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酪農のメッカだった?東京酪農の歴史

実は昔は東京にはたくさんの牧場があり、日本の酪農のメッカのような場所でした。

江戸時代が終わって明治になった際、武士だった人たちは一気に仕事がなくなりました。そこで彼らは西洋から入ってきた新しい仕事、酪農を始めるようになったといいます。

酪農は今でいうITベンチャーのような仕事だったそうで、武士以外にも新しい物好きだった多くの人が参入したと言います。

明治の小説家、芥川龍之介の父親や、歌人で小説家の伊藤左千夫も東京で牧場を営んでいたり、歴史的にも様々な著名人が東京で酪農に関わっていました。

昭和30年ごろの小泉牧場の様子。あたりは畑が多く静かなエリアだったと言います。=TOKYO OPEN DATAより

多くの人たちが東京で酪農を始め、牧場は爆増したといいますが、次第に匂いやスペースの問題から牧場は郊外へと移っていき、現在のような状況に至ります。

今でこそ、牧場といえば、牧歌的で、郊外の広い牧場をイメージする方が多いと思いますが、実は東京のど真ん中が酪農のメッカだったということです。

そして、その一世を風靡した東京の酪農で、最後に残ったのが小泉牧場なのです。
だからこそ、小泉牧場が生き残る選択をしたのは歴史的にみてもとても意味がありました。


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