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ポール・モリセイ監督の「処女の生血」レビュー「冒頭の化粧の場面が言葉に頼らず事実を描く手本になっていて本当に素晴らしいのです。」

最初に前方を凝視する顔色が青ざめた男(ウド・キア)の横顔が大写しとなり男は褪色した眉を自身の指を用いて黒く染めている。
男は今,化粧をしているのだ。
次に男は青ざめた頬にドーランを塗り広げる。
第3に男は唇に紅をさし,その際,男の口が開き
発達した2本の牙が目視確認できる。
最後に男は刷毛を用いて白くなった髪を黒く染めている。
男は化粧によって「老い」を隠そうとしているのだ。
やがてカメラはゆっくりと男が凝視しているもの…。
化粧をする際の必需品…「鏡」を映し出す。
ところが鏡には男の姿が映っていない。
男が吸血鬼であり尚且つ吸血鬼だけには
鏡に映った「自分」の姿が見えていることを表しているのだ。
この間,吸血鬼…「ドラキュラ伯爵」は一言も発しない。
ただ哀切な調べが流れるのみだ。
このオープニングが表そうとしているのは彼の「孤独」なのである…。

初見。僕はこのオープニングで魂が鷲掴みにされ
最後まで見終えたときに涙が流れていた。
貴族の時代が終わりを告げ,その代わりにやって来たのがロシア革命かぶれの粗野で下品で無礼な絶倫男マリオ(ジョー・ダレッサンドロ)を代表とする
貴族も召使もいない誰もが平等な「新世界」という訳だ。
貴族にとって「平等」とは
平民風情にタメ口を利かれる屈辱に耐えることなのだ。

マリオはイタリアの没落貴族の召使なのだが
自分は「召使」ではなく自らの職業選択の結果「従業員」として
没落貴族の身の回りの世話をしていると主張しているのだ。
マリオは没落貴族の4人の姉妹のうち,次女と三女を相手に
暇さえあれば性交渉に耽溺し次女と三女は同性愛兼近親相姦関係にある。
なんだこの家は。

本作品におけるドラキュラ伯爵は処女の血を飲み続けていないと
老衰が進行しいずれは死んでしまう。
しかしながら,いつの間にか「処女」に大変なプレミアがついて故郷ルーマニアの処女率の低さに絶望しイタリアに自動車で「遠征」し
先に紹介した没落貴族の4姉妹のうち処女であるものと結婚しようと
目論むのだが,そこがオスの悲しさ,4姉妹のうち容姿が好みの
次女と三女を選んでしまい次女と三女の「私は処女です」という
自己申告を真に受け「非処女の生血」を吸ってしまい
吸った非処女の生血を吐き出しますます弱ってしまう有様。
長女は以前婚約を破棄された身の上であり四女は未だ14歳の子供であり
ドラキュラ伯爵は故郷ルーマニアに帰りたいとヘタレ出す。
ドラキュラ伯爵の従者アントン(アルノ・ジュエギング)は
この際,年齢には目を瞑り四女の生血を吸うよう
伯爵に進言するのであった…。

本作の本質は「コミカルな要素を含んだ成人向け映画」であり
コミカル要素は伯爵が一手に引き受け非処女の血を飲んで吐きまくり,
成人向け要素はマリオと次女と三女引き受ける。
本作は成人向け映画の癖にインテリ臭さがありマリオは貴族の娘と
性交渉に励みながら「いずれ貴族は消滅し「新世界」が訪れる」と
講釈を垂れ流していて僕的には
「ええいマリオの講釈はもういい!ドラキュラ伯爵をもっと映せ!」
とアムロの父親と化して叫びたくなる。

それでも本作品に心奪われるのは前述したオープニングと哀切な調べの
完璧な調和とドラキュラ伯爵の目論見が見破られた後の展開が
ホラー映画愛好家の端くれとして見逃すことが出来ないからである。
何よりウド・キア演じるドラキュラ伯爵の
美しさと愛嬌については言葉もなく
「(明けても暮れても性交渉ばかりで)冗長なれど,捨て置けない」
が感想となる。

僕はねえ。
性交渉をいい加減切り上げてさっさと話を進めて欲しいのですよ。
「ターミネーター」でもサラとカイルの性交渉が
長くて退屈と思った口なので。

故に本商品に関する評価は星4つが妥当と思われる。

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