奴隷のしつけ方を読んだ
読書感想文です〜。
タイトル:『奴隷のしつけ方』
著者:ジェリー・トナー
要約:架空の古代ローマ人のマルクスを主人公とし、マルクスが奴隷の扱い方について詳細に解説をしている本。
奴隷のお得な買い方、労働のアサイン方法、奴隷の婚姻や性についての意見などの実用的なテーマから、奴隷への罰や解放、ひいては宗教や哲学的に奴隷をどう捉えるかといった話まで多岐に渡って書かれている。
なぜこの本を読もうと思ったかというと、もともと人権について強い関心があり、人間の平等を考えることが好きだったからだ。
基本的人権や平等が当たり前として謳われる現代だが(その実態は別として)、それが当たり前にそうではなかった時代があり、人間の本質は真理があるのではなく、時代によって容易に変わるものだと最近思うようになった。
だから奴隷が当たり前によしとされていた時代に、ローマ人が奴隷をどのように捉えていたのか気になったのだ。
本を通して、結構大事なんじゃないのかって思ったことは、「奴隷は高い、だからせっかく大枚をはたいて買った奴隷を有効活用したい」というローマ人の心理だ。
どのくらい奴隷が高かったかというと、家族4人が2年間やっと暮らせるくらいの金額だったようだ。
そんな額を出して購入した奴隷にできるだけ長く活躍してもらうには、前提として人間らしく扱ってやることが大事(!)で、飴と鞭を使い分けながら奴隷を管理していたようだ。
奴隷だからといって、常にいたぶられたり(主人の性格によってはもちろん虐待されることはあった)、食事を取らせてもらなかったりするわけではないらしい(とはいえ超質素ですが)。
いい働きをした奴隷には褒美を与えたり結婚を許したりして、逆に悪さを働いた奴隷には奴隷のランクを下げたりしたしい。(奴隷の中でも階級がある)
と思いきや、お気に入りの奴隷には性行為をさせて子供を生ませたり、生ませたのにその時に自分の後継者が豊富な場合には子供を捨てさせたりするから必ずしも現代の私たちからすると「奴隷的扱いだ…」ということもあるようだが。
古代ローマ人が奴隷に対して、「奴隷は奴隷だが、我々(=ローマ人)と本質的には変わりないのに運悪く奴隷に身を落としたものもいる、なので奴隷とローマ人を明確に区別することは必ずしも正しいとは限らない」という思想に対して、古代ギリシャ人は「ギリシャ人と奴隷は本質的に異なる。
奴隷とは生まれながらに奴隷であり、ギリシャ人よりも劣っているもの」という考え方だったようだ。そこまで時代が隔たっていたわけではないのに、奴隷に対する考え方が変化しているのは興味深い。
この変化起こった背景として、奴隷の数が少なくなり奴隷の価格が高騰したことが考えられる。
奴隷は貴重=それなりに大切に扱おうという考えが生まれたのだ。
また、もともと自由市民だったのにもかかわらず、貧困のために奴隷に身を落とす人も増え、自由市民と奴隷の行き来が生まれてしまったことも原因として考えられるだろう。
この本を読んで、人間の価値というものが時代背景によって容易に変わるんだなと改めて感じ、興味深かった。
のこのこ生きていると、いつの間にか前近代的な考えが再興してしまうかもしれない。
逆に、こん変わりやすい人間の本質を利用して、人間の平等というものをより押し進めることができるかもしれない、と可能性を感じる本だった。
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