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忙しいママだからこそ、「おまもり」になる写真を持ってほしい。-橘川美香子さん

待ち合わせをした京都のカフェに現れたのは、橘川美香子さん。
おそらく彼女を見たら10人のうち9人が口をそろえて「やさしそうな人」と評するだろう。

美人でこじゃれた格好をしている。でも圧がない。
話すとするりと心の中に彼女の言葉や雰囲気がしみわたる。

アイスのカフェラテを、美味しいと言いながら目を細める姿は、良き母、良き姉、そんな言葉が似合う。


フォトグラファーとして活動してすでに8年。

見た目の雰囲気にたがわず、得意とするのは親子撮影だという。
ただ、子どもを中心に撮る「いわゆる記念撮影」ではなく、ママが主役の親子撮影だ。

今回、写真展に用意したテーマは『おまもりphoto』。
カメラを始めたきっかけや、写真展への想いを聞いた。



ワーキングマザー


きっかけは下の息子が生まれて10か月の頃だった。

かつて職場で恋に落ちた男性と結婚し、長男を授かったものの離婚。
その後、パートに出た小料理屋のオーナーが今の夫だった。

再婚。

出逢った頃のパート先は二号店だったが、二号店ゆえの資金繰りで苦労したらしい。その後元々経営していた京都府南区の本店1店舗に経営を集中することにした。そこに女将として家業の手伝いに入ることになった。

夕方になると当時まだ幼稚園生だった長男を連れて店舗に行き、女将として店頭に立ち、深夜に帰宅するという忙しい毎日を送っていた。


接客が好きだった。
心を込めて食事を提供するのも、お客さんが喜んでくれる笑顔も好きだ。
最初の職場も飲食の接客業だった。

「人の笑顔が好きなんだよね」

だから、ついいろいろ心を寄せて細やかなサービスをする。
それを当たり前のようにやっている。そんな人だ。

ある日。
次男の妊娠が分かった。
しかし、まだまだ店も発展途上だ。
専従の従業員をひとり増やす余裕はなかった。

出産ぎりぎりまで店で働き、生まれてからも次男をおんぶしながら店の仕込みを手伝った。




しかし、とても手が回らない。

10月に出産し、行政に相談して一年足らずで保育園に預けた。
実家の母に食事を作りに来てもらったり、周りのサポートを受けてなんとか二人の息子を育てる。
そして、夫と共に店を切り盛りする。
文字通り、目の回る日々だった。

そんな忙しい日々の中、心の安らぎは子育てブログを読むことだった。
そして自分でも子育ての記録を綴っていた。


転機


転機は静かに訪れた。
いつも読んでいる子育てブログの記事の中に、いつもとは違う雰囲気の写真を見つけたのだ。

自宅のようなナチュラルな雰囲気の中で、子どもとお母さんが笑ったりハグしている写真。

母親のやさしげな、わが子を愛おしそうに見つめる表情に、えも言われず引き込まれた。

プロ仕様の繊細な光の中で撮られた写真から「誰かが撮ってくれた」ということはわかる。

いったい誰に撮ってもらったのだろう。
読み進めていくと、「ママフォトグラファー」という肩書きの女性が撮ったことが分かった。


10年ほど前、フォトグラファーという職業は今ほど一般的ではなかった。

写真を撮る人というのは、写真館などに勤めていてお宮参りや七五三など、子どもの行事のときに同行する。そんなイメージだ。

だから、自宅のような自然なロケーションで親子が戯れている様子を撮影してくれるサービスがあるなんて、まったく知らなかった。

撮影したフォトグラファー本人のブログを見付け、フォローして読み始めた。よくよく見てみると、活動しているのは関西圏だった。

自分は京都。その人は大阪。
それでも、家と保育園と店という小さな世界が活動範囲だった自分には、とてもではないが遠い場所だ。

「撮られたい」でも「学びたい」でもなく、ただその時は素敵だなと思っただけだった。


しかし彼女のブログを読み進めていくと、その人となりや写真にだんだん引き込まれていった。

「この人に会ってみたい」

その想いが抑えられなくなったころ、「子どものかわいい撮り方レッスン」という簡単な撮影レッスンと、フォトグラファーによる親子撮影のついた数時間のプチレッスンを見つけ、勇気を出して申し込んだ。

一眼レフなどという大げさなカメラは持っていない。
コンデジと呼ばれる手のひらサイズのデジカメしか手元にはなかった。

「それでも大丈夫ですよ」という優しい言葉に背中を押され、生後10か月になった息子と二人、一路大阪に向かったのだった。


(イメージ)

レッスンは、撮るときに気を付けるコツを教えてもらいながら、参加者同士でお互い母子のツーショットを撮りあうという形で進んでいった。

手のひらサイズの小さなデジカメでも、工夫次第でこんな写真が撮れるんだ!と思った以上の写真が撮れたことにも感動したが、なによりも感動したのは、最後にほんの5分か10分、主催者であるフォトグラファーが順番に撮影してくれた写真だった。

「カメラは気にせず、お膝の上でとんとん跳ねて遊んであげてくださいね」

その声かけに、言われた通りに子どもと戯れた。
すると、「美香子さんすごくいい顔してる」という声と共にシャッターが切られる音がする。

しかし撮られることに慣れているわけでもない。
緊張していたから、顔がこわばっていたら嫌だな…という不安もあった。

ところが、緊張もカメラのプレビュー画像を見せてくれた写真に、思わず胸がつまった。

息子はもちろんかわいかった。
文句なくかわいかった。

そして、自分の笑顔。
わが子をあやしている自分の笑顔はやわらかく、愛おしそうに息子を見つめていた。

私は、こんな顔ができていたのかと衝撃を受けた。


小学生と10か月の男の子ふたり。
そして夫は昼は仕込み、夜は店に出る。

ワンオペどころか、店が忙しければ早めに子どもに食事をとらせ、そのまま自分も出勤して女将業。手が回せない自宅は洗濯物もたまり、部屋は雑然としたまま。そんな毎日だ。

下の子も、ひとりで動き回れる月齢になってきた。
一層手もかかる。

イライラが増えていたが、そのイライラを感じていることに罪悪感が増していた。

子どもと向き合えていない。
子どもの世話ができていない。
それなのに子どもに対してガミガミ言ってしまう。
ママとしてこの子たちに何もできていないのではないか。

それが悩みだった。

ところが、見せてもらった写真に肩の力が抜けた。
じわりと涙で視界がにじんだ。

膝の上で笑っている我が子がかわいい。
その想いが溢れている自分が写った写真だった。

こんなナチュラルな顔で、息子の前では自然と笑っていられるんだ。
ちゃんと、良い顔ができてるんだ。

「私、ちゃんとママできてたんやなぁ」


プロの世界へ


それから、俄然カメラが気になり始めた。

いい加減古くなったこの小さなデジカメは買い替えよう。
そう思って電気屋に行くと、「お子さんの運動会を取るならこれぐらいあった方がいいですよ!」と勧められて、Cannonのkissを買った。


ちょうど、「社会復帰」がしたいタイミングだった。
もちろんお店には出ていたが、それ以外の交友関係は希薄だった。

何かしたい。
社会とのつながりを作りたい。

そんなタイミングで、かのフォトグラファーから「ママフォトグラファー養成講座」を始めるという知らせをもらった。
数か月の連続講座、しかも10万円を超える額は当時の自分にしたらずいぶんと勇気のいる額だったが、これもタイミングと飛び込むことに決めた。

「ママでもカメラマンになれる!」と謡われたその講座は、技術よりもお客様との接し方や子どもの気持ちを大切にする講座だった。

そういう講師のナチュラルで思いやり深い雰囲気には、似たような女性が集まるのかもしれない。0期生として集まった仲間たちは、みんなどこかほっとできる人たちで、安心して輪の中に入れた。

講座の修了後、同期とともに撮影会を企画したり、撮影技術のおさらい会に参加したり、時には公園のイベントにブース出展して、親子撮影を企画した。

ほかにも、個人でも児童館でのママサークル活動にカメラを持っていっては、おまけで撮影をつけたりした。




はじめたころはがむしゃらだったが、イベント撮影で出会ったお客さまから七五三の撮影依頼が来たり、その紹介でだんだんと撮影依頼が来るようになっていく。

新米ながら、プロのフォトグラファーとして確実に歩み始めた。


「ママは女将でカメラマン」


ところが、仕事が定期的に入りはじめると、思わぬ壁にぶつかった。

そう。
夫の経営する小料理屋の「女将」業務だ。

フォトグラファーという仕事は、撮影するだけではない。
撮影前には撮影場所の選定や下見。天候によっての会場変更。
撮影後は、写真の色味などを一枚ずつ修正する編集作業。それに七五三などの記念写真は業者に依頼してアルバムを作ったりもする。



その様々な工程を経て、お客様を撮影し、写真が納品される。

昼に撮影し、夕方からは女将として店を切り盛りする。
まだまだ甘えたい盛りの息子たちもいる。

時間が足りない。

兼業するか。
それとも完全に女将業を離れるか。

人生の大きな岐路に感じた。
数か月悩んだが、結局ひとりでは決めきれずママ向けの起業コンサルタントに相談した。

一通り相談を聞いたコンサルタントは言った。

「あなたの場合、完全に辞めたとしても後悔するよ」

それならば後悔しないように全部続けて、そして売りにした方がいい。
そして、「これいいじゃん」とキャッチフレーズが出来上がった。

「ママは女将でカメラマン」

二足の草鞋どころか、肩書きが3つもついた。



兼業フォトグラファーとしての苦悩


兼業で行こう。

そう決めた。しかし決めたはいいが、やはり三足の草鞋はなかなか厳しかった。心の迷いのせいなのか、初めはただ楽しかった撮影にぼんやりとした影がかかっていくようだった。

ちょうどFacebookやInstagramなどSNSが台頭してきた。
そこで見るのは、カラフルでフォトジェニックで「バエる」写真。

かといって自分はそういう写真を撮るタイプではない。
にもかかわらず、見てしまうと気になってしまう。

本当に私の写真でお客さんに喜んでもらえるんだろうか。
もっとSNSに載っているような写真を撮った方が集客になるんじゃないか。
そのために、もっとカメラの勉強をしたほうがいいのでは。


最初に習っただけの技術で続けてきたが、このままでいいのか。
兼業だからこそ残りの時間をカメラ事業に注げず、すべての時間を向き合っている人との差が離れていくような焦りを感じていた。

ちょうどそのころ、フリーでカメラを仕事にする人が増えてきた。
なかには専業で仕事をはじめ、数か月で100人を撮影するなど精力的に活動している。

紹介ベースで、しかも時間を制限しながら活動している自分よりも、後発の人たちの方がよっぽどたくさんの人を撮って実績をあげていく。

実績をあげないでフォトグラファーとして仕事をする意味はあるだろうか。

周りが気になれば気になるだけ、自信がなくなっていく。
悪循環な思考が止まらなかった。


そんな中、起きたのが2020年からのコロナ禍だった。

夫はまさに飲食業、しかもお酒を提供する店の経営者である。
今や二人だけで切り盛りしているわけではなく、専従スタッフやパートさんもいる。
何とか彼らの生活を守らなくてはならない。

テイクアウトの商品を作ろう。
お店のインスタを立ち上げよう。
とにかく、なんとか目前に迫った危機を脱さなくては。
変化に対応していかなくては。

女将業にかかりきりになった。

「もちろん、あの時は本当に大変だったよね。お店も開けられないから売り上げも出なくて」

2022年春、酒の提供が解禁されてから少しずつ人が戻ってきた。
そして、人気店だけあって今は繁盛しているらしい。
この日も夕方からは女将として出勤するんだと言う。

「でも、カメラを休むちょうどいい言い訳にしてた気もする」


もう一度、向き合う

「お店が大変だから、今カメラは大々的にやっていないんです」

最近お仕事どう?と友人に聞かれるたびに、そう答えていたという。

「今年は七五三やっていますか?」
「入学式なのでお願いしたいんですが」

そんなリピーターの声に細々と答えながら、フォトグラファーの看板をそっとしまい込んだ。

そんな中、小木曽絵美子と出逢った。

存在は前から知っていた。
オンラインで話したこともある。

その中で、「今度写真展をみんなでやるから、参加しない?」と声をかけられた。


迷った。
まだコロナで外出制限がかかっていた時期だ。
昼営業やテイクアウトで店の状況も少しずつ回復しているが、以前と比べると売上はまだ戻っていない。

2年間、フォトグラファーとしてのブログやSNSも活動していない。

本当にできるだろうか。
写真展は1部屋につきひとり、または2人が担当するという。

「美香子ちゃんにはここを任せたい」
と提案されたのは、7室あるうちの2番目に大きな部屋だった。

こんなに広い部屋を、写真で満たせるんだろうか。
夫に相談したら、「やってみたらいい」と言われた。

その時彼女には気になることがあった。
もしかしたら、こんどこそフォトグラファーとしての活動をやめるかもしれない。

齢40を数年過ぎて感じたのは、身体の変化だった。
撮影していても、女将として店に出ていても、以前ほど体力が無い。
無理ができない。

ちょうど今年、上の息子が大学生になった。
まだ下の息子は小学生だが、ほっと一つ親としての荷が下りた。

だからこそ、気になるのかもしれない。

あと何年、自分は好きに動けるのか。
もちろん努力して健康的にすごしたい。
それでも、やはり人生は何があるかわからない。

そうなった時に、この写真展に出なかったことを、後悔しないだろうか。


だったら、ちゃんとカメラと、撮影と、そしてフォトグラファーとしての自分と、向き合ってみよう。

そう決めて、返事を書いた。


OMAMORI Photo―KYOTO―



緊急事態宣言が明けた。
従来通りの営業再開を知らせると、何人もの常連さんに。

「待ってたよ!」

と声を掛けられた。

写真展に出展することを友人に告げた。
反応は同じだった。

待っていた。
その一言に目頭が熱くなった。

人と接するのが好きだ。
人に喜んでもらうのが好きだ。

素晴らしい人が周りに多い。
精力的に活動している人が多い。
SNSはどうしても、キラキラした人の姿が目立つ。
それでも、橘川美香子の撮影を待っていてくれる人がいる。


女性は、役割が多い。
彼氏ができれば彼女という顔が増える。

仕事を始めれば同僚や上司に向ける顔が
結婚すれば、お嫁さんや奥さんになる。

子どもが生まれればママの顔が増える。

そういう役割や立場ごとに「こうあるべき」「こうするともっと素敵になれる」と理想が提示される。

世間を見れば、まるでそれを完璧にこなしているかのような人ばかりに見えるが、そうは言っても究極のところ私たちは「自分」にしかなれない。

もちろん何かを目指して頑張っている姿も美しい。
でも、何もしていないふにゃふにゃな姿もその人の一部だ。

誰かや、理想の未来や、たらればの世界と比べなくていい。
そう思うから、いつも「お客様の今」を残すことを意識している。

疲れているなら疲れている顔でいい。
忙しくて子育てに悩んでいてもいい。

そんな人たちに、「あなたは十分よくがんばってるよ」と背中を優しくなでるような、そんな撮影をプレゼントしたい。

写真展用の撮影のテーマを考えていたとき、そんな想いと共に心に浮かんでいたのは「お守りになるような撮影」だった。


かつて自分が子育てに悩んだ時。
師匠に撮ってもらった写真を今でも大切に持ち続けているように。
その一枚の写真が子育てをずっと支え続けたように。

素の自分と、大切な人が写った写真は、その人だけ強力なお守りになる。

目指すのは、撮っている時間も含めたその写真を、いつもお守りとしてポケットにしまっておきたくなるような、ほっとする撮影だ。





「今のママってやっぱり大変だから。撮影の時間が、少しでもストレス発散になったらうれしい。いつでも話を聞くし、いつでも「待ってたよ!」って応援してる」

ママとして、フォトグラファーとして。
そして女将としてのホスピタリティ。

彼女の笑顔はそれを感じさせる、自然でしかしたくさんの人によって磨かれた、そんな笑顔だった。



8人の女性フォトグラファーによる
一般女性のための写真展

「prism of μ's」

2023年3月1日~3月5日
10:00-17:00(3/1は14:00開室 3/5は15:30閉室)

名古屋 市民ギャラリー矢田
地下鉄名城線「ナゴヤドーム矢田」駅すぐ


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