情報共有を目的化しないように


よくある光景

大きい企業様と取引をしている中で、よく目にする光景ですが、MTGに大勢出席されるけど、主要人物以外は一言もしゃべらないというケースが多々あります。

また、先日あった話ですが、とあるインシデントの対応を行った際に、
「今後のためにわかるようにしておきたいので詳細を教えてほしい」とMTGをセットされ、詳細を説明し、「手順書を作って」と言われたので、ドキュメントを作成して提供したんです。

その翌日に全く同じ原因のインシデントが発生したとき、担当者はドキュメントを見ることもなく、「ご対応をお願いします!」と言われて、「え?」となりました。

MTGで詳細に説明して、ドキュメントまで作ったんですが、インプットはされておらず、いざというときに対応はできないんですね。なぜかというと、「手順は理解できていたが、原因を理解していなかった」ということですね。なので、この事象が起きたときに「あー、この現象だからこれだね」という結びつきがなかったんだと思います。

会議に大勢出るけど発言しない。引継ぎを受けたけど活用はできない。
これらに言えることは「情報共有を目的化している」というのがぼくの見解でして、標準化の阻害要因だなと思っています。

なぜこうなるのか

情報共有は手段であり、目的ではない。こう言えば100人中100人が「そりゃそうだね」となりますが、ビジネスにおいては結構「かっこつけ」という邪魔な概念がありまして、「情報共有は大事」みたいな、表面的な「べき論」に捉われる方は結構多いと思います。

そこで「とりあえず出席」というのがあるのですが、上司が部下に上手く責任を託していない会社は、決まって「必ず何も喋らない上司」が出席します。営業とかのシーンでは有効になることもあるでしょうが、通常の会議で上司が必ず出席してたら、MTGの工数が3倍になるわけじゃないですか。

引継ぎや手順書についても、「とりあえず作成」だと、作成したものを読むタイミングがわからず、誰も読まないドキュメントだけが残り、やがて形骸化していきます。

自宅にある本を有効なタイミングで有効に開ける人なんてそうそういないですよね。これはその本に「こういうときに開け!」というおまじないが掛かってないからなんです。

目的を定めるべき

以前、東京都が都内全戸に「東京防災」という書籍を配布しました。非常に良い取組みだと思いますが、いざとなったときにこの書籍を開ける人が都内にどれだけいるでしょうか。これは、「地震が起きたらこれを読む!」みたいなルールを決めておかないと、決して開かれることはないんですね。

会社のマニュアル等も同じことが言えます。
「とりあえず作る」では活用されません。「こういうときに読む」という目的を定めてからドキュメントを作る必要があります。そうすると、そのドキュメントの完成度も自ずと高くなります。目的がはっきりしてますからね。

例えば「新入社員が〇〇の業務を行う前に必ず読む」といった要領です。
こうすると、ドキュメントを作る側も、専門用語を使わないでしょうし、「少なくともこの理解はできてるであろう」といった感じでペルソナ設定がしやすくなります。

会議に全員参加もやめていこう

会議に参加する目的をはっきりさせておくことで、参加者を絞ることができます。ただの情報共有に全員参加する必要はないです。議事録もぶっちゃけ必要ありません。AIが自動生成してくれるならあってもいいですが。

大まかにどういう会話をしてどういうタスクを持ち帰ったのかという要約。
これがすごい大事なんですが、上司が必ず出席してたら部下はこれをしなくてよくなってしまいます。

1時間の会議に5人が参加してたら、時給換算でざっくり部下3000円、上司5000円として、上司2名だったらそれだけで2万円掛かってます。その時間に他の生産が出来ていたとしたら、マイナス2万を足して計4万の支出です。この会議が週1で行われていたら月16万、年間約200万の支出なんです。

会議なんて当然1つじゃないです。大手企業の社員さんなんか、会議で予定を詰め詰めにすることが美徳とすら思ってる傾向がありますからねw

情報共有を免罪符にしてません?

このように、情報共有を目的化していると、情報共有そのものに意味がなくなってしまう。なんだったら会議に出る理由を「いや、情報共有は大事だから」とか、情報共有を免罪符にすらしている節があるような気がします。

情報共有は重要です。ただしそれは目的ではなく手段です。
「なんで情報共有するの?」「なんのために情報共有するの?」というのは、そのときその場面で常に異なるはずです。そこを勘違いして、「なんとなく情報共有」というのは、仕事のための仕事に成り下がっているので、その考え方は速攻で辞めることを強くオススメします。

むすんでひらいて

ということで今回は情報共有についてを記事化してみました。
情報共有は大事ですが、目的ではないよーという点が言いたいことです。
また、引継ぎとかも大事なんですが、しっかりするべきは「引継ぐ人」ではなく「引継がれる人」だとぼくは考えています。

割と「引継ぐ人のせい」にしがちですよね。
「引継ぎができていないから」
「引継書がわかりづらいから」
といった要領で。

だからといって「引継がれる人」を責めすぎるのも良くないですね。
「ちゃんと引継ぎ受けた?」
「わからないところはもうない?」
・・・いやいや、あるに決まってんじゃんw

仕事として情報共有を強制するのではなく、普段の会話から自然と情報共有がされ、ストレスなくインプットできる環境が一番なんですけどね。
あまり「情報共有」という名の鎖を重くしないように、押し付けずにみんなで考えていくものなんじゃないかと思っています。

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