言葉の一つ一つが心に響き、この人だと思って門を叩いた。

結局、夫の独立起業は、2020年6月に「CONERU nendo shop & space」という店舗として形になる。その社長夫人として、さらにショップの店長として、裏に表にがむしゃらなまでに奔走した。




 
しかし、不思議なことに仕事とコミュニティー活動を始めてからの方が、子どもたちとの関係性が良くなった。娘から「ママ大好き」と言われることが増えたのだ。

コミュニティで自分自身が気の合う仲間や友人を見つけたのが良かったのか、メンタルが安定してきたからなのか。

おそらく両方だろう。
ストレスを無理やりなかったことにして押し込めたとしても、言外に伝わるものがかならずある。

今年は、長女の中学受験だった。
変わらず繊細気質な彼女だが、付き合うからには全力で付き合う。
やる気が出たタイミングが夜中の12時で、そこから朝5時までぶっ通しで勉強を見ていたなんてこともある。

楽しい。全力投球。
しかし、忙しい。

そんな中でも、emmyの撮影を辞めようとは思わなかった。
むしろ今しかない。
何かが自分を突き動かした。

半年間という短いスパンで3回続けて撮ってもらったことでの変化は、本当に大きなものだった。

撮られて、写真が送られてくるたびに、自分の現在地が見える。
今いる場所が確認できるからこそ、次にどれぐらいギアを入れて、どれぐらいエンジンを蒸かせばいいのかが分かる。

桜の撮影で、「「いい子の私」はホントの私じゃない」と分かったからこそ、ホントの私になるためにはどうしたらいいかを探し始め、服の色から変えるべきだと分かった。


フォトコーチングとしての最初の撮影は、恵那の自然の中で撮ってもらうことにした。

忙しい中、自然の中に身を置くと、なにか開放的な感覚が胸に広がった。
あえて言葉にするならば、扉が開いたような感覚。

スタートゲートが開いて、競争馬が一斉に走り出すような。
今までとどまってうごめいていた何かが堰を切って溢れだすような。

そんな感覚だった。

二度目は、自分の好きなものにまみれたい。
神戸にあるハーブ園での撮影をお願いした。
ハーブが好きだ。
もともと雑草ともいうべき、本来はそのあたりに生えている草。
下手に庭に植えると、増殖し過ぎて庭一面を覆いつくすほどの生命力。
薬効もあり、アロマにもなっているぐらいだ。香りもいい。
そんな、生命力の強さを当時は心底欲していたのだと思う。

ラフで粗削り。
大好きなブリティッシュハードロックのようなやんちゃな自分。
ギアチェンジしたからこそ、自分の中に植物の生命力が入っていく。


実は、2回目までは撮影の前に準備をするということがなかった。

もちろん忙しいのもあって、「明日が撮影の日だった!」と月日が過ぎる感覚に驚くのがいつものパターン。
ただ、当日、これだ!と感覚的に思ったものを着ていくと、その時にしかないセッションが出来る。それも楽しかった。

ただ、3回目は気持ちが変わった。
もしかしたらこれもギアの入れ替え続けた効果なのかもしれない。

Emmyに提案された名古屋の市政資料館を撮影場所に決めると場所のイメージもあって、きっちりした雰囲気を出すと決めて、2週間前から服のコーディネートを準備した。
さらに、当日朝に美容院の予約をして、はじめて髪もセットしてもらって現場に着いた。

それだけ準備できたからか、今の自分を全部出し切れた感覚だった。


実は、いまだいろんな人に「ゆうこりんはなにか重たいものを背負っている」という言葉を掛けられる。自分でもまだまだ発展途上だとは思う。

ただ、やんちゃな自分にチャレンジして振り切ったからこそ、3回目でちょうどいい自分に着地することができた。

かっちりもしているし、キレイ目な服装。
でも、スカートはレザーにした。

全部がやんちゃでもワルでもなく、かといっていい子だけな自分でもない。
ちらりとちょうどよい塩梅で自分らしさが見えている。


3回という数を重ねたからこそ、着地できた今のちょうどいい場所だった。


振り返ってみると、自分の愛情表現と相手の愛情表現の差に悩んでいただけだったのかもしれない。

自分自身の愛情表現は手伝い、手助けし、一緒に達成する喜びを感じるタイプだ。好きな人が困っていたら、助けたいと思う。困っていなかったとしても、何かしら世話を焼いてみる。

自分自身がよい塩梅に立つと、相手が望んでいないのに世話を焼くと嫌がられるというのも分かってきた。

実は夫がそのタイプだった。
自分の世界があり、干渉されるのが嫌いなタイプ。
コーヒーもこだわりがあって自分の好み通りに自分で淹れたい。

それが分かってから、わざわざ気を使ってコーヒーを淹れるのをやめてみた。

ところが、特に変わらない。

なんでコーヒーを淹れてくれないんだと拗ねるわけでもなく、必要な時には自分で淹れている。かといって、お互いの愛情が減ったというわけでもない。

なんだ、それでいいんだ。
自分の心が自由になった分、家族の自由を見守る余裕が出来た。

そう思えるようになるまでは、色んな要因がある。
しかし、この半年の撮影が果たした役割は決して少なくない。


写真って深い。
こんなに深い半年間になるとは思っていなかった。
でもきっと、2023年3月の写真展で何かを感じていたから、掴みに行ったのだろう。

まだまだ発展途上。
自覚は十分にある。
だからこそ、これからもっと自由になっていくはずだ。

さらには、もっと自由になっていいと伝えていける自分になっていきたい。
今、自分が憧れを抱く人たちを数えてみると、経済的にも、精神的にも、どちらも自立している女性たちが多いことに気付く。

経済的な不自由さや共依存で、父と離れられない母を小さなころから見てきた。だからこそ、結婚して家庭に入るからとか、逆に離婚してシングルマザーになるからと、そんな理由で女性が自立できない社会というものを不自然に思う。

そんな想いがあったからこそ、emmyの「撮られることを文化に」という想いに共感したのだろう。

超まじめで堅物な自分はずっといるだろう。

でも、
「ズッコケるとおもしろい」
その感覚は近頃なんとなく分かるようになってきた。

結婚したから真っ直ぐひとつの道だけをゆくのが正解ではないかもしれない。転がっても、ズッコケても、自分の道を自由に選んで進んでいく。

女性だからと遠慮することなく、やりたいことをやれる。
もちろん、やりたいことをやるためにパートナーや周りとコミュニケーションできることが大切だ。

しなやかに、時にズッコケることをたのしみながら、自分らしく自分を生きる女性たちとともに進んでいく未来の姿が見えるようだった。

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