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チームメンバーとお客さまの境目はどこ?[新・群れラジオ#7]


こんにちは、群れ研究所です。

新・群れラジオ#7は11月22に行われました。なんと久しぶりになかそねさんがラジオに参加ということでアニバーサリーです。

今回は所長となかそねさんのふたりだけでしたが、また3人のお喋りが聞けるとなるとワクワクしますね。

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ただいま群れ研究所では、『遠くへ行きたければ、みんなで行け』を課題図書に設定して、みんなで読んでいるんですけれども、幸運なことに翻訳の方とお話しする機会をいただけるようです。せっかくの機会ですので、あらかじめ読書して浮かんだ感想や問いをスプレッドシートに書き込んでいくというのをやりたいと思います。

by.所長

今回は、スプレッドシートに問いを書き込みながら行われました。
記事作成マイクとみさわ、『遠くへ行きたければ、みんなで行け』を傍らに、ラジオの模様をお届けしております。読者のみなさんも一緒に、問いを立てていただければと思います。

コミュニティの結成目的ってあとづけできる?


バリュー・ステートメントを見てると、群れ研究所が店で、メンバーがお客さんになってるような感じがしてる。群れ研究所は、価値提供をするための場じゃなくて、コミュニティをつくりたいんじゃなかったっけ?とわからなくなってきちゃって・・・

自分たちのバリューステートメントをベースにもっと具体的に、明確にできるんじゃないかな。「コミュニティ・メンバーのため」というのは、口当たりのいい言葉で、自分たちはなにをやりたいのか?それが大事だと思う。そこに賛同してくれる人がいれば、運営側に近づいてくると思う。まず、自分たちのやりたいことを明確に。そういう意味で群れ研究所は中途半端なのかもしれない。

by.なかそねさん

なかそねさんの群れの関心はめぽりっくさんと同様に、どのような組織が効率よく魅力的に機能するかというところだそうです。

運営側がコミュニティにどんな価値を感じるかが明確であることは、情熱的な活動を支え、コミュニティを「自分ごと」のように身近に感じさせるのではないでしょうか。


なかそねさんの言ってたことは共感する。僕らはあくまで営業的な立場で、僕らのためにコミュニティをやってるというより、みんなのためにコミュニティを運営するというのがこの本に書かれてることなのかなあ?と…

by.所長

「価値」の扱いがむずかしいですね。群れ研究所は、もともとなんとなく自然発生的にできたところがあるので、明確な目的があって結成したわけではありません。

「暗黒大陸に行くぞ!」というような明確な目的があれば、自分や自分たちはなにをすればいいのか明確です。しかし、それがないぶん、価値の話はカチッとまとめることがむずかしいのです。


群れ研究所は失敗できるコミュニティ


ぶっちゃけ、ぼくには群れ研究所をこうしたい!というのはない。興味の食指が動いたところだけをつまむ感じで、個人の実践の場として利用してる。だから、皆さんにもカジュアルにいっぱい失敗する前提でやれる場にしてほしいとおもってる。

by.所長

ぼくにとって、スラムは雑談コミュニティ

by.所長

群れ研究所は失敗できる場であろう!というひとつのバリューがうまれました。これは汎用的ですね。自分でコミュニティをつくろうとして失敗したり、スラムで群れようとして失敗したり、群れに失敗はつきものです。失敗しても、それを共有し役立てることができる場があるということは素晴らしいことだと思います。

「失敗できるコミュニティ」いいですね。会社はあまり失敗できないから嬉しいですね。

by.なかそねさん

目的が決まっているならば、それが達成されなかったとき、失敗として責任を問われます。「失敗できる」というのは、結成目的のあいまいさを逆手にとったアイデアですね。



自己犠牲的な献身はコミュニティをだめにする?


お客さんとお店の関係でありながら、自分のやりたいことをやれてるのか?という問いを持つことは非常に重要であると思います。そのどちらかだけではコミュニティ維持は困難ですよね。

この問いを持つことは、自分のやりたいことと自分がやるべきこと(求められていること)がどこで合致しているかを考えるということでもあると思います。やりたいこととやるべきこと、その重なり合った部分がメンバーに提供できる価値になるのではないでしょうか。

自分に適した群れ活動をする=群れの不快を避けるために重要ですよね。『遠くへ行きたければ、みんなで行け』の冒頭訳者序文が印象的でした。

ジョノ・ベーコンはカルト的・搾取的なコミュニティ利用とはまったく別方向をむいている。僕たちが自分の受けている影響をあるていど客観的に見られるのは、複数のコミュニティに同時に参加しているからだ。カルト的な集団は必ず、「自分たち以外との関係を遮断させよう」とする。

p.14



群れ研で活動をはじめてから気づいたら再就職していた


私ごとですが、『遠くへ行きたければ、みんなで行け』を読み終えて気がついたら、再就職していました。バリューステートメントに、「就職できる」って書いちゃおうかな。この事実を私の母親から切り取ると、「群れ研究所メンバーになったら、ニートだったうちの子が再就職した」になるのおもしろいですよね。

「遠く」ってどこなんだろうな

by.所長


続けるためには、やはり自分のためであることが重要でしょう。
自分が不在では、力尽きてしまったり思わぬ方向に突き動かされ誰も得しない展開になることがあります。

自分は母親のために就職できないし自分のためだけにも就職できない。しかし、「はたらいてもいいかもな」という自分が存在して、それが誰かのためにもなるのなら、喜ばしいことだと思います。

また、「メンバーが求めているから!」と情熱的に活動していても実は…なんていうことも往々にしてあるのではないでしょうか。そうした状況に陥らないためにも、少なくともたったひとり、自分が満足できるということは大事だと思います。


善:所属しているコミュニティの目線(良いとされるもの)、実績
美:自分の身体の固有性、自分を突き動かす謎の欲望

人間が、その本当の力を発揮できるのは、「美」の領域です。あなたの「美」がチームの「善」と重なって「善美」で動くチームになると、今まで解決できなかった複雑な問題にも対処できるようになる、というのがおそらく本書の謙虚なリーダーシップで目指す姿だろうと思います。

なかそねnote『謙虚なリーダーシップ』より


突撃!アイドルインタヴュー


今回は、失敗できる場であろう!ということで、「今だからこそ笑える失敗」についてインタヴューしました。



私はよく失敗します。なので、失敗を笑えるようになるために生きていきたいです!

まとめ

まずは、なかそねさんの復帰が嬉しいです。こちらのラジオでサラリーマン研究員3人がわいわいと雑談するのがけっこう好きなんですよね。

繰り返しになってしまいますが、「価値」はやはり『遠くへ行きたければ、みんなで行け』において、非常に重要な部分であると思います。自分がやりたいことをやり、それに価値を感じた人が集まり、加速していく。それはなんだかすごくハッピーな気がします。人々の感性が交錯し価値を産み落とす…「群れ」はそうした創造性を孕んでいますよね。

あー!遠くまでいきてえ!

それでは、また。
とみさわでした。

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