やるか、やらないか。
ドイツに来て仲良くなった、サッカープレイヤーの加藤リョウ君が、数日後日本に帰国する事になった。
ドイツで足を怪我してしまい、しばらく治療に専念する為なんだそう。
僕らの引っ越しと、彼の帰国日が、一緒に決めたかの様に同じだったので、最後に会ってお茶でも飲もうと、いつものカフェで話してると、彼は僕のクラウドファンディングの経過をチェックしてくれてて、今日また支援増えてましたね!と、言われて驚いた。
帰国後の話をしてると、怪我をして帰るから、周りのみんなには諦めがついたと思われてるけど、実は僕全然諦めてないんです!という。
プロのサッカー選手の平均的な寿命はそこまで長くないそうで、30代前に大きな怪我をしてしまうと、それはプロを諦めるというのが一般的なセオリーらしいのだけど、彼は早く足を治してまた挑戦したいんす。と言ってのける。
「一般的には」とか「平均的に」という言葉は、諦めをつけるのにとても便利な魔法の言葉だ。
単身で海外に出て、言葉や生活スタイル、コミュニケーションのとり方、どれをとっても日本と全く違う中で、サッカーの様なチームプレイをやれてるだけで僕は尊敬しちゃうのだけど、怪我をして手術までして、それでもまだヨーロッパでプレイしたいという情熱は、もはやバカだ。
そして僕はそんな彼に惹かれるし、全力で応援したくなる。
話の中で、達成出来る確率がむちゃくちゃ低い事を知った上で、それでもその夢に挑戦する人には必ず応援してくれる人が出てくるという話題になった。
応援してる人が求めてるのは、結果を出す瞬間よりも、そのバカみたいな夢を実現させようとする日々の姿勢や、その行動を通して、自分の背中を押してもらえる感覚のような、見えない力だと思う。
僕は今、西野亮廣さんにゾッコンラブ中なのだけど、西野さんのありえない行動を見てると、あの人がこれだけ大きな事をやらかしてるんだから、僕の小さな夢なんてどんどん叶えていこうと思えるのも、その見えない力の影響だと思う。
日本での一般的な事情や、平均なんて海を渡れば誰も知らないし、やらない理由なんてどうでもいい。
常にやるか、やらないかだ。
きっと結果がどうであれ、挑戦し続けるリョウ君の人生は波乱かもしれないけど、生きてる充実感がある事は間違いない。
なんでサッカーやってる人ってみんな好青年風なんだろう。
別日もお茶に誘う我ら。
全然オッケーっす!と乗っかってくれる義理堅いリョウ君。
ボンじゃ友達できねー!とか嘆いてたけど、少数でも良い人達と出会えてる事に、僕自身もこの道で間違ってない!と思えるのです。
そんなリョウ君、帰り際にクラウドファンディングで販売してるカレンダーを2枚も買ってくれて、しっかり男前度を上げて去って行ったのだった。
(ちなみに僕は最後くらい奢らせろ!的に会計に向かったものの、お店では現金しか使えなくて、結局お金を出してもらう可哀想なおっさんになってしまった)
リョウ君に幸あれ!!
【リョウ君がインスタに自分の気持ちを語ってたよ】
クラウドファンディングが、15日の23時59分までとなってます。
目標達成まであとわずか!!
ここまで来たら、かっこよく100パーセント達成してフィリピンに行きたい!
どうぞよろしくお願い申し上げます。
【レターポットやってます】
いや、これ誰かからサポートあった時ほんまにむっちゃ嬉しいんですよ!!