死覇装の考察(斬魄刀と死神との関係も)

死覇装とは何なのか。

零番隊の修多羅千手丸の力によって生み出された物で斬魄刀と同様に死神の基本装備の黒い袴。
ネットでは様々な考察がされている。
黒を司る零番隊の兵主部一兵衛によって反乱が起きたときに黒い袴によって対処するため、というのが多いらしい。
その考察についてはBLEACH作者の久保帯人によって「その案も面白い」としている。
やんわりとではあるがつまりは作者の意図とは違うという事を意味している。

斬魄刀から見た死神、破面

ネットでBLEACHの斬魄刀の考察を見た時、よく見かけるのは読者視点からの斬魄刀。
それはつまり漫画のコマの中で斬魄刀を振るって戦う死神を通して見る死神視点の斬魄刀である。
また卍解とは本質としては破面の帰刃、「虚」と変わらない。
ようは何が言いたいかというと斬魄刀に封じ込められた虚の力とは卍解の「 刃」なのである。
至極普通の事ではあるが卍解が斬魄刀の「刃」として、剥き出しの刀身では武器としては扱いづらい。
刃を握り込めば手のひらを刃が傷つける。
そのために何があるか、といえば「柄」がある。
そしてこの柄こそが斬魄刀にとっての死神だ。
いや、正確には「柄の役割も持っている」と言うべきか。
解放前の浅打というのは中に封じ込められた 虚という刃にとっての鞘代わりとなる。
柄にしても鞘にしても剥き出しの刃を「制御」、言い方を変えれば「支配」するためには必要な物である。

斬魄刀の支配


大抵の死神と斬魄刀の関係はそれが釣り合っているが主人公の一護とその中にいる所謂「白一護」と言われている虚は無月の辺りまではずっとどちらが上かと争っていた。
また、零番隊の王悦の持つ失敗作とされる「鞘伏」 だが見た目こそ「 刀」 で「切れすぎる故」というのが失敗作である理由としている。
しかし普通に考えればいくら鞘ごと切ってしまうから納刀出来ない、なんてのはあり得ない。
また仮に鞘に入れておけないからといって水槽の中に入れる以外に持ち歩く方法なんてある。
鞘伏、というのはつまり単に鞘が切られてしまうほどの切れ味の刀、という話ではなくその中にある本当の刃、つまり卍解によって具象化される虚の力を制御するための柄や鞘にあたる死神が零番隊も含めた全隊長の中に現在、誰も居ないという事。
だから「失敗」ではなく、正確には制御するための柄、鞘にあたる死神が存在しないため「未完成」なのだ。
刀、としては切れ味が鋭すぎる妖刀だが、斬魄刀としては浅打にすら満たない、つまりは斬魄刀の胎児。
だから別の記事で鞘伏の浸かっている水槽の液体は「羊水」のようなものでまだ斬魄刀として生まれてもいない。
そしてその強すぎる力とは太陽のような存在。
だから自分の考察では日食、月食の力を斬魄刀に宿した7代目剣八、刳屋敷剣八が零番隊から声がかかった。
王悦の作り出した斬魄刀を制御、支配を強める柄、あるいは鞘の強化が刳屋敷剣八が零番隊に声がかかった理由だと思う。

死覇装とは何なのか、の答え。

鞘だの柄だの話がズレた方向に向かったが今回のテーマは死覇装。
では死覇装とは何なのか。
それは斬魄刀の中の卍解によって具象化される虚が刃、斬魄刀を支配する死神が柄や鞘。
「刀」を構成する上で残るものはあと一つ。
死覇装とは「鍔」である。
…鍔だから何?と考える人もいるだろう。
そもそもこの「 死覇装」 だが文字としては
死→死神。
装→装う。
つまり「死神が何らかを装うもの」となる。
この2つの間に挟まる「 覇」の文字がその「何らか」であり、それによって斬魄刀の鍔の示す意味の重大さが変わってくる。
覇とはその漢字の成り立ちとしては「雨(あるいは空)」と「革(獣の皮から毛を除いたもの、あるいは改める事)」と「月」によって成り立っている。
そしてこの覇とは残月、新月の時の「白い月」を示している。
よく「覇王」や「覇道」なんかの強い意味の熟語で使われるせいでそうした「覇」本来の意味は自分も今回調べるまで知らなかった。
そしてこの「白い月」を意味する「覇」だがさらに追求すると「白」から転じて「魂魄」の「魄」が意味を代用しているとの事。
そして魄の「ハク」と音が同じ伯(長老の意味)の意味を魄を経由して覇にあてがわれ、覇とは「支配者層」の意味を持つようになった。
そして過去の自分の考察でこの「魂魄」とはそもそも何なのか、というのも考察した。

要は覇とは魄を意味するならBLEACHにおいては三界分裂前、霊王の下で虚を滅ぼしていた古い滅却師の事。
つまり死覇装とは斬魄刀にとって鍔であり、それは現代の虚が過去の滅却師を真似て被っている仮面と同様のもの。
つまり「滅却師を装うためのもの」が死覇装の存在価値である。

死覇装が必要な理由

斬魄刀にとって卍解などにおいて「鍔」の役割、そして「滅却師を装う物」としての役割が死覇装にあるとして何故そんなものが必要なのか。
一番の理由は死神の力である柄や鞘の「制御 」と虚の力の「刃」を分断するための「調整弁」のようなものだ。
実際、一護の体内では死神の卍解、刃となる虚の力を調整していたのは滅却師の力だった。
また一護の完現術で出てきたのは卍の形をした天鎖斬月の「鍔」だった。
黒崎一護は「刃」である虚の白一護と支配権をかけて時に争っていたが制御出来ない時は天鎖斬月の一部の死覇装の部分が消失するほどのダメージ、つまりは鍔が消失したため柄と刃の境目がなくなった、と自分の考察に従えは解釈できる。
鍔のない刀で戦っているという事は切った衝撃でいつ手を滑らせて自分の刃で自分の手を傷つけてもおかしくない状態。
それを白一護が顔を覗かせて虚化するという表現で表している、と思われる。
そう考えると白一護が語った「理性で相手を斬ろうとしている」の比喩としての「鞘に刃を納めたような状態」というのは半分正解、半分間違い。
「刃」を出さない状態、という意味では合っているが実際は死神という「鞘」に納めたままではなく、滅却師を装う死覇装で、つまり刀身全体を覆う「鍔」で殴っている。
鞘と鍔、どちらにしても殺傷能力は低いのは変わらないが。

BLEACHではこの「卍」の時はよく使われる。
卍解が最たるものだが天鎖斬月の鍔もそうだ。
これは単なる「オサレ」という事ではなく、インドのヒンドゥー教では維持神、あるいは創造神でもあり、アバター(化身)には世界を終わらせる存在もいる最高位の神、ヴィシュヌの一つの側面である「太陽神」を表している。
仏教においても吉祥、つまり幸運を表しているが源流を辿ればやはり太陽に辿り着く。
ただ、ここで勘違いしてはいけないのは卍は「太陽を模した物」ではあるが「太陽そのもの」ではないということ。
それはつまり「太陽の威光」を手にしているという事でつまり「月光」や「星々の輝き」という風にあくまで「反射」でしかなく、つまり「過去の太陽の輝き」でしかない。
作中で言われた「 卍解は虚と同質」というのは「過去の自分の魂の輝き」が「反射」した事で観測出来るものといえる。

まとめ

死覇装は「三界分裂前の滅却師」を模した物であり現代の虚の仮面と同一の性質を持つもの。
そして死覇装とは卍解を刀に置き換えた時の「鍔」の役割をしており、卍解の刀身にあたる「 虚」と柄にあたる「死神」 が交わらないようにしている。
天鎖斬月は鍔が卍の形をしているがこれは「太陽そのもの」ではなく「太陽を模した物」、「太陽の威光を受けたもの」、つまりは「太陽に照らされた月や星々」であり、死覇装の「覇」が示す過去の滅却師、自分の考察における「魄」であり、「白い月」を示す。
まとめ、と言いながら長くなったのでもう一度まとめると
・死覇装は過去の滅却師を模した卍解における鍔。
・卍解によって斬魄刀に封じられている虚と死神が混ざらないための分断の役割をしている。
というの死覇装の考察である。

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