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雨の日|好きなものを好きというエッセイ

雨の日が好きだ。

雨が降っているのを家の中から見ているのが好き。しんとした家の中で、激しいはずなのに窓ガラスを一枚隔てただけでやさしく聞こえる、ざあざあと雨が降る音。
サーっと音を立てずに降る霧雨より、雨粒がしっかりしていて、ざあざあ降る雨の方が、わたしは好きだ。

子供のころ、お母さんと行く買い物はいつも車だった。スーパーにつくと、「すぐ帰ってくるから、まっててね」と、車でひとり待つことがほとんどだった。
すぐ車酔いをしてしまうわたしは、目的地につくまではうずうずと待ち、ついた瞬間に本を広げ、お母さんが戻ってくるまで夢中になって本を読んでいるような子供だった。
でも雨の日だけは、待っている間も本を読まなかった。

エンジンを切った車の中は、信じられないくらい静かだ。

聞こえるのは雨が車の窓ガラスを打つ音だけ。この空間が私は大好きだった。
雨の日の買い物はレアだ。本を読んでいる場合ではなく、このレアな空間を存分に楽しむべき時間だった。

とんとんとんとん、とリズムよく落ちてくる雨。かたまりで落ちてくる雨は、ばたばたばたっ、と窓に当たる。雨の音はとても大きく聞こえているのに、うるさいという感覚とは無縁で、なぜか静けさを感じた。

外の世界はびしょびしょに濡れているのに、わたしだけは安全で、快適に乾いていて、あたたかく包まれていた。このまま車がすーっと動き出して、自分だけ違う世界に行ってしまうような気がして、どきどきしながら窓の外をのぞくと、いつものスーパーがあってなんだかがっかりした。

近くを人が歩いていても、足音やビニール袋の音はまったく聞こえない。そのうえ、その人は傘をさしていたり走っていたり、こちらにはまったく気づいていないようで、やっぱりわたしだけ、この車だけ違う世界にいるのかも、向こうからは見えていないのかも、などと妄想した。


上京してから、車の中で雨を感じることは滅多になくなり、激レア空間になってしまった。
けれど、一人暮らしの家は、限りなく静寂に近い。雨の休日は、テレビもエアコンも消して、窓の近くに座り、ぼーっとする。
雨の音と、冷蔵庫のぶーんという唸り、自分のかすかな呼吸だけが聞こえる。やっぱり少し違うのだけれど、子供のころの車の中と似た感覚をおぼえる。スマホがブブっと震えて、こちらの世界に戻ってくる。

雨が降る前と、やんだ後も好きだ。

まだ昼なのに空がどんよりと薄暗くなっていくのは、何とも言えない非日常感がある。
遠くに見えていたビル群は、グレーの霞の向こうにぼんやりとしか見えなくなり、空気は水っぽくなって、木や葉の緑は濃く深くなるように感じる。遠くで雨が降っている湿った匂いがし始めたら、もうすぐ雨が降り始めるサインだ。

雨がやみ、地面が濡れたまま夜になると、街灯、車のライト、建物から漏れる灯りが濡れた地面にきらきら反射して、光が増えたように見える。
部屋を暗くして外を見ると、夜の黒と、白、赤、青、オレンジ、いろんな光が混ざり合い屈折して、いつも見ている道路に、見とれてしまう。

足元や荷物が濡れるのは嫌いだし、電車に乗るとむわっとして不快な感じがするし、外に出るのは億劫になるけれど、それでも雨の日はやっぱり美しく、楽しい。





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