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ふつうを押し付けない|「流浪の月」を読んだ

ふつうって、なんだろう。

ふつう【普通】
いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。

…とGoogle先生はおっしゃっている。

「他と異なる性質」の基準ってなんだろう。

例えば顔の形なんて、地球上の人間全員が違う形だ。それならひとりも「ふつうの顔」を持つ人なんていない。

全員がそれぞれ違う人間だなんて、頭ではみんなわかっている。だから「ふつう」の基準なんてないはずだ。
けど、世の中には暗黙の了解で、考え方や生き方、外見、細かい仕草や話し方の「ふつう」という基準が漂って、わたしたちを束ねている。そしてその束から外れたら、なんとなく「異なる性質のもの」として弾かれて、そういう目で見られる。

それは黒人に対する差別とか、そういう、道徳の授業でダメですよ、と言われるような直接的なものではない。もっとナチュラルに存在している、雰囲気とか空気に近いものだとわたしは思う。



小学校の頃、学校に行けなくなったことがある。
わたしは遺伝でどんどん視力が下がり、小学2年生の夏休み明けから、分厚いメガネをかけて登校することになった。クラスでメガネをかけているのはわたしだけだった。だからと言って、それをからかってくる同級生はいなかったし、いじめられたりもしなかった。

だけど、学校に行けなくなったのは、メガネのせいだった。

朝のホームルームだったと思う。先生がみんなに向かって、「今日から〇〇さん(私)はメガネをかけて学校に来るけど、みんな優しくしてね」というようなことを言われた。どんな顔をしていいかわからなかった。
席替えでは、先生が前から2列分だけのくじをつくってくれて、わたしが最初にそれを引いた。メガネをかけているから、後ろの席でも見えるのにな、と思った。

そういうちょっとずつの違和感が嫌で、仮病を使うようになった。多分、2週間くらい学校を休んだと思う。

その時は、なんとなく嫌だ、という感情を上手く言葉にできなかった。自分でも何が嫌なのかよくわかっていなかったのもあったと思う。結局なにがあって学校に行き始めたかもよく覚えていないから、たぶんわたし自身めちゃくちゃ気にしていたわけでもなかったんだろう。

だけどその学校のシーンや、先生の声、みんなに注目されながらくじを引く感じは綺麗に思い出せる。

今思えば、先生に悪意はないし、むしろ優しさや、いじめが起きないための配慮だったんだろうなあと思う。だけど当時のわたしは先生の、『小学校2年生でメガネをかけている子』に対する言葉や行動に、いちばん違和感を感じていた。



この物語の主人公・更紗は、小学生の時から、『性犯罪の被害者』という、“ふつうとは異なる性質”を背負って生きることになる。
でもそれは警察や周りの思い込みで、実際更紗は誘拐も監禁も強姦もされていなかった。むしろその犯罪者にされた大学生・文に、救われたと感じていた。

白い目というものは、被害者にも向けられるのだと知ったときは愕然とした。いたわりや気配りという善意の形で、『傷物にされたかわいそうな女の子』というスタンプを、わたしの頭から爪先までぺたぺたと押してくる。みんな、自分を優しいと思っている。
昔から、わたしの言葉は伝わらない。思いやりという余計なフィルターを通されて、ただ笑っただけで『無理をしているのではないか』、ただうつむいただけで『過去のトラウマがあるのではないか』という取扱注意のシールを貼られる。秘密を打ち明けた中学や高校のときの友人もそうだった。あの子たちも、亮くんも、きっと優しいのだろう。


更紗は多分、『被害者の女の子』というレッテルに傷つけられているのではなくて、『被害者だから、かわいそうな女の子』という思い込みから来るいろんな行動に、傷つけられている。

「ふつう」という基準があること自体、思い込みだ。それぞれの人生はそれぞれの人生であって、比べる基準なんてない。だから、「ふつう」から外れた生き方、なんてない。
なのに、生活のなかで「ふつう」という思い込みはそこかしこに漂っている。しかもその「ふつう」の中にいるのが当たり前、という雰囲気さえある。

イメージでしかないけど、何十年か前は、「ふつうから外れる」=「攻撃し除外すべきもの」、だったのかもしれない。黒人差別や、戦争を拒む人への村八分みたいに。

だけど、そんなわかりやすい悪意は消えたかわりに、今あるのはもっと厄介な、「ふつうから外れる」=「かわいそうでいたわるべきもの」という、柔らかな優しい区別なのかもしれない。

悪意があるわけじゃない。傷つけようとしているわけじゃない。だけど残酷なことに、相手に向ける優しさが、「あなたはふつうから外れたんだよね」ということを強烈に意識させてしまうこともあるのかもしれない。

「ふつう」なんてないのに。だから、「ふつうから外れた人」なんていないのに。
その意識や言葉や態度で、「ふつうから外れた人」に、相手を押しやってしまうのかもしれない。

だからどうすればいいのか、その答えはわたしがまだ未熟すぎて見つからないけれど。
まずは「ふつう」なんていう思い込みを自分の中から抹殺したい。難しくて時間がかかるかもしれないけど、それが頭の中にあるだけでも何か変わると信じて。



なんかもっとすごくいろんなことを考えさせられたんだけど、今のわたしの文章力ではこれが限界でした。もっと自分が思ったことを、クリアに伝えられる力を身につけたいなあ。






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