喫煙の「好ましい」効果
依存症の治療は専門外ですが,産科診療においても一定の割合のひとがタバコ中毒となっているのに遭遇します.妊産婦さんのことですね.身体面だけでなくメンタル的にも,貧困など社会的にもかなりハイリスクなことがしばしばです.喫煙についてはいつもマイケル・サンデル「これからの正義の話をしよう」のなかで紹介されているあるエピソードを思いだします.
喫煙者の平均寿命は短いので,国家財政にきわめておおきく寄与するという,国際タバコ資本であるフィリップモリス社のレポートです.東欧のチェコではいまでもタバコが社会的に容認されていて,実におおくのひとがタバコをたしなむそうです.喫煙による医療費の増加を懸念したチェコ政府が,タバコの増税などの禁煙政策を検討しました.
チェコ政府の委託によって,フィリップモリス社が国家の喫煙の費用便益分析をおこなった結果,チェコ政府が喫煙によって失うお金より,逆に手にはいるお金のほうが多いと結論したのです.なぜならば喫煙者の多くは定年後すぐに早死にしてくれます.生きているあいだに労働して税金を払い,定年後には喫煙によって早く死ぬので,医療費,年金,高齢者福祉などが大幅に節約できるというのです.
喫煙者は非喫煙者にくらべ平均3.7年早く死にます.喫煙はがん,心筋梗塞,脳卒中などの最大のリスク因子ですが,禁煙対策は長期的には国の医療費を増加させることが知られています.すなわち喫煙者は納税の義務をおえた引退後に,ふつうのひとより早く死ぬため,生涯医療費がすくなくてすむということです.
タバコ税収や,喫煙者の早死にによる公費の節約などによって,国庫の純益は年間1億4700万ドル,喫煙者ひとりあたりにすると1,227ドルの増収になるのだそうです.報告書ではこれを「喫煙の好ましい効果」と表現しました.フィリップモリス社の本音がついでてしまったのでしょうが,あまりに非人間的な発想にすぎます.
この報告書は世界中からはげしい批判をあびて,フィリップモリス社ものちに謝罪して撤回せざるをえなくなりました.営利のために,人間の命などいつも軽視しているからこそ,肺がんなどによる死を最終損益への寄与ととらえることができたのです.国家や一企業の利益ではなく,人間の健康や幸福を考えれば,禁煙推進こそが人間的にただしい政策です.
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