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長谷川哲也先生の「ナポレオン 獅子の時代」第3巻レビュー「軍人は戦って死ぬのが仕事で戦って死ぬ事が誉(ほまれ)ですらあるが…馬鹿が上官のせいで犬死するのは真っ平御免なのである。」

前巻のレビューで士官学校を卒業し砲兵連隊少尉の地位にありついた
ナポレオンにとっては革命の勃発によって軍の将校クラスを占めていた
貴族が国外に逃亡し要職がガラ空きとなり才覚ひとつで
コルシカの貧乏人の小倅の自分が
立身出世の絶好の好機を得たと解釈したのである…と書いたが,
この状況は何処の馬の骨とも分からぬ無能が
上官に据えられる事態をも招いた。

ナポレオンがツーロンに砲兵大尉として赴任した際に
将軍だったカルトーは画家上がりで軍隊の知識ゼロで軍略の知識もない。
長谷川先生はカルトーの様な無能な人間を「馬鹿」と呼ぶ。
軍隊は上官の命令に絶対服従する必要があるが
仮に馬鹿が上官だった場合,
兵卒は馬鹿の命令に従った結果,当然の仕儀として犬死しなければならない。
映画「眼下の敵」でクルト・ユルゲンス演じる
独Uボート艦長は次の様に発言する。
「軍人は戦って死ぬのが仕事だ」
「だが死なせはしない」
「俺を信じられるか?」
ユルゲンスは百戦錬磨の叩き上げの軍人であり
兵卒は皆彼を信じて最後まで付き従うが
「戦って死ぬのが仕事」
だからこそ馬鹿が上官のせいで犬死するのは真っ平御免なのだ。

上官の命令には絶対服従だが馬鹿の命令に従って犬死したくはない…。
ソコに軍隊のジレンマが生ずる訳で,
そのジレンマを解決する為に
4人に1人の割合で馬鹿が上官に据えられる現実を打開する為に
馬鹿な上官を殺して更迭させる兵卒が不文律として必要となる。
「馬鹿な上官を殺してマシな上官が着任するのを待つ兵卒」
として登場するのが狙撃手…。
オーギュスト・フレデリク・ルイ・ヴィエス・ド・マルモンなのである。

マルモンはカルトーの馬鹿が敵の砲弾の的となる様仕向け,これを更迭させ
次いで赴任した医者上がりのドッぺの腰抜けを狙撃して殺して更迭させる。

ナポレオンは軍の規律上決して存在してはならない
「上官を殺す兵卒」マルモンを必要悪として受け入れ重用する。

後年ナポレオンが部下の中から元帥を選ぶ際,
彼はマルモンを元帥に選ばなかった。
「上官を殺す兵卒」を彼は重用したが決して信頼していなかった。

「ナポレオン」の単行本で「大陸軍戦報」というコラムを執筆されている
市井のナポレオン研究者・兒玉源次郎氏は
「ナポレオンがカエサル(・シーザー)ならマルモンはブルータスである」
と指摘されている。
勿論カエサルの「ブルータス…オマエもか…」と
信じていた者に裏切られる故事を踏まえて発言されているのである。
「信じていた」が聴いて呆れるがね…。

ともあれマルモンが無能な上官を更迭しまくったお陰で
漸く真面(まとも)な将軍・デュゴミエが着任する。
デュゴミエは13歳のときに従軍して以来の叩き上げの軍人で
ずっと米国人に戦争(ケンカ)の仕方を指導しに
渡米していた大変な高齢(ジジイ)だが
ナポレオンはデュゴミエに全幅の信頼を置く。

デュゴミエは「戦争指導」に来たサン・ジュストとバラスに吠える。

「そのそもこの一連の反乱鎮圧が長引いたのは」
「おまえさんたちの責任じゃろ」
「議員殿は無制限の権力を持ち」
「好き勝手のやり放題」
「挙句の果てに阿呆を上官に据え」
「クソみたいな作戦書を押し付け」
「遂行出来なければコレじゃ(首を切る動作)」

ナポレオンが彼に信頼を置く由縁が
この一連の会話に結晶化している。

そのデュゴミエが
「素行に著しい問題はあるが頼りになり,いずれ偉くなる男」
として太鼓判を押し
ツーロンに呼んだのがアンドレ・マッセナなのである。

マッセナが子供の頃,町の嫌われ者の爺さんが死に,爺さんのヘソクリを発見し
隠し持っていたのを父親に詰問され本当の事を言わない罰として食事抜きに
されたが両親はその食事で食中毒を起こして死亡。
マッセナ少年の心に「盗んだ金に命を救われた」との記憶が刻み込まれる。
マッセナ少年は叔父の石鹸作りを手伝い,
大変な重労働の結果,腕力を身に付け不良少年達のボスとなる。
彼が13歳のとき叔父の借金を回収に来た借金取りを
石鹸製作用の金属製の熊手の様な石鹸カッターで惨殺。
以降石鹼カッターはマッセナの終生の得物となる。
マッセナは借金取りから強奪した金を持って船乗りを目指す。
マッセナの性格は「強欲」であり呼吸する様に略奪する。
「盗んだ金は石鹸の匂いがする」が口癖となる。

マルモンにせよマッセナにせよ軍紀云々をうるさく言ったら
「存在してはならない存在」なのだが
長谷川先生が最も嫌うのは「無能」であり
無能者が死ぬべきであるなら
「有能」こそが至高の価値であり
素行の悪さ故に「有能」な部下を使いこなせないなら
ソレは上官が「無能」なのであって
マッセナを使いこなすデュゴミエが
ナポレオンの「手本」となって行く。

後年ナポレオンは
一癖も二癖もある元帥達を使う自分の事を
「爆弾を抱えて走っている」
と表現している。

本巻にはマッセナの生い立ちを描いた一篇が収録されいて
そのマッセナの生い立ちを読んだ
「ヘルシング」のルークとヤンは次の様な会話を交わす。

ルーク「マッセナおっかねえェ~」
ヤン「マッセナ13歳…綾波レイより年下です」
ヤン「Vガンダムのウッソとタメですね」
ヤン「マッセナさんがロボットを操縦したならどんなかしら」
ルーク「肩の赤いスコープドッグ」
ルーク「ウドのコーヒーは激ニガ」

…とマッセナの恐ろしさに震え上がっている。

マッセナの部下に「怖がりデブ」と仇名を付けられた
ビクトル大佐が登場するが
長谷川先生は大変後悔されている。
何故なら本作品の狂言回しとして登場する人物の名が「ビクトル」で
「ビクトルがダブってしまったから」で
「ぶた肉ととん汁でぶたがダブってしまった」
ことを悔やむ「孤独のグルメ」の井の頭五郎の如く
長谷川先生は困惑されてしまったのだ。

苦肉の策としてビクトル大佐を
「ヴィクトール大佐」と表記して差別化を図ったが
ヤングキングアワーズ誌の漫画家近況欄で
「こんな事ならビクトルじゃなくてオスカルにしとくんだった」
と真情を吐露されている。

後年長谷川先生は「ガルパンおじさん」となり
絵馬にビクトルとBC自由学園の押田の絵を描かれて奉納されている。
BC自由学園はフランスがモデルでマリー(アントワネット),安藤(アンドレ)等の「ベルばら」由来の女子高生が登場するが押田はオスカルがモデルで
長谷川先生的に「ダブルオスカル」を絵馬にして奉納されているのだ。
じっつっに分かりにくい拘りと言える。

3巻を読み終えた平野耕太先生は
「フランス人はヤバ過ぎるッ!」
と絶叫され,そのお気持ちを3巻帯で吐露されている。

「う~らららら~」はヴィクトール大佐の人を斬り殺す際の掛け声である。
ナポレオンと「石鹸の匂いがする金貨」を盗むマッセナ。
マッセナのチャームポイントはモミアゲ。

ツーロン戦で敵方(イギリス海軍)のフッド提督の部下として
ネルソン艦長が初登場する。(ナポレオンとの直接対決はなし)

ネルソンは捕虜として捕えられたビクトルに次の様な質問をする。
「ある男が素晴らしい女性に会った」
「男はたちまちそのヒトの虜となった」
「だがその女性には夫がいた」
「夫は彼には憎めそうにない立派な紳士だ」
「彼はどうしたらいい」
「フランス紳士ならどうする」

ネルソンは「自分の身の上」を話しているのだ。

ビクトルはフランス紳士として
「3人で仲良くナニすれば?」
と答えネルソンはその答えに感激してビクトルの足の指を折る。

ビクトルの「何なのこの人」が
読者のネルソンに対する所見の全てであり
その後のネルソンがどれ程カッコ良く活躍しようと
ネルソンは「三人一緒にか…彼女は何と言うか…」
と思慮し続ける「ヘンな人」として
読者の脳のシワに刻み込まれる事となるのである。

ツーロン戦の帰趨は次巻に持ち越される。


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