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「ローマの休日」

明るく爽快なラブコメディをという注文に応じて,脚本家のドルトン・トランボは友人の名前で「ローマの休日」の脚本を書き上げました.当時全米を席巻していた赤狩りで,トランボは追放されすべての仕事を奪われていたからです.以下の内容は山本おさむ「赤狩り」を参照しました.

そのころ大ヒットしていたフランク・キャプラ監督の「或る夜の出来事」では,大富豪の令嬢と新聞記者が最後に結婚で結ばれるハッピーエンドでした.その翻案として,当時アメリカ人の観光人気ナンバーワンだったローマが舞台に選ばれ,ヒロインのアメリカの大富豪の令嬢は,ヨーロッパ某国の若き王女におきかえられました.

ヒロインが王女となると,新聞記者との結婚という結末はどうしても不可能になります.ふたりの恋は最後まで秘密であり,結ばれないふたりにとってどういったハッピーエンドが可能なのか.愛は秘密であり結婚によって成就されることはなくなりましたが,ふたりのあいだで愛は深い信頼へと昇華されることになりました.

それがあの有名な記者会見のラストシーンとなります.愛をけっして裏切らないこと,信頼を貫きとおすこと,それをふたりは確かめあったのでした.それまでは軽いタッチのラブコメディだとばかり思ってみていたこの映画が,ラストシーンにいたっておそるべき真の愛のドラマに化けるのです.ヒット作の二番煎じとして構想された映画が,オリジナルをこえるとんでもない名作に生まれかわりました.

赤狩り以前の時代に信じられていた反ファシズムの理想,人道主義,民主主義の理念だけでなく,その根幹にあったはずのひととひとを結ぶ友情や信頼が,赤狩りの狂気によって根底から蝕まれ,打ち砕かれていきました.多くの映画人が深い挫折感と絶望感にうちひしがれていました.

アン王女と新聞記者ジョーは互いにうそをつきあっています.自分がなにものであるかを相手にあかすことができません.ジョーははじめ,アンの正体をあばいてゴシップ記事を書き,タブロイド紙にそれを高く売りつけようとして接近したのでした.

これは赤狩りを生きる映画人の姿とおなじだったのです.いつ自分が密告されて正体をあばかれるのかとびくびくと怯え,あるいは自分の利益のために他人の正体をあばこうとしていました.そういった不信と裏切りに囲まれて,だれもが自分の信実を正直にだすことができず,互いにうそをつきあっていました.

しかし途中でジョーは自分の利益をすべて放り投げて,アン王女との信頼を守る道を選択します.これは赤狩りの時代を必死に生きのびようとしたトランボがだした密かなメッセージでした.すべてをうばわれ映画界を追放された彼は,目も口も手もふさがれながら,それでもなおみんなに「信頼」を呼びかけたのでした.

ワイラー監督も主演のグレゴリー・ペックも赤狩りのターゲットにされた映画人の支援に携わっており,撮影スタッフのなかにも元共産党員が多くいました.「ローマの休日」がすべてローマで撮影され,編集も仕上げもローマでおこなわれたのは,非米活動委員会の追求を逃れるためだともいわれています.

すばらしい才能にめぐまれた脚本家でありながら,赤狩りによって職とキャリアのすべてを奪われ,それでも最後まで信念をとおしたトランボ.彼の生きかたから見なおすと,「ローマの休日」はまたまったくちがう魅力がみえてくるのです.オードリー・ヘップバーンも新人ばなれした名演技をみせています.

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