最終的には本人の希望にそってNIPTをおこなわざるをえない
NIPTが2013年にはじまってから,「遺伝カウンセリング」ということばはすっかりポピュラーになりました.だれもかれもが遺伝カウンセリングが重要だといいます.そのためにセミナーやらロールプレイなどが花盛りです.しかしひとことで遺伝カウンセリングといっても,実はそのレベルはさまざまなわけです.
NIPTの希望者のうち何パーセントのひとを断念させることができたかで遺伝カウンセリングの質を評価しようという提案もありました.しかしこれはどうだろう.赤ちゃんがなにかの異常ではと強く心配して検査をしてほしいと思って来院した妊婦には,検査をせざるを得ないことのほうが実際は多いでしょう.
「あなたの年齢からいっても,超音波の所見からいっても,染色体の病気の可能性はほとんどないから検査はしません」と伝えるのが診断推論的にも医療経済的にもほんとうだという考えはよくわかるし,圧倒的に正しいでしょう.そのように言って妊婦さんを納得させているというひともいるかもしれません.
あるいはNIPTは命の選別であり倫理的に望ましくない,これから子どもを産み育てようとするひとには命の意味を考えるべきである.そんなふうにいって検査を断念させる医者もいます.そういった思想でNIPT自体をおこなっていなかった地域もこれまでありました.ひとつの倫理的見識だろうと思います.
「なるほど 先生がそういうならそのとおりだ」という妊婦さんも一定数いるでしょう.しかし赤ちゃんの病気が心配な妊婦はそうは思えないかもしれません.「いくら検査を希望しても正論をいわれるだけで,話をしていてもらちがあかないから,別の病院に行こう」と考え,病院をハシゴすることになります.
「医者がそういうのならそのとおりだ」程度の心配をしているひとは,説得で不安をとりのぞくことができるかもしれません.しかし過剰に心配し検査を求めている妊婦さんは,その場の正論で形だけは問題をなくすことができるかもしれませんが,結局ほかの病院にいって検査を受けることになるだけです.
これはとてもむずかしい問題です.検査前のカウンセリングはていねいにおこないながら,最終的には本人の希望にそってNIPTをおこなわざるをえないだろう,というのがわたしのいまの実感です.
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