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固まった想いは何度でも溶けて、


何したいの?


大人に会えば問われ、考え、同期にも問われ、答えを求められる。何かアツく心震える人との会話でも、雨が降る中、少し窓を開け、物思いに耽るときも、居酒屋でお酒片手に語り合うときも、夜通し電話で話しても、何かしら決めた、固めたと思った想いはその後の日常に溶けていく。

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溶けていく想いとどう付き合うのか、そんなお話


あれは大学に入学した頃

「いろんなことを学びたい」「学んだことを語り合いたい」そんなことを思いながら大学へと進学した3年前。入学してみると、「単位が取れればいい」「バイトとサークルでしょ」と私の思い描いていたものとは違う周りのテンションについていけなかった。

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入学してすぐに大学が辛くなって、どうすればいいのかと路頭に迷っていた。運よくコミュニティに入り楽しいと思える大学生活になったのが唯一の救いだ。

「高校生の時にもっとリアルな情報を知れていれば、」
そんなたらればを現実にすれば救われる人がいるんじゃないか、そういう想いを持って地元でイベントをしようとした。

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企画途中に、それに価値があるのかちゃんと考え直して、と言われた。その時は正しいと思っていたけれど、イベント後に正しい機会だったのか迷い始める。

一度迷った想いは日常に溶けていった。


大学2年生の頃

「モノをつくりたい」そんなシンプルな想いで工学部を選んで入学した。モノはなんでもいいかも知れないと思い、デザインや動画制作、プログラミングに手を出し始めたのがこの頃。

デザインの勉強をする!プログラミングをする!
固めたはずの想いはいつの間にか日常に溶けていく。

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固めたはずなのに行動していない自分を見て、これは好きなことではないと落ち込むことが多かった。

「やりたいことなんて見つからない、、、」
焦りにも似た感情が心のうちを占めていた。


決めたことに従うことが僕を前に進める

大学2年生の初冬、手も悴むようになってきた頃。辞めようとさえしていた56年続く学生団体の採用統括になった。自分の1年間を採用統括の役割に集中すると決めた。その後のことはその時に考えると。

大学一年生の最初の想いは迷い、日常に溶け、大学2年生で何かに縋るようにいろんなことに手を出した。2年生の冬からいろんなものに縋るのをやめた。ただやり切ると決めた。目の前にある自分の役割を必死に果たそうと行動を集中させた。日常に溶けそうになる想いが溶けなくなった。ただ、逆に固く重くのしかかるようになってしまった。

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重くなりすぎたものはどこかで一度下ろさないといけない。山に登るにも休憩をせずに荷物を背負ったまま登れるわけがない。急な斜面を登る前か登った後に休憩が必要だろう。私は登った後に休憩した。

学生団体の活動を止めて、休憩をした。役割を果たすと決めたから戻ると決めていた。長い休憩を経て、役割を果たすべく、僕は戻った。


そして今の想いも日常に溶けていく

最近、「この考え方はいいな。自分の核になりそうだ。」と思えるものに出会った。

自分の全てで創造する
アウトプットの質を高める

大学卒業後の未来を見ても不確実すぎて不安が募るだけだし、好きなものを継続してるかどうかで測っても否定が増えてしまうばかりだ。ただ、「今の自分の全てを投げて創造する」という考え方は今にフォーカスして自分の限界を超え続ける。時には全てが一杯一杯の時もあるから、その時はその時の全力で。

自分に合ってると思える考え方だ。ただ、この僕にとってのエンジンになるような考え方も日常に溶けていく。

家事、食事、お金、対人関係、寝る時間、運動、いろんなことを考えては固まった想いを日常に溶かしていく。

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これから何度新しい自分に合うと感じる考え方を手に入れるのだろう。そして何度日常に溶かしていくのだろう。

ただ、最近、想いは溶けて消えゆくものではなくて、溶けて自分に染み込んでいくものなのかもしれないと思うようになった。何度でも溶かして、溶かした数だけ「自分」というものができていくのかもしれない。

溶けて沁みた想いの積み重なりが生きていく確固たる想いになるのかもしれない。固めて溶かしてを積み重ねよう。

本当にいろんなことがあった2020年の年の瀬に。





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