新生児聴覚スクリーニングの倫理的問題

新生児聴覚スクリーニングとは,生まれてまもない赤ちゃんにおこなう聴覚の検査です.この検査は,赤ちゃんが眠っているあいだに音を聞かせてその反応をみるもので,とくに痛みなどといった負担はない安全な検査です.通常,数千円の自己負担がかかります.

千人にひとりかふたりくらい,生まれつきの難聴の赤ちゃんがいます.もしそれに気づかずにいるとことばや知能の発達などに影響があります.スクリーニングで早めに耳の聞こえにくさを見つければ,専門施設などで適切な治療や支援を受けることが可能です.

難聴を早期に発見できれば医学的に非常にメリットがあると一般的には考えられていますが,倫理的な問題がないわけではありません.聴覚障害は当事者においても障害ととらえる立場が多数派ですが,一方で「ろう」は単なるひとつの特性にすぎず,ろう者とは「手話」という日本語とはことなる言語を話す言語的少数派,と考えるひとたちも存在します。

周知のとおり,人工内耳は聴覚障害者の聴力を回復,向上させる画期的な治療法であり,前者の立場からは歓迎,ないしは条件づきで許容されています.実際に手術によって聴力が回復したのをよろこぶひとはおおいのです.しかし後者のひとたちからはしばしば強い批判をあびているのも事実です.

ろう者はみずからを一種の文化集団と規定しています.手話をコミュニケーションの手段とする共同体をつくっていて,実際にろう者間での結婚の割合も高くなっています.こういったご夫婦は,生まれてくる子どもも自分たちとおなじ聴覚障害であることを望み,人工内耳にたいしてははげしい反発を示します.

もともとろう者の権利獲得運動が,アメリカでは公民権運動とともに展開されたという事情があり,ろう者集団を一種の少数民族と考えるとわかりやすいかもしれません.そのため自己決定できない乳幼児への人工内耳手術が,彼らの共同体を解体しようとするいわば文化的民族浄化であると反発されることもあります.

医師のわたしはもちろん治療を求める前者の立場にたっています.ただし産婦人科学会などによる新生児の聴覚スクリーニングは,そういった一部の聴覚障害者の繊細なメンタリティを一顧だにしていないところに一抹の危惧を感じています.その一方で人工内耳の性能が向上した今日において,自分の子どもに人工内耳の治療の選択をしないことが,はたして倫理的に許されるのか疑問も感じるのも事実です.

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