シン・少女病②

 白いリボンを身に着けた女性が自分のことを覚えている、男がそう思えたのには理由があった。それにはおもしろいエピソードがある。
 この娘とはいつも同じ時刻の電車に乗り、一緒に飯田橋駅で降りる。
 なので、姿をよく知っていたのだが、だからといってあえて話しかけることもない。ただ一緒に電車に乗っているだけだ。
 よく太った娘で、頬の肉が豊かで、胸も大きく、立派な娘だなと思う。
 何度も観察していく内に、笑顔の美しいこと、耳の下の小さなほくろがあること、混み合った電車で吊革に伸びる白い腕、信濃町駅から乗ってくる同じ学校の女学生と会うと和気藹々と話し始める様子などなど彼女の子とを何もかもよく知るようになった。
 どこの娘なのか?、という疑問が浮かび、男はその家、その家庭を知りたくなった。
 しかし、後をつけていく程は気に入ってはいなかった。しかし、ある日のことだ。男が例の背広・靴でタワーマンションの付近をいつものようなヘンテコな歩き方で歩いていると、件の女性が現れた。
 服装はいつもと違ってだらしなく、上に着ている白いシャツのボタンが上から3つ程開いていた。ツインテールにしている髪の毛は解きかけており、その髪を抑えて、友達と何か語り合っていた。
 男は彼女といつも会う場所と違った場所で会って、なんだか他人で無いと思えてきたらしい。男は会釈をしかけ、足を止めた。
 娘もいつも同じ電車に乗るおじさんであることに気付いたらしかったが、素性も分からないおじさんに会釈するわけにもいかないので、無視してすれ違った。
 男は彼女が駅の方に行かないことに気付き、
「今日は学校は休みなのか?試験休みとか春休みとかなのかな…」
 と我知らず声に出して言ってしまった。そして、10メートル程無意識の間歩いていたのだが、アルミニウムのヘアピンが道路に落ちているのが見えた。
 娘のだ!、男はすぐさま勘付き、突然、娘の方に振り返って、大きな声で
「もし、もし、もし」
 と連呼した。
 娘はまだ20m程しか先程すれ違った場所から離れておらず、男の声は聞こえてはいたものの、先程すれ違った男からまさか声を掛けられるとは夢にも思っていなかったので、振り返りもせず、友達と話しを続けて歩いて行った。
「もし、もし、もし」
 男は今度はラップ調で、韻を踏んだように再び叫んだ。
 すると、娘は振り返って男の方を見た。男は両手を挙げて何かジェスチャーをしている。それは面白い恰好だった。ジェスチャーの真似をして娘が頭に手をやると、ヘアピンが無いことに気付いた。
「あっ、私ヘアピン落としちゃってたみたい!」
 と大きな独り言を言って、彼女は駆けだした。
 男は両手を挙げたまま。アルミニウムのヘアピンを持って待っていた。娘は息を荒げて駆けてきて男のそばに近寄った。
「どうもありがとう…」
 と娘は恥ずかしそうに顔を赤らめて男に礼を言った。
 四角い輪郭をした大きな顔は、とても嬉しそうにニコニコと笑っていた。
 娘の白い美しい手にヘアピンを渡すと、
「どうもありがとうございました。」
 と彼女は丁寧に言い直し、踵を返した。
 男は嬉しくて仕方がなかった。
 これで俺の顔をあの娘は覚えただろうか、これから電車で会っても、あの人は私のヘアピンを拾ってくれた紳士だと思うに違いない。もしも、俺がもう少し若くて、娘が別嬪だったら、このシチュエーションでおもしろい小説ができるんだろうな…など取り留めのないことを色々考えた。
 考えていく内に、青年時代をいたずらに浪費してしまったこと、妻が老けてきたこと、子供が多いこと、自分が無理してタワーマンションを選んで生活に困り果てていること、などなど人生の後悔も色々と浮かんできた。
 そんな考えが頭の中で絡みに絡まってもがいていると、ふと、自分の勤めている雑誌者の怖い編集長の顔が浮かび、考えることをやめて道を急ぎ始めた。

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