お利口さんと賢い子は別

なんだと思う。

ひとまず前提として勝手な定義をしておく。
お利口さん・・・大人のいう事をよく聞く、判断基準はルール、全科目が平均点以上
賢い子・・・人の話は聞かないが本質をつかむ、判断基準は個人の倫理、異様に得意な科目がある

親が期待するのは”お利口さん”方が多いのではないだろうか。いやいや、お利口さんで素晴らしいじゃないか何が悪い、と思う人も多いかもしれない。別に悪くはない、立派なことだ。
ただ私にはどうしても、大人の話をきちんと聞き、大人の期待する答えを話す子が魅力的には思えなかったりする。
そんなことは大人でも答えられる、そんなことは本に書いてある、そうツッコミたくなるような子供との会話は退屈だ。

一方で賢い子を続けることはハードルが高い。
集団になじめないかもしれない。
席に座っていられないし、教科書が読めない。
なぜなら、講義は聞くまでもない内容であるし、教科書は読めば当たり前の事しか書いてない。
頭の中のもやもやをアウトプットする何かをしたくて、貧乏ゆすりを続けてしまう。

そもそも、仮に親よりも子供が賢かった場合に、親はそれを計ることが出来るだろうか?許容することが出来るだろか?抑えつけてはしまわないだろうか?
人間は案外、自分よりあまりにも賢い人間に対しては尊敬や憧れではなく、自分とは違う別の物として、相互理解を止めてしまう気がする。

会社や周りを眺めていると、大人のお利口さんは多い。言われれば、対して文句も言わずに粛々と仕事に取り組む。対してやる事がない日でも満員電車に揺られ始業時間には席に着く。真面目で素晴らしい。だが、それだけだ。
仕事とプライベートの優先度を自分でも決める事ができず、仕事だからと思考停止で取り組む姿は、本質を掴む事なく計算を解き続ける公文式のようだ。

イノベーティブだがコミュニケーションが取れない人間を許容できるか?
結果は出すがグレーゾーンばかり攻める人をどう扱うべきか?
少なくともお利口なマネージメントでは難しそうだ。

ひとまず私のような賢くもなく、お利口でもない人間は、賢い子にイライラせずに許容するような心の余裕を持ちたい所だ。

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