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忘れられる名前、思い出の映画。

「お名前はなんて言うの?」
と、500回くらいは聞かれた。

ある縁で特別養護老人ホームに一週間ほど通った。
そこでお話させていただいたある利用者の方から、一週間のうちにそのくらい名前を忘れられ、質問された。数分前に質問したことも忘れていた。
その方は脳梗塞を患い、後遺症で左半身のまひと記憶力の低下があるのだそうだ。
お話していてとても楽しい方だった。「ここの男性はみんな眉毛が細いわね」と内緒話で私に言ってくれる可愛いおばあちゃんだった。

「今自分がどこにいるのか、これから何をするのか全然分からない。不安なの」とその方は言う。
そのほんの数分前に私が「これからお昼の時間ですよ」と教えてあげたことはすっかり忘れて。そして、「お名前はなんて言うの?」と聞いてくれる。私はその度に、何度も何度も飽きもせず名前を名乗った。

でもその方は、私に思い出話を聞かせてくれた。
ブラジルで生まれたこと。沖縄に引っ越したこと。バレーをずっとやっていたこと。旦那さんが甲斐性だったこと。その時のことはよく憶えてる、と言って。

一番多く話してくれたのは、映画の話だった。お姉さんの旦那さんがよく連れていってくれたらしい。
バスでお姉さんの旦那さんの職場の前まで行って、アイコンタクトがもしあれば、今日は映画の日。
次のバス停で急いで降りて、会社に戻った。
その頃は映画くらいしか娯楽がなかったからね、と懐かしむように愛おしむように語る瞳は、ほんとうに少女そのもので、私は当時の彼女を見たと思った。

「ローマの休日」も「嵐が丘」も「ティファニーで朝食を」 も。どんなに好きだったか、どんなに心が踊ったか鮮明に憶えていた。
もう遠い記憶のはずなのに、Moon Riverを口ずさむ。

思い出がここにある。たとえ今日あったことを思い出せなくても、辿ってきた人生の道筋は残ってる。
なんて素敵なことだろうと思った。

60年 70年後に残しておきたい思い出が、私にはいくつあるだろう。
死というものに向き合うとき、幸せだった思い出が出来ればたくさん残っていてほしい。 
そんなふうに思ったのは初めてだった。

忘れられたらどんなに楽になれるだろうと思うことばかりだ。これからは少しずつでも、残っていてほしいと思える毎日を生きてみたい。 その時のことはよく憶えてる、楽しかったわ、と笑えるおばあさんになりたい。


「お名前はなんて言うの?」と聞かれる度に飽きもせず名前を名乗った。
名乗る度に毎回決まって、「そう。素敵な名前ね」と微笑んでくれるのが嬉しかったから。


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