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ムサビ授業3:新しい生き方を選ぶのは理屈ではない

武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダーシップ特論 第3回(2021/04/26)
ゲスト講師:森一貴さん

◆「クリエイティブリーダーシップ特論(=CL特論)」とは?
武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科クリエイティブリーダーシップコースで開講されている授業の1つです。
「クリエイティブとビジネスを活用して実際に活躍されているゲスト講師を囲んで、参加者全員で議論を行う」を目的に、社会で活躍されている方の話を聞き、受講生が各自な視点から考えを深める講義となっております。

◆注記
この記事は、大学院の講義の一環として書かれたものです。学術目的で書き記すものであり、記載している内容はあくまでも個人的な見解であります。筆者が所属する組織・企業の見解を代表するものではございません。

ゲスト講師 森一貴さん

1991年山形県生まれ。東京大学教養学部卒業後、大手コンサルティング会社を経て、福井県鯖江市のプロジェクト「ゆるい移住」を機に、同市へ移住。
「社会に自由と寛容をつくる」がテーマ。福井県鯖江市を舞台に、Capability=人間の可変性を最大化する営みを探索。今年よりPublicとDesignをフィールドに大学院に進学される予定とのこと。

詳細は森さんご自身のnoteをご覧ください。

筆者とほぼ同い年で、大学卒業後にコンサルティングファームに入社したという経歴も共通しています。また、今年から大学院に入学されるということで、学校こそ違えど同じ院生として、とても親近感の湧く方です。

森さんの活動「社会に自由と寛容をつくる」

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森さんの活動は多岐にわたり、一言で表現することはできません。デザイナー的に社会的な活動をしている、という点では通底しているものの、「職業として何をしているか?」という問いにピッタリくる言葉が浮かばないです。

「職に就いている」というよりも「新しい生き方を切り拓いている」という表現が正しい気がします。以前の記事でも書かれていたのですが、地方での活動を通じて色んな実験を試みているというのが、根底にあるのではないかなと。

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僕は福井に来てから、本当にたくさんの領域に挑戦させていただきました。ライティング、WEBデザイン、WEBコーディング、簡単なデザイン、簡単なプログラミング、写真の編集、空間のデザイン、組織運営(というかシェアハウス運営)…。こうしたことは都市にいたらできなかった(やらなかった、でもあるのかもしれませんが)ことなのだろうなとすごく感じます
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森さんの活動テーマは「社会に自由と寛容をつくる」ですが、主に3つの軸によって成り立っているそうです。これ以外にも「主客融解のデザイン」など、面白い話をされていたのですが、それは他の方のnoteに譲ります。

➀変化のための小さな階段をつくる
:個人の自由な変化を後押しする / Design

⇒「生き方を問い直す場をデザインし、人々が社会を変えていくような確信を与える」

Ex. 生き方見本市HOKURIKU
(「どんな生き方だっていい」を合言葉に、多様な生き方を試みる人々のトークを聞き、自分の生き方を考えなおす博覧会@福井)


②つくることの民主化
 :個人が、何かを変える能力を持つことを後押しする / Designing Design
⇒「個々人が実験ができる環境をデザインする」

Ex-1.「RENEW」
(3万人を集客する、日本最大級の工房一斉解放イベント。職人自らの案内で工房見学やワークショップを体験できる)

Ex-2.「ゆるい移住」
(半年間家賃無料で、日本全国5都市に住める体験移住プログラム)

③つくることの民主化 v2.0(総教育者社会)
[ある組織が[個人が何かを変える能力を持つこと]を後押しすること]を後押しする / Designing Designing Design
⇒「デザイナーに頼る状態を超えて、デザインを内製化できるようにする」

Ex. 『福井県庁 ふくい政策デザインプロジェクト』の支援
(高齢者の短期就労者=「ちょこっと就労」を増やすプロジェクト)
https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/seiki/syuyouseisaku/syuyouseisaku_d/fil/R2_2020_2.pdf

「何となく」「ゆるく」と言うが、、

活動のことを話している際に、森さんはよく「何となく」「ゆるく」という言葉を使っていました。字面だけ見ると、感性重視のようにも思えますが、著者は別の印象を持ちました。

森さんはすごくロジカルな人なんだと思います。

本当に感覚的な人は東大に入れないし、コンサル会社の内定は取れないし、ロジカルシンキングも端からダメというのがその理由です。

根がロジカルだからこそ「ロジカルを突詰めることに意味はない」ということに気付き、逆の方向(感覚を重視する方)に振れているんじゃないかなというのが、筆者の勝手な解釈です。

よく昔のゲームで、キャラクターを画面の右端まで操作すると、左端から出てくるというギミックがありましたが、それと同じで何かを突詰めると逆に振れるということがあるかと思います。上手く伝わるかは不安ですが、、

なぜそんなことを言いだしたかというと、筆者自身も同じような経験をしており、森さんが自分に重なって見えたからです。

大学時代に計量経済学、応用ミクロ経済学(数字と論理でガチガチな感じのやつ)をやり、コンサルを8年やる中でロジカルシンキングを叩き込まれ、最近も『PMBOK』で定義されるようなマネジメントが求められ、作る資料は全てファクト・エビデンスに裏付けされる、、
 とまあ、何とも面白くないことをやっているのが筆者です。

講演後に「ロジカルシンキング」が話題になった際に、長谷川教授が「人間本来の思考パターンじゃない」と仰っていましたが、正にその通りのことを痛感し、いまや「論理以前に、感性が大事」と逆に振れている(そして美大に来た)自分と、被って見えました。

人は論理では動かない

森さんが強調していたことの一つに、思いつきのような形で始めて、周囲を巻き込みながら大きくしていった、ということがありました。ワクワクしてもらいながら周りを巻き込むのが重要とのことです。

それを聞いて改めて思ったのは、「人は論理では動かない」ということで、本来人間は感覚的に動いているだけなのだと思います。他人に説明する必要性から理屈を付けますが、結局大人も行動原理は子どもと変わらない(好きだからやる、嫌いだからやらない)だけなんだと思います。

筆者はコンサルとして新規事業開発の仕事をやっていますが、最近ある自動車メーカーで2年間以上プロジェクトに携わり、なんとかサービスをローンチする所まで漕ぎつけました。ちなみに事業開発は3か月とかのスパンが多く、これだけ長期間かけるのは稀です。。

「高い金を払って、きれいな資料が出てくるだけ」と揶揄されるコンサル業ですが、サービスとしてモノができた(それも、前例のないデジタルサービスで潰されずに走り切った)という点では成功したと思っています。

そこでのポイントが何だったか? 表向きはコンサルワークが上手くいったなどと言っていますが、実際の所は、コピーライターからメンバー全員が共感できるコンセプトを作ってもらったことだと感じています。
(この辺りの話は、改めてnoteで書くかもしれません)

つまり、膨大なリサーチをして外部環境や他社事例を集めたとか、最新のフレームワークを使ったとか、とてつもなく精緻な収支計画を作ったとかじゃないんです。

「皆がそれにワクワクした」。それだけがポイントだったんだと思います。

ビジネスコンサルを長いことやっていると、どんな事柄にもそれらしい理屈を付けられるようになります。いまやクライアントに対して情報の優位者になるのも難しいので、大きな付加価値を出すのが難しくなっています。

逆に付加価値を生むのは感性に訴えかけるような部分であり、暫くこの状況は続く気がしています。論理よりも感情に重きを置こうよ、というのが持論であります。

単なる成功談はない。泥臭い部分は欠かせない

本論とは少しずれますが、森さんは「成功談の陰に泥臭い部分がある」という話もされていました。

・まずやってみよう、で交渉する。
・新しいことをやる際の根回し(知人経由で、どんなストーリーなら話を聞いてくれそうか組み立てる)
・必要に応じて、多面的に成果を説明する(定性的だけでなく、定量的にも効果を試算する)

新規事業開発でも、全く同じプロセスが必要になり、泥臭い部分の方がむしろ重要だったりします。正直、面倒くさいと感じることも多いです。

「クリエイティブ」、「デザイン」、「イノベーション」と、字面はきれいでも、それらの陰では地道な努力があるということを再認識しました。

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印象的だった話

「なんとなく。」
 ー先に理屈があって行動するわけではないー

個人的に最も共感できる話です。twitterでも同様のことを仰っていますが、本当にその通りだと思います。なんとなくですが。

クリエイティブリーダーシップとは?
~自分の心に素直でいること~

前回、前々回のCL特論では、それぞれ「課題意識」「夢を持つということ」がクリエイティブリーダーシップの要件になるということを書きましたが、森さんの話では「自分の心に素直でいる」の重要性を感じました。

「AだからBをする」と論理的に行動を決める、というのは適切な条件下においてはもちろん必要ですが、世の中にはそれにがんじがらめにされている人が多いと感じます。

これがいきすぎると、「Aを与えてくれないと、何をしていいか分からない」ということになりかねません。人生に正解はないんですから、自分の生き方をしていいはずなのですが、とかく正解を求めている人が多い。

一方で、クリエイティブリーダーシップとは、そんな束縛から逃れた人ではないか、そんなことを思いました。

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