都知事選で思う「失敗学」

まず、選挙には行きましょう!

最初に超大事なこと、選挙には必ず行きましょう!
都知事選に限らずですが、「どうせ何も変わらないから行かなくても一緒」と思ってる人は確実に間違っています。

「何も変わらない」は現状維持という意味ではとても良いことです。

選挙にいく意味は、「これ以上悪くならないように選挙に行く」んです。

投票率が悪ければ悪いほど投票操作ができるようになります。ぼくら有権者にできることは「母数を増やして悪いこと考えてる奴らの思い通りにはさせないこと」くらいです。

日曜の朝、たまにはウォーキングでもしてみるか程度の気持ちで全然いいので、選挙には行きましょう!!!

バイアスをかけることはしません

この記事を書いてるのは2024年6月22日(土)です。
東京都知事選挙は7月7日(日)で「七夕決戦」と呼ばれたりしています。
6月20日に東京都知事選挙の告示がされ、2日が経過し、小池百合子さんが2期目の満了を迎える頃ですね。(後から読み返したときのための説明文です)

このタイミングで、都知事選に対して思うことを書きますが、ぼくは「この人に投票します!」とか、「この人がいいと思います!」みたいな発言はしません。バイアスをかけることはしませんが、文章の端々には「あ、きっとこの人に投票するんだろうな」と思うことはあると思います。別に文才があるわけじゃないので。

それを踏まえて読み進めていただければと思います。

都知事選はエンターテイメント

なっちゃってますねー。素人でも供託金を払えば立候補できるので、政治家はアテにならん!と思う人にとっては政権に口出しできる数少ない機会でもあります。とはいえ、今回はやり方が酷いですね。。。
選挙ポスターの周りを写真でジャックしたり、裸のポスターを貼ったり。
正直、「みっともないな・・・」と思う行為が目立ちます。

「公職選挙法に書いてないから違反ではない」という言い方をする人がいますが、一般企業が遵守している「コンプライアンス」ってもっと厳粛なもので、「法とは関係なしに」という前提で道徳的に行動しなきゃならんのですけど、政治だとなぜ「法律違反じゃないから」だけを見て、何してもいいと思うのでしょうね。

その時点でこういう候補者は「お子ちゃま」なので論外なのかなと思います。都知事になることが目的じゃないとは思いますが、転売ヤーと脳みその構造が一緒ですね。お子ちゃまです。告示日前に選挙運動している方も一緒ですね。お子ちゃまです。誰とは言いませんが。

どんな人がいいんだろう?

そんな中、どういう人に都知事になってほしいか?
ぼくの考えを語っていきますので、興味ない人は読まずに閉じてください。
今回は56人の立候補者がいますが、全員を調べてるわけではないですし、全員を調べる価値もないと思っています。5人くらいですかね。しっかり調べているのは。

一人ひとりを云云かんぬん言うつもりはないのですが、5人に絞った状態で、ぼくが大事に考えていることを書いていこうと思います。

公約に意味はないが振り返りに意味はある

選挙では必ず皆さん「公約」というものを作り、「私が都知事になったらこれを実現します!」というものを掲げます。有権者は基本的にその公約を確認し、「この人だったらこの公約をやってくれるかもしれない」と、自分の夢を託す形で投票するのが理想の形です。

まぁ、理想と現実は違っていて、いかに組織票を集めるかという投票ゲームに成り下がってるのが現状だとは思いますが、それも含めて日本の選挙というシステムなので、そこは深く言及しません。

で、この公約は「約束だけど絶対に守るものではない」というものなので、全部を鵜呑みにする人はいません。ただ、「こういう考えの人なんだー」くらいのものですね。

もちろん公約は「大きな目標」なので、目指すことは大事ですし、それが達成できなくても取り組んだことには意味があります。なので、どちらかというと「振り返り」に意味があるとぼくは思っています。

と言っても、これから立候補する人の公約は「振り返り」はできません。ただ、小池さんや蓮舫さんのように「これまで政治家として活動していた人」にはそれがあるはずです。

その「公約に対して振り返りをしたことがあるか」は大きな評価ポイントになっています。成功したか失敗したかが問題ではなく、振り返り、課題を明確に発信しているか、です。

これをしていない人は「言いっぱなし」の人なので信用に足りないということですね。これは会社でも一緒だと思います。

成功経験より失敗経験を重視

同じような話になっちゃいますが、ぼくは「失敗経験」を重視します。みなさん優秀な方ですから、ぼくなんかよりも1億倍も実績を作ることができるでしょう。

でも、優秀だから成功するのではなく、失敗を重ねているから成功があるので、「成功体験しか語らない人」は信用に欠けるなぁと思っています。

その人が優秀だろうが、優秀じゃなかろうが、真価が問われるのは「思うようにならんとき」だと思っています。「思い通りになってるとき」は調子いいに決まってるじゃないですか。ぼくだってそうですよ。

車が一台もないまっすぐな道でイライラしてる人なんていません。渋滞にまきこまれ、道を間違え、ガソリンが無くなりそうになり、おしっこしたくてしょうがないとき、その人がどうなるか。爪を噛みはじめて「大丈夫?」って話しかけたら「うるさいな!ちょっと黙ってて!」って言う人に未来を託したいと思いますか?

でも、そんな人かどうかなんて、なってみなきゃわからないですよね。
だから過去実績というポートフォリオが大事なんです。過去にどういう活動してきたかという履歴ですが、そこに「失敗実績」もログとして残しているかが大事です。

失敗を隠す人間は失敗を「恥」だと思う人間です。人の失敗に対しても厳しく叱責するでしょうし、自分の失敗はなかなか認めないでしょう。自分のミスや失敗を詳らかに出している人は、失敗を経験だと理解しています。だから他人の失敗にも寛容です。

都知事が失敗することもあれば都民が失敗することだってあります。いつしか国民は自分たちの失敗には目を瞑り、リーダーや有名人の小さな失敗には鬼の首をとったように袋叩きにする情けない民度になりましたが、たとえそれでも、リーダーさえ寛容であれば未来を変えることはできるのかも知れません。

むすびのことば

ということで、結論的には「失敗のログをちゃんと残せる人」という人を信用できる人として託したいなぁと、ぼくは思っています。

ぼくは成功者ではありません。ぼくの功績なんて会社や顧客あってこそのものなので、ぼくに功績は一つも無いに等しいと思っています。ただ、失敗は数えきれないほどしてきています。有権者はきっとそんな人が多いと思います。

なので、自分の失敗をテヘペロで語れるような等身大の方に魅力を感じるのかも知れませんね。はたしてそんな魅力的な方が、今回の都知事選立候補者にいるのでしょうか。これからの運動で垣間見れるかも知れませんので、こうご期待ですね。


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