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「ムラの終わりを、考える ~ムラツムギローンチイベント〜」まとめ②

こんにちは!

さて、前回のまとめに続きまして、

ムラツムギローンチイベントの、パネルディスカッションの内容をご紹介したいと思います!

▷登壇者
東洋大学教授 山崎義人教授
京丹後市役所 小山元孝さん
ムラツムギ 佐藤
 
▷進行
ムラツムギ 田中 


 
田中:今回のディスカッションのテーマである「ムラの終わりを考える」というのは学術的にもあまり出回っていない話でして、その中で人伝てに人伝てを重ねてここにお招きしたお二人、自己紹介をお願い致します。
 
小山(以下、敬称略):小山元孝です。京丹後市というところにいまして、今私は市役所の観光振興課に勤務していますが、元々教育委員会で文化財関係の仕事を20年していました。私の撮った写真が最後、というのもありまして、現実問題、消滅というのは身にしみて感じておりました。私の活動としては「消えたムラのその後はどうなったのか。」、「そこにいた人たちどこ行ったのか、またどうしているのか。」ということを取材して回って『消えない村』という本を作りました。消えたムラのはずなのに消えていない、ということに気づきました。今日はその辺の話もできたらと思います。

小山先生の執筆された「消えない村」


田中:はじめて小山さんとお会いさせていただいたときに「消滅ってなんなの」という議論をさせていただいて、地域としては消滅したけどそのあとコミュニケーションが残っている、という事実は僕にとってかなり新鮮でした。続いて山崎さんよろしくお願いします。
 

山崎(以下、敬称略):山崎義人です。今、東洋大学国際学部というところにおりますが、元々は日本国内の色々なことを考えて研究者をしていて、「住み継がれる集落」という本を出しました。学生の頃から過疎地の離村をしたところをフィールドとして、どうしたらその場所が生きながらえるのか研究をしてきました。ようやく一般の人の目に触れるような形で本を出せたな、と思ったところで佐藤さんに出会って今ここに座っている、という感じです。

田中:山崎先生の住み継ぐという概念について、我々ムラツムギも「ツムグ」という言葉を使わせていただいているんですけど、ぜひ、その辺も後でゆっくり議論させていただけたらと思います。次、佐藤お願いします。
 
佐藤:ムラツムギ代表の佐藤春華と言います。ちょっとお時間いいですか?今、ワークショップがすごく盛り上がっていましたが、印象に残ったキーワードや議論の内容を参加者の皆さんから教えていただけると嬉しいです。
 
参加者:マチを残すとか、続かせていくとか、自分の代で終わらせたくないとかそういった意識とかが大事だなと思いました。
 
参加者:共通のキーワードとして「人」というものが出ました。人とのネットワークとか思い出とか、そういったものが故郷を大切たらしめているのではないかと思いました。
 


田中:ありがとうございます。今の話を踏まえて、「思い出」「人」「アーカイブ」どれも大事なキーワードだと思います。この辺について議論していきましょう。まず、小山さんからお伺いしたいのですけど、人がいなくなった集落での取り組みって具体的にどういったものがあるのでしょうか?
 
小山:京丹後市網野町にある尾坂という集落ですけど、隠岐島から漂着して住み着いたという伝説の残るところでして、そこは集落が現役であった時から自治会長さんが日誌を記していて、それが戦前から残っていました。ムラがなくなった今もなお、その日誌は書き継がれています。
 


田中:それは何を書いているんでしょうか?


小山:年に一回、例えば草刈りにいくんですよ。「今年は4月の何日にやるからみんな来てくれよ」と声をかけて。そこに離村1世の人や2世の人が来るのです。
私は集落というと、土地があって家があって、そこに人が住んでいて、それが何軒かあってというのを集落だと思っていたのですが、そこには家は無く人も住んでいないのです。でもコミュニケーションは残っているのです。
 
田中:ありがとうございます、ちなみにその集落はいつ人がいなくなったのですか?
 
小:そこは伊勢湾台風で大きな被害を受けて昭和40年代に人がいなくなってはいるんですけど、50年ほど経った今でも日誌は書き継がれています。
 


田中:ありがとうございます。ちなみに、そういった活動に参加されている方のモチベーションとかってどうなんですかね?



小:『消えない村』を作った時に色々な方に話を聞ききました。聞いた時に、厳しい質問なのですけど「心残りとかないですか」ということを聞くと、意見が本当に分かれるんですね。先ほどの尾坂の方は、「私たちはムラを出るにあたって土地はどうする、仕事はどうする、寺はどうするということを話あっていっぱい準備をしてきたんだ。だから後悔はない。どちらかというと新たな旅立ちをしているんだ。」ということを言われました。そうかと思えば、「ムラのことを息子たちに何一つ伝えていなかった。なので子供たちがムラのことを知らずに、関心をもたずに外へ出てしまったことに後悔があるんだ。」というお話をしてくださいました。
 


田中:なるほど、ありがとうございます。次山崎先生に聞いていきたいと思うんですけど、「住み継ぐ」という考え方は移住定住みたいな考え方なのか、また違う、新しい考え方なのか、お教えいただけませんでしょうか?


山崎:移住定住の議論も盛り上がっている頃ではあったのですけど、それとは少し違うスタンスの方がいいよね、という事もあって。
住むっていう考えを大きく広げて、2拠点居住だとか、動きながら誰かがそこにいって草刈りしたりだとか、住んでいると拡大解釈してはどうかと議論しています。
 
言葉も、「住み継ぐ」ではなく「住み継がれる」と途中で言い換えています。つまり、住み継ぐっていうと住む人に着目がいってしまうんですけど、住み継がれるというように受動態にすると地域の方に着眼点をおいて、地域がどのように継続していくか、という議論をした方がいいよね、入ってきた人そのものに重たい荷物をのせるというよりは、来た人を受け入れて地域サイドがどうやって自分たちが持続しうるか考えるべきなのではないかという事で。
 

田:ありがとうございます。ここでバトンを佐藤に渡したいと思うんですけど、京都の方で佐藤が個人的に新しい取り組みを始めたということを聞きまして、「エンディングノート」の取り組みの説明をして欲しいなと思います。
 


佐:私、以前は地域おこし協力隊をしていて、その繋がりで知り合った方の中に「集落のエンディングノートを作りたいんだよね〜」というお話をしている人がいました。エンディングノートっていうのは、生前準備と言いますか、お墓どうする、財産どうする、ということを1冊で完結できる、これを語ることで亡くなるとき少しでも安心だね、という物です。
これの地域版を作りたいんだよね!というお話だったので、すごく共感して、すぐに「一緒にやりましょう!」って言いました。まだ全然具体的には決まっていないんですけど、私とその人2人だけじゃなくてもっといろんな人に、一緒に巻き込んでやってもらいたいなと思っていて、京都市内で「みんなで目次を考えよう」とか「みんなで中身を考えよう」というイベントを何回かして仮出版して、それが出来たら実際に地域に持って行って住民さんと一緒に項目を埋めていきたいな、と思っています。

佐藤の企画しているイベント

項目を埋めていくのが目的というわけではなくて、その項目を埋める過程で住民さん同士でディスカッションができると思うんですね。何を残そうか、とか何が大事なのか、とかその過程が大事だと思っていて、その項目が埋まった時に地域がどんな風に変わったかな、というのを見ていきたいです。
 

田中:ありがとうございます。元々、ムラツムギを始めるとき、どういった活動をしていくのかという議論を佐藤としていて。僕たちよそ者がムラの将来について余談を許すような形で入っていくのってやっぱり違うよね、って。
集落に住む方々がどのくらい消滅を見据えているのかというと、僕も集落に関わる中で、漠然とは考えているけど真正面から議論をしたことってないんじゃないかなと思ったんですね。じゃあその中でどういう議論ができるのか、ということで今回エンディングノートをとりあえずやってみるという感じですね。
 
佐藤:あと、集落に入るときに「エンディングノート」という言い方はしなくてもいいんじゃないかなとも思っています。というのは、やっぱり地域の終わりに抵抗感のある人は多いと思いますし、抵抗感をなくすことが目的ではないですし。今いる人たちがどうあれば幸せかを考えるというだけなので「未来ノート」でもなんでもいいんです、名前は。

田中:ありがとうございます。
さて、小山さんにお伺いしたいのですが、集落にかなりどっぷり浸かられて、何かを残していく作業だったりとか単に研究だけじゃなくて何かを残していく、ハードなものだったりソフトなものだったり色々あると思うんですけど、そういう「残す」ということに取り組まれたことってありますか?
 


小山:ありますよ。『消えない村』を出した後に離村集落出身の方から連絡があって、「あんたの本読んだよ。実はうちの村も61年前に火事で丸焼けになってしまったんだ。だから準備も何にもできていなかったから石碑も何にもないんだ。」と言われました。私の本を見て、「石碑を作りたい。それと記念誌が作りたい。」ということで作業が始まりまして、私も色々と本作りなどお手伝いさせていただきました。去年の4月7日に除幕式がありまして、その4月7 日という日が61年前に丸焼けになった日だったんですよ。
 
田中:61年後にムラがあった証として石碑を作られたということですか。。その時の住民さんの想いとしては、昔はムラがあったということを形に残したいという気持ちだったんですね。
 
小山:そうですね、割とその集落に近いところに引っ越されていた方が中心となって寄付を集めて回って、遠方にも行かれたそうです。60年も経って今さら何をと怒られるかなと思っておられたそうですけど、大概の人は「よくぞ来てくれた」と大歓迎で寄附がたくさん集まったそうです。お祝い的なイメージもあって、除幕式はずっと涙と笑いでした。久しぶりに会えて感激して、ね。
 
田中:そう聞くと、石碑っていうとハードなイメージがあったんですけど、それを作ることに意味がありつつ、それを作ることで新たなコミュニティーの形成にも繋がるということですね。
 
小山:そうですね。本当にみなさん久しぶりだったみたいで、最後にふるさとを歌って帰りました。もう、ケーブルテレビの1時間番組ができるような感じでしたね。
 
田中:そういう例ってかなり特殊なんですかね。
 
小山:60年も経ってから作られるというのは珍しいかもしれないですね、だいたい出られて少し経ってから建てられています。私もいくつか石碑を見てきたのですけど、案外最近できたんだなというものもありますね。作るタイミングもそれぞれの気持ちの部分ってあるのかなと思いますね。
 
田中:続いて山崎先生にバトンタッチでいきたいと思うんですけど、山崎先生の方だと、住み継ぐということで集落に人がいる状態が続いていくということだと思うんですけど、これはすべての集落に言える話なのか、できるところは限定的というイメージなのでしょうか?
 
山崎:基本的には全部が全部住み継がれるとは思っていません。
僕らは別に住み継がれるという言葉を出して、村自体が残って欲しいと思っていますけど、誰かがずっと住み着いている状態を理想の状態とはしていません。どちらかというと、小山さんが言われたような61年後にまた集まってムラのことを思うということもある一つ、継がれている状態ではあるとは思うんですよね。今の定住しているムラ、これをずっと維持していくのは難しいだろうけども、何らかの形で持続しうる状態はどういう状態なのだろうかと。
住み継がれるという言葉だけを聞くと今の状態が続くようなイメージを持たれると思うんですけど、様々なグラデーションがあっていいと思うし、どうやったらムラが紡がれていくのか、そのゴールをみんなでこれからも考え続けていくんだと思います。
 


田中:ありがとうございます。まさにムラツムギの趣旨を代弁していただいたような感じです。
僕が昔させてもらったプレゼンテーションがあって、そのタイトルが「ふるさとの看取り方」というテーマだったんですね。それは自分の出身の奈良県南の方の吉野町というところで人口200人くらいしか人がいなくて、村として200人で僕の住んでた集落は20人くらいで、活性化というイメージが湧かなかった。人が0になるって前提で考えなきゃ、と、「看取り」という言葉を使わせてもらったんです。

田中 プレゼン動画

一方で、佐藤は「まちの終活」という言葉を使っていますね。

双方を包括する概念として「終わりを見越した上で何ができるか」を考えるのが僕らにとってのツムグという活動になると思っていますが、佐藤はムラに関してこれからどうなっていって欲しいとか具体的なイメージはできているんですか?
 

佐藤:私が集落にどうなって欲しいというのはありません。というのは、その人とか、その地域の人が決めるべきたと思っています。そう言う意味で、この活動はきわめて看護学的なアプローチだと思うんです。
看護ってその人を治すのがゴールではなくて、その人の人生の質を上げるにはどうサポートをしたらいいかを考えるんですね。なので最悪病気が治らなくてもいいんです。その病気と闘う中で、その人の苦しみが軽減して、幸福度が増せばいいんです。それの地域バージョンがしてるんじゃないかなと。
ただ、終わりに向き合うって時にはしんどいこともあると思うんです。住む人がいなくなるなんて、寂しいじゃないですか。それにすぐ向き合える人もいれば、すぐには向き合えない人もいると思うんです。

さっきの小山さんのお話で、みんなが喜んで石碑建ててくれたのはいいエピソードだなと思うんですが、それが住民さんが0になったその年だったらできていたのかな?と思ったんですよ。
時間が必要な時もあると思うんですよ、自分の住んでいたところから人が空っぽになる、その状態にすぐ向き合えるかというと全員がYESとは言えないと思うんですね。だから、その集落に住む人やその血を受け継いだ人がベストなタイミングで向き合ってその集落をどう紡いでいくのかということを考えたり、地域を変えることはできないけど、どうしたらいい最期だったねとみんなで笑って泣けたらな、と思います。
 

田中:最後に、それぞれの立場で活動されてきて、こうした地域に対して今後どんなアプローチが必要だと思うか、お話いただけますでしょうか。
 

小山:よく地元で講演をさせていただきますが、お墓とかお寺の話になると、どうしようとかいう話もあるので、必ず終活の話もするんですね。ただ、そういった時に「そんなこと言うなよ。」といった反論めいた声が出るのかと思いきや、ほとんどの人が「ふんふん、そうだね。」と言う感じで聞いておられます。「皆さんにとって大切なものはなんですか。」というワークショップをした時に、祭りの神楽を残したいだとか、山菜がうまい地域だから山菜を残したいとかで、共通して言えるのがそのムラならではのものが大体出てきました。私はやっぱり何を残したいのか、残すべきなのか、しっかり議論したいと思っています。最近は、祭りの再生とか色々なこと頼まれることがあります。そこでも同じように議論し続けていけたら、と思ってます。
 

 
山崎:現在、私たちがここにいるのは先代達が色々な思いを汲んで、色々な状況を作って、今私たちがそれを未来として受け取っているということですよね。それを私たちが受け継いで次の世代にどう渡すのかということを考えないといけないような気がするんですね。

若い時に愛知県の豊根村のダム湖に埋められたムラに行ったことがあるんですけど、屋敷地の中に杉がずどーん、と立っていたんですよ。
杉を植えるっていうのは切るのが60年とか先なわけですよね、それを理想とした人たちは植えていくわけですよ。これは考えさせられますよね、離村する人たちは何を思って杉を植えて行ったのかなと。私たちはそういう時間スパンで自分たちがいなくなった時のことを含めてどう未来に何を残していくのか、もちろんそれは繋がらないかもしてないけど、思いを託すというのは必要なのではないかと思います。
 
田中:ありがとうござます。自分も、僕らの世代が過渡期に来ているなという感じがしていて、この過渡期にいる自分たちが何をしないといけないのか考えなきゃな、と思っています。

山崎:はい。今の若い世代の人は祖父母の生き様を見ながら何かを感じたのではないかな、と思っているんですね。だから、若い人たちがこの東京の真ん中でこんな議論をできるような状況が2020年を前にして始まりつつある、だからこれから若い人がどういう方向でどう未来を向いて活動していくのかによって集落というもののあり方が変わってくるのではないかな、と思って期待してます。
 
 
田中:ありがとうございます。では最後、佐藤から。

佐藤:はい。実は、今日私生理1日目で朝めちゃめちゃお腹痛かったんですよ。・・・っていう話。ここでその話をするのどうなの?って思った方、いませんか?
相手を選ばずに生理の話、できます?女の人なら誰でもなるのに、なんで話ができないんだろう、って思うんです。だから私、男性にも喋ります。「今さ〜生理1日目でさ〜」みたいな。なんでコソコソしなきゃいけないの?なんでタブー視されなきゃいけないの?と思って。

同じ様に、タブー視されるもの、議論されないものって、社会の中にたくさんあると思うんです。集落がなくなることも、同じだと思うんですよ。当たり前に現実に起きているのにんなんとなく触れにくいから、考えない、議論しない。過疎化は、現実に起きているのに。
だからそれが当たり前に語れる世界になればなと思っているので、今日来てくださったみなさんにはご協力いただければと思います。
きっと今日お越しいただいているみなさんの中にはそれぞれ来た理由があると思います。集落に住む人たちの顔とか、ある地域の景色とか、守りたいものがあると思います。そして、いろいろな仕事をしている人がいると思います。

色々なところからアプローチして、日本は過疎化していくけど、集落の終わりがあったかいものだったり、素敵なものが紡がれていかれたり、そうして、過疎化でも幸せになれる社会が作れたらいいな、と思います。

田中;ありがとうございました。小山さん、山崎さん、本日は誠にありがとうございました。

会場:拍手

冒頭、田中からもありましたが、今回のディスカッションのテーマである「ムラの終わりを考える」というのは学術的にもあまり出回っていない話で、お二人との出会いとこの機会に駆けつけてくださったこと、本当に感謝しています。

今回の議論がゴールではなくスタートになるよう、少しずつでも確実に前進していきたいと思います。

ありがとうございました!!!


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