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【マンガ感想】『宇田川町で待っててよ。』秀良子

すっごく好きで何回も繰り返し見る作品もあれば、印象が強いゆえに何度も見られない作品もあります。

後者の例として一番に思い浮かぶのは、橋口亮輔監督の映画作品。
はじめて橋口監督のデビュー作『二十歳の微熱』を見たときは、橋口監督が描く人物の生々しさ、いやらしさに驚き、また人生のままならなさに苦しむ主人公たちに心を痛めました。2作目の『渚のシンドバッド』にも衝撃を受け、大好きな映画監督となった橋口監督。デビュー前の自主制作作品が上映すると聞けば足を運んだし、トークイベントに行ったり、監督の作品にエキストラとして参加したりもしました。

これほど大好きな監督の作品ですが、実はほとんどの作品を一度しか見ていません。人の上辺も裏側もじっくりと映し出す橋口作品は見ていると、返しのある釣り針を心に引っ掛けられたような痛みが伴い、見終わった後も、その痛みは消えません。見返すには勇気が必要で、大好きだけど、何度も見られない。そんな作品なのです。

そして、橋口監督作品のように、わたしの心大きく揺るがしたのが名作として名高い秀良子先生のBLマンガ『宇田川町で待っててよ。』。


それまでも『ロメオがライバル』や『STAYGOLD』など秀良子先生の作品は読んだことがありました。きれいな絵と笑えるストーリー、先生の作品にはそんな印象を持っていました。
男子高校生が恋愛する笑える話かな?そんな想像をして、本作を買いました。確かに最初はあははと笑って読んだのですが、ストーリーが進むうちに、笑っていられなくなりました。軽くて笑える話を期待したわたしは、肩透かしをくらった気になったのですが、2度3度と繰り返し読むうちに、この作品で描かれていることが、見えてきました。これは自分でも気づいていなかった自分自身に出会い、向かい合って、受け入れることを選択した勇気ある男の子の話だ。そう気づいたとき、わたしは果たして自分自身を受け入れているか?という問いが生まれ、答えを持たないわたしは、この作品を読むことが怖くなってしまったのでした。

物語はこんなふうに始まります。

渋谷ので女装したクラスメイトの八代やしろを見て以来、八代のことが気になって仕方がない百瀬ももせ。再び渋谷へ行くとそこにはまた女装した八代が立っており、百瀬は思わず告白してしまう。百瀬に女装姿を見られた上に告白をされた八代は、自分につきまとう百瀬が怖くて仕方がない。これを機に女装を止めようと思うがーー

男子高校生のお話。
八代はクラスの派手なグループにいて、百瀬はクラスにいるときはたいがい独り。百瀬は八代には「でかくて暗いやつ」という印象を持たれています。

クラスでは接点のないふたりが、女装した八代の姿を百瀬が見たことがきっかけで、お互いを意識するようになりますが、ふたりの距離は簡単に縮まりません。誰とも付きあったことのない百瀬は好きな人への接し方がわからず、ただただ八代につきまとい、八代を怖がらせてしまいます。

好きなひとができたけど、どうアプローチしたらいいかわからない百瀬。
女の子とは適当に遊べるけど、自分の性癖を知った男に好きといわれてどうしていいかわらかない八代。
はじめてのことに戸惑う十代の若者がじたばたする様は見ていてとても苦しい。
とくに自分の性癖と向き合う八代の姿が切ない。八代のように十代で自分の性癖に気づく人もいれば、気づかないで一生を終える人もいて、またそういう要素があることを知りつつも見ないふりをして過ごしている人もいる。性癖は十人十色であり、それに気づかずに一生を終えるか終えないかも人による。だからこそ八代と百瀬の物語は、誰にでも起こりえることだと思います。

自分の性癖への興味、戸惑い、恐怖、そして世間の常識を振り払い好きなものを手にしたときの喜び。ふたりの男の子のさまざまな気持ちが交錯しあう本作は、読者であるわたしへもまた、どんなつもりでこのマンガを手に取ったのかを問いかけます。
BLというジャンルへの興味と、興味を持つことへの後ろ暗さ。消費される側であることに憤っていたくせに、虚構であることをいいことに、少年たちを消費しているのではないか。その疑問に対する確固とした答えを持たないことを不意に突きつけられた気がしました。

いまだ自我が確立していない少年たちのあやうさにぎゅっと胸を締めつけられると同時に、自分自身の姿勢についても考えさせられた秀良子先生の『宇田川町で待っててよ。』。橋口亮輔監督作品同様、何度も触れられないゆえに心に強く残る大切な一作となりました。


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