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きょうだい


うつ病と診断されて2年が経過しようとしている。
貧困である、家族には頼れないので入院は断った。
月に一回の通院と服薬の日々を過ごす中で、希死念慮が常にそばにいるわけではない事に気が付いた。
ここで私自身の持つ希死念慮について書こう。私の場合は「死にたい」「消えたい」「殺されたい」「自殺の方法を考える」「死の感覚を考える」これらが主なパートナーだ。

この迷惑なパートナー達は常にそばにいるわけではない。ただ引き金になるトリガーはすっかり壊れてしまっている。

「それはちがいますよ」優しく諭されたとする、ここで勝手に引き金が動く。

嫌いな上司が自分ではない誰かに対して大きな声で怒鳴っているとする、ここでも引き金が動く。

コップに注いだ水を何かの不注意で落とす。ガラスは割れていない。ここでも動く。

些細なことなのだ、全てが些細で、どうでも良く、解決できる事。
それなのにこの壊れた引き金は勝手に動き希死念慮という弾丸で何度も何度も頭を貫いてくる。

うつ病になったのは、正直いつだかわからない。診断されたのは2年前だが、常にそこにあったように思う。

小さな頃、きょうだいから性的な虐待を受けていた。今ならばもしかして助かる道もと思ったが、無理だろう。
たとえ令和のこの時代に同じ様な事をされていても、変わらなかった。

毎日容姿を罵られた。毎日叩かれた。年上のきょうだいの性的な好奇心にそれがよくない事である事以外理解の出来ない年齢で付き合わされた。触らされた。舐めさせられた。飲まされた。

助けを求める、ということができない子供だった。
きょうだいとは、時に、親よりもその子供の育成環境を劣悪なものにする。
体感してきたからそう言える。

とにかく憎かった。高校に入学するまできょうだいを憎み続け、恐れ続けた。

きょうだいは、人間と触れ合う事への恐怖心を知らぬ間に植え付けた。醜い容姿は酷いコンプレックスになった。
きょうだいは、高校に入学しアルバイトを始めた途端に手のひらを返した。
きょうだいは、金を貸してくれと小さな頃から何度も頼んできていた。

何故か、人に好かれているきょうだいが憎かった。それは、化け物ではないか、こんなにもおかしくされたのに、それは、愛されるのか。

高校の頃、すでに、引き攣った様な笑顔しか浮かべられなくなっていた。
この頃も、あの厄介なパートナーはそばにいた。

いつも他人が怖かった。取り繕って近くの人間を笑わせその場を凌いだ。
高校時代、そんな記憶しかない。


社会人になり、ある程度生活に慣れると一人暮らしを始めた。
きょうだいは実家だ。

ここはあまりにも心地が良い。
安月給のため、賃料は決して安くない。
だが、家を出るというのは、きょうだいと同じ屋根の下にいないというのは、あまりにも幸福なことだった。

ひとりになり、希死念慮に襲われるたび、遺書を何枚も書いた。死に方を考えた。
そして今書いているこれも、遺書である。
死にたくなるたびに更新される、遺書である。

見ているか、きょうだい。

人の肌に触れられるのが恐ろしく、もうすぐ30である1人の人間は孤独に死ぬ以外、なにもない。お前が10年以上罵り続けたこの容姿は、誰の言葉を聞いても信じられなくなったぞ。ここまでここまで壊れたぞ。これが望みだっただろうか。
お前の奴隷だったものに、心臓があったことを知っていただろうか。

ストレスの発散方法も、好きなものも、笑い方も、何も分からない表面だけを上手く上手く取り繕えるようになったのは、大人になっただけで、中身はまだ虐待を受けていたあの頃のまま。

うつ病になったのは、いつなのだろうか。

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