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心理士として思うこと【フェミニストカウンセリング①】

私が心理士として思うのは、個人の問題にしろなんにしろ、困ったことは減らしたいなあ、どうしたらより生きやすくなるんだろうか?ということです。

高尚な哲学があるわけではないけど、最初にいた精神科もそうだし、独立してからのカウンセリングもそうだけど、やっぱり制度の隙間で困っている人が多いように思います。

お金があって、周囲の助けがあって、状況に合った制度や法律で守られている場合とそうでない場合の進み具合は全く違うものになる。

制度は多くの人に当てはまるように作られてはいるけど、どうしてもイレギュラーなことはあって、使いたいものが使えない、条件に当てはまらない人はいる。

多くの人は制度を意識して生きてきたわけじゃないし、たまたま外れた人を責められないと思う。
運よく用意してある制度が使える人も、たまたま自分の生き方がマジョリティだっただけで、何か一つかけ違うとマイノリティに足を踏み入れる事になる。

それはいつのことかわからないし、やっぱり制度は、そんなときでも柔軟に対応できるものであってほしい。個人を責めるのではなく、制度を合わせていってほしい。
法の整備や制度作りはわがままなんかじゃなく、そうしておくことで、いつか、周りまわって自分も恩恵を受けるかもしれない。

こういうことはゼロサムゲームではない、ですよね。
誰かの利益が誰かの損失になるわけではないし、たとえ自分が恩恵を受けない制度について議論され、新しい制度が作られたとしても、損をした気持ちになる必要ってないんじゃないかなあ、と思います。

今困っていることがあるなら、それだって「変えられるかもしれない」という気持ちが持てるかどうかが分岐点になるのかもしれないなあ、と思ったりします。

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さて、前置きが長くなってしまいました…。

カウンセリングでは、イメージのように、困り事に対して、過去の出来事や家族関係などについて聞き取り、それらについて深掘りをしたり、共感的に対話をしていくことがあります。

こうした聞き方は、どうしても問題の解決は「あなた自身の中にある」ということ(という意識)になりがちです。
そうした「個人的な問題は個人的な問題」から抜け出したカウンセリングの考え方として、フェミニストカウンセリングがあります。

フェミニストカウンセリングとは

フェミニストカウンセリングについて、『フェミニストカウンセリングの実践』では以下のように書かれています。

このような(家父長制的な価値観が強く、ジェンダーギャップが大きい日本における ※筆者補記)社会的状況を反映したフェミニストカウンセリングは、女性クライエントの心理的困難や問題の原因を、その女性の生得的な個人的欠陥でも、生育歴の問題でもなく、むしろ家父長制的社会における社会文化的要因に帰すべきだと考えている
女性の心理的発達や精神衛生を理解するためには、この男性中心社会において劣位に置かれた女性の政治的・経済的・社会的地位にその焦点をあてなければならない。フェミニストカウンセリングの基本理念である「個人的な問題は政治的な問題である(the personal is political)」は、このような認識の表明でもある。

こうした考えに基づき、フェミニストカウンセリングでは女性をエンパワメントすることに重きを置いています。
そして、問題の解決においては、『女性差別的な家父長的社会に「適応」することによって問題解決を果たすのを援助することではない』と筆者の井上は述べています。

例えば、家庭の中で食事を作ることに対して大きな負担を感じているとき。

・完璧に手料理を作らなければならない
・女性である自分が作らないといけない
・毎日三食作っている人もいるんだから、こんな自分はダメだ
というふうに考えているかもしれません。

フェミニストカウンセリングでは、「女だから」という性別役割に関連するものや、「こうしなければ」という認知がどのように作られてきているのか、ジェンダーの視点で読み取っていきます。

そして、その人が本来持っている力が発揮できるよう、サポートしていきます。

ジェンダーの視点で考えることで、個人的な問題ではなく、社会的な制度、風潮の中で作られてきたものに苦しめられているんだ、といった新しい視点で物事を見ることができるようになります。

心理士の中にもいろいろな考え方、軸にしている理論の違い、得意なアプローチの方法があります。私も、一つの視点として自分の中に持っておきたいと思います。

次回の記事では、フェミニストカウンセリングのより具体的な方法について書いていきたいと思います。


(参考)
井上摩耶子『フェミニストカウンセリングの実践』世界思想社、2010



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